本当いうと、未成年を見たあとに、これが一番書きたかったのだ。でも映画ジャンルにエントリーしているのもあって、時々映画のテーマに戻らないといけなかったし、間が悪く謙信のコンプラ問題も起きてしまった。(-_-;) でも私は謙信を信じてるけど。

 

 

 

 

 

ついつい、じゅんけんの顔を思い浮かべてしまうだろうが、まずここでは水無瀬と蛭川で書いているのでご了承ください。

 

今まだ第三話までしか見返していないけれど、初めはまだ二人の海(世界)は交わりそうもなかった。冒頭の水無瀬のナレーションは、かなり後のほうまで見たあとなら、蛭川から水無瀬への、DVDケースに潜めた手紙だとわかるが、見始めはわからない。そのDVDも水無瀬の父雨沢監督の撮った「水の音」だ。これは水無瀬が「レンタルも配信もしていなくて、見たいが見られていない」と言ったもの。引っ越していった蛭川から水無瀬への、置き土産といっていいだろう。大学生の水無瀬はもう宛先を知らないながらも蛭川に手紙を書くべく、二人の思い出のある場所を訪ねながら、思い出したことをメモしていた。几帳面でちゃんとした構成で論理的な文章を書きそうな水無瀬らしい。

 

 

蛭川は、昔は両親と一人息子の自分で幸せに暮らした時もあったのだろうが、(水無瀬が彼の家を訪ねた時に、家族写真の写真立てがいくつかあった)今は母が家を出て、父は荒れて酒を飲んでは息子に暴力をふるっている。多分両親の離婚は蛭川が高校に入るか入らないかくらいのときだったのだろう。なぜなら、彼は水無瀬と同じ、私立の進学校でお金のかかりそうな高校の学生だから。もし父がもっと前に既に荒れていれば、蛭川は受験勉強どころではなかったはず。ただし、貧困家庭ではなかったようだ。蛭川の部屋にはDVDがずらっと並んでいた。

 

 

蛭川母は離婚してから「割とすぐに再婚した」らしく、父はその住所を知らないらしい。息子に、母の居所を教えれば「殺しに行く」と言う。蛭川は父の暴力を、たまたま知られてしまった水無瀬以外には秘密にしていて、けがのために学校を一週間休んでも、その理由を教室では「バカンスに行っていた」という。なぜ抵抗しないのかと水無瀬に尋ねられ、「水の音」の登場人物と同じで、大事な人(母と父親違いの幼い妹)に害が及ばないよう、自分がここで(殴られていることで)防波堤になっているのだという。だから蛭川は母のところにはついていかなかった。その母は、蛭川父が喧嘩っ早いことは承知しているが、息子の怪我を普通の喧嘩のためだと思っているところは、元夫から特にDVを受けてはいなかったということだろうか。

 

 

蛭川は毎日相当つらかったに違いない。希望がないため道を踏み外しそうな環境で、喫煙したり、欠席日数が増えたり、プールバー(ビリヤード場)に出入りしたり、行き場がないから先輩(何の先輩?)の家に泊めてもらったりしていた。それでも悪事を働く半グレのグループには入っていなかったし、イケメンだからもてても、キスもその先もしたことがなかった。(^▽^;)

お母さんを大切に守っているような子だったから、そっち方面は放埓じゃなかったからか、それともやっぱり潜在的にゲイだったからかな。(水無瀬も女子に告白されたことがあるけど、根本と違って全く興味なしだったようだ)(^^;)

 

 

 

 

カッとなったりくさくさしたとき、蛭川は、学校で水道の水を頭からかぶっていたし、水無瀬の水をもらった時も、飲んだ残りは頭からかけていた。自分の怒りや負の感情を洗い流したかったのだろう。原作ではどんな風にしてたのか知らないけど、私はとても健気な子だと思うのだ。

毎日続く激しいDV、安心できる居場所もなく、学校にいっても周囲の人たちにひかれ、つるむ仲間はいるが本当の自分を理解してくれる友はいない。もっとグレたり、あるいは引きこもったり、心を病んだりしても不思議ではなかった。なのにこれだけしっかり自分の足で立っている蛭川は凄い。「レジリエンス」力が高いと思う。

 

 

レジリエンスとは、簡単に言うと「困難を乗り越え回復する力」ということである。

復元力、耐久力、再起力、弾力などとも訳されることがある。その力の強さは人によって違うだろうが、蛭川の場合若くて健康で生命力が強く、また、自己肯定感がそれほど低くなかったし、コミュニケーション力もあったから、なんとか持ちこたえたのではないだろうか。自己肯定感は、まだ彼は若いから、幼い時の親・特に母親との関係が良好だったから身についたのではないかと思う。コミュ力も、友達がいなかったとかいじめにあっていたとかのエピソードが登場していないし、水無瀬に声をかける様子からは不足していないといえる。それでも保護してくれるべき両親の離婚後の今、周囲から否定され続けたら、それも危うくなってしまうだろうが、彼はこの危ないところで、水無瀬に巡り逢えた。✨✨✨なんてラッキー。(^-^)

 

 

自分を理解してくれる人、受け入れてくれる人、フラットに接してくれる人、温かく接してくれる人、認めてくれる人、愛してくれる人、そういう人たちが、心折れそうなときには絶対必要なんだと思う。蛭川は水無瀬に惹かれ、映画と雨沢監督という共通点も見出し、受け入れてもらって、俄然生き生きとし出した。相変わらず父からのDVは続いたが、傷ついた時に行く場所ができた。居場所、これ大事。

水無瀬と一緒にいたいから同じようにしたい、とタバコの消臭スプレーとマウスウォッシュを使うなど努力もし始めた。可愛い。水無瀬の問う「俺のこと好きなの?」には2回も否定したけど。(;´∀`)水無瀬の影響で、将来やりたいこと(多分自分で映画を撮りたいということ)が見つかった蛭川は、生活も授業態度もまじめになっていく。

 

 

・・・・その後、二人は運命に引き離されるのだけど。蛭川のレジリエンス力はやはり高い。寂しくても、愛する水無瀬を思って耐え、飲酒もせず喫煙もやめていた。

水無瀬のそれも高い。水無瀬も両親が価値観の違いからかうまくいっておらず、ひとりぼっちで長く過ごしたが、母の希望に沿った道をしっかり歩んだ。そして二人は5年もの間、会えない相手を思い続けてずっと耐えてきたのだから。

再会してのちの蛭川の水無瀬に対する包容力は素敵だ。水無瀬も変わらずに、蛭川を思いやっている。彼らはこれからも、何か困難があっても助け合ってレジリエンス力を発揮していけるだろうと思う。

 

 

いつのころからかわからないが、私はずっと、人間にはレジリエンス力が何より・・・いや何よりとは言いすぎかも・・・必要だと思っている。もしも子供が生まれたら、(実際はいないけど💦)子供に最も望むことは、「へこたれない人」になってほしいということだった。

そして私も、何か困難なことがあって、つらい思いをしている人に対しては、温かく接することのできる人になりたいと思ってきたのだ。特に未成年に登場するような子に対しては、「お節介なおばちゃん」になりたいと思っているのだが。(^^;)うるさがられるだけかしら?

 

「未成年」は、へこたれない二人の成長と愛の道程を描いた作品ともいえるだろう。

 

 

 
へこたれないで欲しい、謙信。
 
★2025年3月17日 午後4時
文章の読みにくいところとわかりにくいところを少し手直ししました。