自分自身への扉 つまり、あなたのいう今の「私」ではありません① | 自分自身への扉

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答えは自分が知っている


みなさん、こんにちは。


もうあと一週間もすれば11月です。ずいぶんと涼しくはなってきたのですが、日中は暖かい日も多く、まだまだ半袖を着ている人を多く見かけます。でも日が落ちてくるとさすがに半袖では寒いですね。私は今日、Tシャツに薄手のグレーのカーディガンを羽織っていますが、丁度良い感じです。


さて、意識というのはとても不思議ではありませんか? なぜ意識があるのか、この世を去ったあとこの意識はどうなるのか、この個性を保ってられるのか、本当の自分とはどんな意識なのか、などなど、意識に関していろいろ気になることがたくさんあります。


私はスピリチュアルに関心があるので、スピリチュアルについてブログで発信していますが、ただ書きたいと思った時にこうやってブログに書くだけなので、おそらくですが、書きたいと言う欲求だけ、だと思います。


どんなものが出来上がるかは、書き始めるまで分かりません。ただ書き始めるとどんどん意識上に考えが浮かんできます。それがまた面白いわけです。意識というのはほんとに不思議だなと思います。


さて、よく言われる、本当の自分、つまり魂の自分と言えばいいのでしょうか、その全てを知っている自分とは一体どんな自分なのでしょう。この私とはまったく違ったものなのでしょうか。


その本当の自分、あるいは大いなる意識、そのような意識から、わたしたちは切りはされた状態で生きていると言われます。ですので、


個性は、つまりあなたがたは源と離れているように感じますが、エネルギーは切り離されていません。


全ての人は別々の個性をもち存在していますが、その源のエネルギーとは繋がっています。


いずれあなたがたはその源へと帰りますが、あなた自身は消えるわけでなく、あなたを含めた全体への意識となるわけです。


そのようによく言われますよね、じゃあわたしのこの意識は消えてなくなるわけでなく、また生まれ変わる時には全体の意識からこの個性ある意識に戻るわけなのですね。


個性ある意識になるというのはそうですが、あなたの言う、この意識、に戻るというのとは少し違ってきます。


何故なら、生まれ変わるわけですから、今のあなたの個性とは違う意識になるということです。


じゃあこの私はなくなるってことですか?


例えば、あなたは過去世の意識を記憶として持っていません。何も覚えていませんね? ですが、その過去世があることを信じるなら「今とはまったく違う人生を生きていた」というのは理解としてわかると思います。つまり今のあなたとはまったくの別人としてその人生を生きているということです。


なので生まれ変わって違う人生を生きるのは、今のあなたとは違う、別の個性(意識)なのです。


ですので、今のあなたは、この人生だけの、限定された個性を持った意識だということになります。


そうすると、やっぱり別人と同じですよね。


例えば、桶に溜まった水を手ですくうとその桶の水とは切り離されますが、その水を桶に戻せば、その切り離された水は、また桶に入った水と一体になります。


桶の水を意識と考えた場合、手ですくった水はいっとき切り離された個性を有した意識となり手のひらでの経験をします。ですがまた桶に戻ると、その個である水(意識)と全体である水(意識)との境目がなくなり、全体の意識と一体になるという感じです。


そして、次にまたその桶から水をすくうと、以前の水(意識)とはまた違う新たな水(意識)として誕生することになります。あくまでも例えとして話していますが、以前の切り離された水がそのまま一滴違わず汲み取られるわけではないという意味で捉えて下さい。


では全体に戻ってしまうと、この個性はなくなってしまう、ということでいいのですか?


おそらくあなたは、今現在の個性を宿した意識に執着しているので、その個性の意識を持ち続けられるのかが気になるようですが、今の個性はあくまでもこの人生で獲得した限定的な意識です。生まれ変わるということは新たな個性を持つ意識になるということです。つまり、あなたのいう今の「私」ではありません。


もしあなたが望むのであれば、今の記憶を持ったまま次の人生を生きることも可能ですが、おそらく次の転生をする時には、あなたはそれを重要視しないでしょう。個性を形作るというのは、何を経験したいかで、その世界に携える個性の持ちものがかわるのです。


それに次の人生で過去世を思い出したとしても、すでに違う個性で存在しているあなたには、もう過去のあなたとして生きることは出来ないでしょう。


ですが、付け加えて言えば、源は全てを含んでいます。ですので個性はなくなるわけではありません。源のその中で、その個性は存在し続けています。ただ、その源から離れ一つの個性として経験する場合、それは新たな個性を宿した意識だということです。


ですが魂は幾つもの転生を経験しますよね? あなたの過去世はこうで、という話があるわけですから。つまり私にはさまざまな過去世があるわけです。それはつまり同じ一つの魂が存続していることになりませんか?


自我意識と真我にあたる魂の関係を整理する必要があります。では、ここからは、大きさに関係なく、源=魂、として話を進めます。今のあなたは、個性、としての意識だと思ってください。


あなたが言うように、魂は同じです。同じ魂ですが、転生をする場合、源とはいっとき離れ、新たな人生に合った個性を創造して生きることになります。新たな個性で生きるので、当然、意識も今のあなたとは違ってきます。ですが、魂はすべてのあなたを含んでいます。つまり魂とは先ほどの桶の水と同じだと思ってください。本質であるあなたの魂(桶の水)は、これまでの個性である意識も持っているわけです。


つまり、たくさんの個性を持ったものが魂というわけですね。


あなたは、この今いる個性で経験している限定された意識(自我)で物事をみています。ですが魂は、もっとたくさんの個性である意識を有しています。それらがすべて自分の意識として感じられるのです。


例えとして、5本の指を魂とあなたの関係になぞって話します。5本の指は、それぞれ違う個性を持ち、違う時間軸の世界を体験しています。例えば、中指は江戸時代、親指は今より300年先の未来、そして今のあたたは小指として今この世界を体験しているようなものです。魂はその5本の指全体を含む手という意識から世界を見ています。つまり手のひらは同時に5本の指を認識している状態です。そのように、それぞれ個性の違う指を持っていますが、魂は同じだということです。



なるほど…。今ふと思ったので、少し話は変わるかも知れませんが、輪廻はどうなのですか? この人生を終えても源に戻れないことがあると、そのような話もありますよね? 輪廻を繰り返すと言うのは源?魂?へは帰れないわけですから、そうなった場合、意識そのものにも変化がない(個性が変わらない)つまりそう言うこになりますよね?


そのあなたの知識で話せば、この地球のシステムで輪廻と言うのがあり、この世界に未練(執着)があれば、あなたの意識はこの地球のエネルギー場に囚われてしまい、魂に統合されずに、再度同じ地球に生まれ変わるということを繰り返すということですね。


それは何を表しているかと言えば、あなたがたの今の状態を例えているのです。あなたがたはこの人生で何かに囚われていると、そこから抜け出せずに同じ現実(エネルギー)を創造し続けることになります。


つまり、それは魂と統合されていない状態だと言い換えることができます。


輪廻は死後に起こるのですよね?


理解しにくい話しですが、あなたがたは瞬間瞬間新しい世界(自分)を創造し体験しています。その連続がこの人生です。ですが同じことを繰り返しているように感じるのは、あなたの思考エネルギーに変化がない(周波数が変わらない)からです。ですので死後というより、この人生で生きるあなたがたの囚われている思考を変化させなけばならないのです。


大切なのは、死後ではなく、今この瞬間です。


ですので、この世を去ったあとに魂と一つになると考えるのではなく、この瞬間瞬間に、あなたの魂と一つになるということを考えてみて下さい。


もちろん、意識状態、感覚は、この人生の中にいる場合と肉体を離れた場合とは変わりますが、魂(本質)と一つになるということで言えは、今この瞬間それが可能なのです。


それはどういうことかと言えば、本質(魂)は愛です。喜びです。無限の可能性です。つまりそれは魂の意識の状態のことです。その本質である魂のバイブレーションに今この瞬間なることができるのです。


あなたは小指として、その意識で世界を見ていますが、あなたは全体である手のひらの意識と繋がっていますね。


そのように、あなたがたは切り離されていると感じていますが、本当は繋がっているのです。繋がっているわけですから、魂のバイブレーションと一体となることができるということです。


魂と繋がっているというのはなんとなく理解はできますが、繋がっているとはどのような繋がり方なのでしょうか?


では別の視点から話してみます。


5本の指の例えで説明すれば、手のひら(魂)が5本の指の小指に意識をフォーカスして、小指と言う個性を体験していると思ってください。


全体を感じるのではなく、その小指だけに意識を合わせれば、全体の意識から、その小指という個性そのものになった体験をすることができるのです。カメラの広角側からどんどん望遠側へとズームアップしていくように視野を狭めていくわけです。


つまり私はそもそも魂(源)であるが、その魂がこの私という個性に焦点を定めているという理解でいいのですか? でも魂は私だけでなくたくさんの意識に焦点を定めていることになりますよね。


それを説明するためによく例えられるのが、源から分離した魂、というものです。言葉で説明をするとすべてを言い表す正確な表現はできませんが、できるだけわかりやすくしてみます。


源とは意識です。魂とはその源の意識です。つまり、源=魂です。より物質的な例えで説明すれば、お餅を源である意識だとすれば、お餅をたくさんちぎって小さく丸めたものが、源から分離した意識の塊、です。つまりその塊があなたがたの魂です。全体から切り離され個々として分かれていますが、あなたがたの魂は、そのように源の意識の塊なので、皆同様に源の意識そのものであると言うわけです。


そして、源は、その分離した魂とネットワークで繋がっています。ですので、の意識は個々のあなたがたの意識にそれぞれ同時にアクセスすることができます。それは同時に個々に焦点を定めることができるということです。


ちょっと記事を分けて話をすれば良かったですね。いろんな角度から見た話が詰まっているので、どこにポイントを絞るかで、説明も変わってくるのでややこしくなるかも知れません。


大丈夫です。流れに沿っています。


さまざまな例えがあります。それはあなたがたがわかりやすいように、さまざまな側面からこの世界の知識を用いて表現する手段です。先ほどの桶の水も同じです。ある側面から例えていますが、桶の水をすくって切り離す、という表現を使いますので、離れていると感じますね。ですが5本の指で説明すれば繋がっているということがわかりやすくなります。


確かにそうですね…では、今した説明をひとつのワードを使って説明することはできませんか?


一つのワードを使う?


例えば、先ほど5本の指の話しで、小指にフォーカスするということを話されましたよね。そのフォーカスするという言葉を使ってそれぞれの例えを同じように説明できれば、統一性ができて、もっとわかりやすくなるのではと思ったのですが。


それならその言葉を使い、そこに別の言葉を付け足して話を広げてみましょう。


桶の水、つまり源(魂)の意識が、手のひらに移った水の意識にフォーカスしているというのでわかりますか? 源から切り離された水は、いわゆるアバターとして存在する器です。源の意識は、そのアバターを通してあなたを体験するわけです。


先ほどのお餅も同じです。物質的には小さなお餅として切り離されてはいますが、その本体のお餅である源の意識エネルギーとは繋がっていて、源のアバターとして作られた、あなた(小さなお餅)という個性にフォーカスし、源はそれを体験しているということです。


自我は、そのアバターに備わる、この世界に適応する意識です。それが個性としての役割をします。その個性を通して魂は体験するのですが、アバターに備わった自我意識(個性)は、この世界で学んだことが基準となり、それに適応した思考になっていきます。


その自我に魂がフォーカスし意識を合わせることで、自我そのものになった体験が可能になります。


つまり本来の魂である自分を忘れ、このアバターが自分自身であると、そう思い込むことができると言うことです。


それが今この世界にいる「私」と言う存在になります。


手のひらである魂は全てが見えるわけですが、焦点を絞って自我意識の中に入り込んだ魂の一部は、あなたになりきっています。


今や魂は魂であることを忘れ、アバターとして、この物質次元を堪能しているわけです。


ですので、この「私」は、その魂のアバターとして、一つの人生を生きる人格にすぎません。


魂は何度も違う人生を生きますが「私」という人格は、この人生のみだということです。魂はその人格で生きた経験を大いなる意識の海に刻みつけるのです。


では、私だと思っているこの私は、アバターとしての意識であり、言わば、単なるAIのような作られた意識ということですか?


そうですね、この世界の価値観の中で作られた人格であるのは確かです。ですが、単にそれだけの存在ではありません。


源(魂)に、あるいは宇宙と繋がると言うと、それが外側にあるように感じますが、宇宙とはあなた自身のことです。源の意識はあなたの中にあるのです。つまり切り離された個々の核には源が詰まっているわけです。それが魂(意識)です。ですのであなたと宇宙には距離はありません。


それに気づけば、今度は、自我である今の「私」は、自分の中にある魂にフォーカスすることで、本来の性質である魂を感じることができるようになります。


自我とはこの肉体ボディに備わった装備なのですが、その自我に魂が融合しているわけです。理由は先ほど述べた、この世界を体験するため、なのですが、それと引き換えに魂は本当の姿を忘れてしまうことになります。


ですが、その自我はすでに魂と一体ですので、その意識は魂には刻みこまれています。その意識、個性で生きた記憶は魂の記憶として永遠に消えることはありません。


ということは、このアバターとして存在するこの私は、つまりどうなるのですか?


そうですね…それを分かりやすく例えると、あなたが事故で頭を打ち、記憶をなくし、別の場所で違う人生を生きているようなものです。


そして、記憶を取り戻すことで、本当の自分を思い出せば、記憶をなくした自分の人生と、本当の自分とを融合させることになります。


魂と自我の統合というのも、このようなものだと思って下さい。


それができれば、この世界を新たな視点で見ることができます。


魂(源)に帰る、というのは何も死後の話に限ったことではなく、今この人生でそれを成し遂げることができるわけです。


あなたは自我として意識していますが、その中に源である魂を含んでいます。


確かにこの「私」は、この人生だけの個性なのですが、魂はこの「私」をすでに取り込んでいます。


最終的には「私」=「魂」だと言うことになるのです。


自我として、この世界の観念に縛られて生きていますが、あなたはその観念の壁を越えることができます。何故なら、無限の可能性を持った魂でもあるのですから。


あくまでもこれは一つの見方に過ぎません。


なぜなら、すべては宇宙意識の中で存在しているからです。


なるほど…ちょっと頭を整理してみます。