サンセット・サンライズ、雪の花、室町無頼
見た順に。
この舞台が、コロナ問題が明らかになったばかりの日本で、三陸の小さな魚港町だった。もうかなり昔のことのような気もしてくるけど、失われた日々はもう取り戻せないんだなあ。あのころの田舎では、他県から来た人には異常に警戒心を抱き、自分の家や会社から最初の感染者を出すまいと必死だった。閉塞してたなあ。
そんな中で、これも地方の頭の痛い「空き家問題」を何とかするように指令を受けた町職員の百香(井上真央)は、まずは自分からと今は誰も住んでいない自分の4LDKの家をネットでレンタルに出した。それに飛びついたのは、東京でリモートワークをしていた晋作(菅田将暉)。釣り好きで独身なので、リモートで働けるなら三陸でもいいだろうと、6万円という破格の家賃につられて飛んできた。
百香はこのご時世に彼がひょろっと外に出るのを2週間禁じ、その代わりにと義父の漁師章男(中村雅俊)が釣った魚を調理して届けたが、これがまあお刺身や煮魚など、ほんとに美味しそうなのだ。思い出すなあ、私もかなり昔だけど、仕事でよく南三陸の町に派遣されてたから。みな気持ちの良い人たちだったが、あの震災後は訪れていない。
しかし晋作は釣りがしたくて、毎日マスクして釣り竿を手に岸壁に出かけ、釣果をもって帰ってくる。隣家のおばあさん(白川和子)は、「こ!」と彼を呼び止め、「あ、怒られるのかな?」と思ったら、「け!」と言っておかずをくれるのだった。(東北人でないとわからないかな、「来なさい」と「食べなさい」の意味です。「け」には、「痒い」という意味もあります(^^;))
私の想像どおり、あの空き家は百香の家だったが、震災で夫と子供たちが亡くなったため、彼女はそこを出て同じく震災で妻を亡くした義父の家で同居していたのだった。町には「ももちゃんの幸福を祈る会」を結成した独身男たちがいて、そのうちの居酒屋経営の板前(竹原ピストル)の店によく集まっており、その彼らににらまれながらも人懐こい晋作は町になじんでいった。
映画には、コロナと震災のほか、空き家問題とか一人暮らしの老人問題とか、独身者が多くて少子化に歯止めがかからない問題とか、地方の衰退とか、様々な世相が反映されていたけれど、温かい人情があるためか、なんだかほっこりした。役者さんたちも芸達者で味があって、特に中村雅俊の義父や白川和子の隣家のおばちゃん、竹原ピストルの終わりの方の(河原での)長セリフなど、とても良かった。池脇千鶴、うまい人で好きなんだけど、老けてきてて初め誰だかわからなかった。m(__)mスマンコッテス
ありきたりの、ヒロインが新しい出会いで恋をするような話ではなく、「みんなが自分の好きなように生きたらこうなった」ラストも素敵だった。是非、ご覧ください。とにかく料理が美味しそう。菅田君が2週間の撮影で7キロ太って、「あれ?」と驚く丸顔になってました。(^^;)
江戸末期、もうすでにターヘル・アナトミアの翻訳本「解体新書」も出ていたころのこと。天然痘はまだ致死率の高い病で、これとコレラとチフスは非常に恐れられていた流行性感染症だった。(大沢たかおの「仁」では、コレラと戦っていた)天然痘に対し診断して隔離するしか為す術の無かった福井藩の町医者(漢方医)笠原良策は、旅先で加賀からの医師大武了玄(吉岡秀隆)に会い、京都の蘭方医日野鼎哉(役所広司)を教えられた。妻の千穂(芳根京子)には金銭的に苦労をかけたが、意を決して京都に出向いて弟子になる。
当時すでにイギリスではパイオニアのジェンナーが、唐の国(中国)でも同様に、牛痘で種痘を始め、成果をあげていた。長崎でならその牛痘(のかさぶた)が手に入るが、幕府は種痘を認めていなかった。福井藩主の名君と名高い松平春嶽公に、良策の親友の半井元冲(三浦貴大)が江戸屋敷付きの漢方医となっていたので、彼からお目付役にお願いしてもらって許可を得、日野らはまず自分の孫で種痘を始めて成功した。かさぶたの免疫学的に有効なのはおよそ7日間しかないと。今のように密封できる媒体も冷蔵庫もない時代。そして十分に効果を確認したのち、良策は福井に戻って種痘所を開こうとする。
当然、漢方医たちや迷信深い家老たち、そして無知な庶民たちから様々な妨害があったが、彼と妻はことごとく克服していき、ついには大きな種痘所を福井に開いて、多くの人たちを救っていくのだった。ストーリーは、事実をもとにしているので(吉村昭作の小説が原作)それに即して粛々と進んだ。逆に言うと盛り上がりがはっきりしないのだった。大きな見せ場は、吹雪の中の峠越えだろうか。でも私がほろっとしたのは、種痘を受けた子供連れで命からがら峠を越えた行商人が、良策から報酬を受けとらず、「これはお金をもらってするような仕事ではなかった」というくだり。
主演の松坂君は、ちょっと超人過ぎた感がある。人柄がよく、人を救うことにかけて真摯で、腕っぷしも強かった。妻の芳根京子も、貞淑であるのみでなく、漢方薬に詳しく、黙って質屋に行って夫のために金策するきっぷの良さがある。きっと彼らは郷土の誇りであるのだろう。見てよかったという評価が高い作品。日曜日の昼の上映に行ったら、いつもはガラガラのホールが、中高年ばかりでよく埋まっていた。(^^;)
これも、(結局見なかったけど→)「11人の賊軍」みたいだったらちょっと嫌かな(壮絶な犬死に感が)、と危惧していたが、そうではなかった。(^▽^;)
当時・・応仁の乱の直前・・が庶民にとってほんとに大変な社会状況だったのはしっかり描かれていた。道端に転がる餓死や疫病による死人の山、それらをモノのように大八車に積み上げて河原に運んで荼毘にふすのだが、でも馬の代わりに何人もの人(売られた奴隷らしい)で車を動かしていて、しかも人なのに雇い主(?)にムチ打たれていて腹が立った。(つまり、今と違って庶民には人権のじの字もなかった。)その辺がPG12の理由かな。
大きな寺社の坊主たちには高利貸しなどして武器(&僧兵)と財宝を蓄える連中もいて、為政者は民衆の苦しみに目をつぶって享楽にふけっていた。こんな時代なので一揆も当然起こっていたが、それは一般民衆によるもので、武士が起こしたことはなかった。それをやったのが蓮田兵衛(大泉洋)だった。歴史書にはたった一行しかないが、それを大きく膨らましたのが原作である。
堤真一の演じる骨皮道賢は蓮田と友人で、骨皮は今は為政者の下請けとして京都の治安を人に怖れられながら暴力で守る立場、兵衛は自由人だ。飢えた母子や困窮しているものらに温かいまなざしをもった兵衛。彼は、さすらっていた赤松浪人の子の少年才蔵(長尾謙杜)を拾い、謎の老人柄本明のもとに預け、六尺棒の凄腕の使い手として鍛えてもらった。とても過酷な修行なのだが、長尾君は今回本当に頑張ったと思う。殺陣のシーンが素晴らしい。自らも赤松の浪人という兵衛は、この乱れた世の中に一矢報いるつもりで、浪人ものなど無頼の輩に声をかけ、暴動を計画していた。
そしてある日、兵衛と才蔵のもとに集まった浪人侍、百姓や町人や遊女らは、怒涛のように山を下り、人数を増しながら京の街を駆け抜け、高利貸しの集まる二条に押し掛け、借金の証文を次々に奪ったり焼いたりしていった。当然道賢や幕府らによる攻撃を受け、次々に倒れていくけれど、彼らの勇ましい戦いには喝采を送りたかった。こんな救いのない世の中だから、ままよ、あとはどうなれ、派手に戦って散るだけだ、運が良ければ生き残るだろう、みたいな潔さ。日々の暮らしがきつかったせいか、むしろ暗さはなかった。
そして道賢と兵衛の対決、この一揆の結果発された徳政令。兵衛の希望を担って大人になり、より逞しくなった才蔵。
スケールが大きく美術としてもすぐれていた映像。面白かったし、暗くなかったし、俳優たちの熱演がよかった。(遠藤雄弥くん、今回はいい役だったな(⌒∇⌒))
こんな壮大なスケールの時代劇はもうあまりつくれないだろうと監督が言っていたが、本当にそうだったので、今のうち劇場でご覧になってはいかがでしょうか。