2月見た恋愛映画のラスト。ゆきてかへらぬ。
いや、これ、恋愛映画といっていいのかな。文芸映画?でも中也の詩は出てきたが、小林の論評は出てこなかったから、恋愛映画でいいのか。
タイトルは、ヒロイン長谷川泰子が昔の恋~中也と秀雄との~を振り返って書いた本と同じ。この脚本は、脚本家田中陽造氏がかなり昔に書いて傑作だといわれていたが、なかなか映画にできなかった。その理由の一つは、中原中也役にぴったりな俳優が見つからなかったからだと言われているそうだ。
そのキャスティングが今作では、どハマリしているように思える。この話の主要部分において、主演の彼らは、年長の小林秀雄で25歳くらい、泰子が二十歳そこそこ、中也は17歳から1~2年くらいの間だった。まだ何者でもない彼らだったが、才気と情熱が危ういくらいに迸っていた。まだ女優として成功していないのに気位だけは高い泰子(広瀬すず)、自らが思う「詩」を捕まえるのに貪欲な中也(木戸大聖)。小林(岡田将生)だけは評論家らしく一歩退いて少し冷静に見ていたが、やはり巻き込まれていった。
山口の医師の名家の長男である中也。人々はあの丸っこい帽子の肖像写真をすぐ思い浮かべるだろうと、監督と帽子を丹念に選んだそうだ。そして、木戸君の見た目も話し方も、(もちろん私も木戸君も中也に会ったことはないんだけど💦)イメージぴったり。可愛いし生意気だし賢いし、お育ちが良さそうだし、繊細で壊れやすそう。中也の心にはいつも哀しみが住んでいて、それは仲良しの弟を幼い時に失くして以来死ぬまで続いたのだった。
泰子はチャーミングで気が強くて自信家、というより、実は育ちが良くなくて、お母さんから女子の躾的なことを習えなかったので、目上の人に対する言葉の使い方とかがわかっていない。(多分それで損してるよね)彼女の思い出がまた壮絶なのだ。お母さん(瀧内久美)が精神的に病んでいて、それは泰子の父のせいらしいのだが、幼い彼女を抱いて川(?)の中にずんずん入って行き、二人で溺れ死にそうなのに舟を追いかけ叫んでいた。舟をこいでいるのはトータス松本だけど、あれは父なのか?普通に映画を見ているだけでは謎だった。泰子について、こういう生い立ちだからのあの破天荒ともいえる行動だったと言いたいのかな?
中也と泰子は京都で出会い、一緒に中也の下宿で暮らしていたが、やがて上京し、小林秀雄と交流する。秀雄は中也の詩の才能を高く評価し、中也は秀雄の評論の力を信頼し、二人の間には、泰子に焼きもちを妬かせるような、不思議な魂の絆があった。ブロマンスというべきかどうかはわからない、二人とも泰子を女として愛したのだから。
でもその愛し方は違っていた。中也と泰子は、一緒にローラースケートをして遊んだり、ケンカするときはつかみ合いで暴力をふるい合ったりしていた。むき出しな気持ちのぶつけあい。が、さすがに秀雄にはそれができなかった。だが二人のケンカを、愛情表現だと思って見ていた。しかも秀雄は泰子を愛すことによって、中也の詩魂にも触れた、否中也の魂を感じるために泰子を愛した?・・・うーん、凡人にはちょっと(-_-;)な世界だが、彼らが彼らなりに懸命に生きて懸命に恋していたのはわかった。
泰子は中也の家から秀雄の家に引っ越していった。
秀雄は、まるで家事ができない泰子のため、毎日お惣菜を買って帰っていた。その費用がかさむので、友人から借金をし、その返済は、懸賞論文で一位を取って獲得賞金をあてるつもりで、せっせと文筆活動していた。
泰子は秀雄の家以外に行き場がない時期に、中也がしょっちゅう秀雄との家にやってくるので、一時期神経症のようになって秀雄にも当たり散らした。思い出した(今頃💦)、秀雄が、自分と中也とで、つっかい棒のように泰子を支えているのだと話したシーンがある。泰子はそうしないと倒れてしまうような人だったのだろうか。虚勢を張ってしまうようなところは彼女にも中也にもあったが、そんな弱いところあったのかな?
さて、3人の恋の結末はどうなったのだろう。3人とも、のちに別の人と結婚したのだった。泰子は無声映画の女優に、秀雄は文壇で認められた。中也はそこまで成功しなかったが、詩集を出版し、親に勧められた女性(藤間爽子)と結婚して子供をもうけた。が、ご存じの通り、その最愛のわが子を失くし、精神的にダメージを受け、病も得て早逝してしまった。そういう運命の人だったのかな、と思わせるような中也の生涯だった。
中也の火葬場の外で、やるせなさそうな秀雄と泰子が言葉を交わし、立ち昇る煙を見やった。あいつが骨になるなんて、という秀雄はお骨は拾わなかったのだろう。泰子も。そういうことは、リアルな家族が担うのだ、やっぱり。
根岸吉太郎監督はといえば、「雪に願うこと」は好きだった。「ヴィヨンの妻」も見た。この映画で何を表現したかったのかな。などと思う私は理解できていないのだろうね。(-_-;) 映像はとてもとても美しくて、京都の古い街の軒下を歩く中也の赤い番傘や、秀雄と中也の座る花盛りの境内や、三人が乗った湖上のボートなど、印象的なシーンがたくさん。俳優も、ちらっと出たのが柄本佑であるとか、素晴らしい面々だった。素晴らしい割にはやはりわかりにくかったからか、各映画サイトでは★の数が少なめだけどね。脚本がもう少し今風だったらもっとわかりやすくて共感しやすかったのかなとも思う。
以前、中原中也の故郷に旅して(というか学会で訪れたので、空き時間に訪ねた)中也の記念館。彼が翻訳したランボオの詩集をみつけたので購入した。
自分の本棚を見せるのって、これも素の自分をさらけ出すようなので恥ずかしいが、こんな感じだ。ランボオとヴェルレーヌの詩も関係も好きなんだけど。
それから、何年か前に、曽根富美子さん作の「含羞」(はぢらひ)という漫画も読んでいた。中也や日本文学が好きな人には刺さる内容だと思う。よかったらどうぞ。
映画見る前に読み返しておけばよかったなあ。
もしかすると復刊ドットコムで買ったんだっけ?だとすると・・・このブログ読者のかたたちは今読めるかなあ?
*いつものように、付け加えたところは青字です。