唯一、悟りをひらいたとして崇められてる釈迦。
そんな釈迦が愚か者についてこう説いてます。
「もしも愚者がみずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。
愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思うものこそ、
「愚者」だといわれる。」(『ダンマパダ(法句経)』六三)
愚かなる者が愚かなる者と知り、そのように振舞っているのは、
もはや愚者ではなく賢者である。
愚かなる者が、偽って賢者だと思うことは、真の愚者である。
「もしも或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。」(『ダンマパダ(法句経)』六七「もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、
その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い。」(『ダンマパダ(法句経)』六八)
反省はしても、後悔はいてはならん!!
と私には聞こえてきます。
反省したならば、それを次へ生かすことが出来るのです。
また、賢い人について、この様に言われています。
「悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな、。
善い友と交われ。尊い人と交われ。」(『ダンマパダ(法句経)』七八)
「高尚な人々は、どこにいても、執着することが無い。快楽を欲してしゃべることが無い。
楽しいことに遭っても、苦しいことに遭っても、賢者は動ずる色が無い。」(『ダンマパダ(法句経)』八三)なかなかよい言葉でしょう。
素敵な人と接し、過去に生きるのではなく未来に生きる。
反省はしても後悔する事なく
好きな事をする。
最後に一言
過度なプライドと過去への執着は大荷物である。