先月見た映画の感想の続きを。

 

「あの人が消えた」

 

 

完全オリジナルストーリー(監督脚本・水野格)のサスペンスということで、予備知識ほぼなしで見た。主演は最近私がその演技力に注目し始めた、高橋文哉君。

まじめだけど何事につけ押しが弱いタイプの彼(丸子)は、コロナ禍のとき前の職場でリストラされた。そのときにテレビで流通関係の人が感謝されているのを見て(実際はまるでウイルスの運び屋のように嫌われたときもあったよね。人って勝手だなあ)、人の役に立つ仕事をしたいと宅配便の仕事についた。留守がちなお客や感じの悪いお客もいて、会社でも要領が悪い(文哉くんの配役されるキャラとしてよくあるパターン)とよくお小言をもらいストレスのたまる日々。そんな彼の唯一の趣味は、WEB投稿の小説を読むこと。中でもお気に入りの作家には、新規投稿に毎度励ましのメッセージを送っている。

会社の先輩(圭くん)もWEBに推理小説の投稿をしているが、こちらのは今一つひねりに欠けぱっとしないので、あまり読んであげていない。(^^;)(でも彼のキャラとしては、まるでおっさんずラブのはるたんのような面倒見の良さで、こちらもよくある彼のパターン。)

その文哉君が新しく担当になった地域のマンションに配達にいくと、その受取人名が、自分の大好きな作家と同じだった。きれいな若い女性(北香那)。ほんとうは見てはいけないのだが、配達ついでに玄関から覗くと机の上のPCでおなじみの小説の原稿を書いている様子。舞い上がった丸子。マンションにはほかに猫を抱いたおしゃべりな中年女性(坂井真紀)や、ちょっと癖強そうな男たち(袴田吉彦、中村倫也、染谷将太)。しょっちゅうこのマンションに行く丸子は、彼女を怪しい男たちから守ろうと目を光らせる。ちょっと踏み込み過ぎじゃない?(・_・;)

 

 

次々と人が消えるマンションというが、本当に消えてしまったのは、実は・・・。先輩の圭くんも助太刀に入って、彼女の小説にあるトリックを使って最後にどんでん返しがある。出た役者さんたちがみんな芸達者な人たちで、夫婦共演もある(;'∀')。長すぎないし、面白くサクっと見られる(それは褒め言葉かな?(^^;))のでお勧め。

 

「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

 

 

 

画像はホームページより。原作は五十嵐大さんの作品で、もとは「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」という長い長い題がついていた。でも今は出版物のほうも映画と同じ題名に変えたそうだ。

 

宮城県石巻の漁港で、騒音のなか一心不乱に漁船の船体に塗装を施している男性。あれ?と思ったら、彼は聾らしい。確か補聴器もしていなかったような。彼には嬉しいことがあった。待望の第一子・長男が誕生したのだ。自転車で帰ると、家には入れ墨のある元ばくち打ちのちょっと怖い義父(でんでん)と、聾の若妻(忍足亜希子)とその母(烏丸せつこ)、それにご近所の奥さんたちなどが集まり、息子のお食い初めの行事の支度をしていた。愛され可愛がられて生まれ育ったのは大(のちに長じては吉沢亮)。彼はCodaなので、祖父母や健聴者とは音声で会話し、両親とは手話で会話する。なぜか祖父母は相手方の読唇術で足りているからと手話を覚えようとはしない。大はそれで普通に暮らせているが、学校では級友から「お前のかあちゃんは話し方が変だ」と言われたり、聾の両親に育てられているからか、身に覚えのないいたずらの嫌疑をかけられたり、やはり差別や理不尽に直面して少し拗ねていくのだった。母も、スーパーのレジ打ちの仕事が聴こえないために務まらず、家で内職をしている。

 

そして、子役の俳優から、急に中学3年生くらいになって、いきなり吉沢亮になるのだった。(^^;)無理かと思ったがさすが吉沢亮、なんとか中3に見えなくもなかった。両親役二人とも聾の俳優さんだが、普通聾の人は演技するとき声は出さないらしい。しかし、この作品では呉美保監督以下みなで聾・Coda・手話などについて勉強し、常時計8人くらいの手話コーディネーターやCodaの人などが現場にいたそうで、忍足さんのご家族が撮影の見学に来た時、彼女が声を出しているのを聞いて、すごくリラックスして撮影ができていると驚いていたそうだ。吉沢亮も手話を覚えて使っていた。彼は必要に迫られ両親から教えられて習得したという設定で、詳しくシステマティックに学んだわけではない。

 

大学に行く余裕もなく、家にいたくなくなって(若い時はね、彼の家の事情もあるけど、まあなんとなくわかるわね)東京に出ていき一人暮らしを始める。上京には父の後押しもあった。ある日、勤めているパチンコ屋のお客に聴こえない女性がいて、その人の手話通訳をしたことがきっかけで、手話を学ぶ人と手話を言語とする人たちのサークルに加入する。若い人が多く、Codaって日本に2万人くらいもいるのにねえ、社会はわかってないのよねえ、という。

彼らの宴会がなかなか楽しいのだ。田舎では母と喫茶店で手話で会話していると好奇の目で見られるが、都会の大きな飲食店では、何人もでわーっと手話で会話して笑いあっていても、そうジロジロ見られない。大が店員に声をかけて、ほかの人のお代わりを声で注文しようとしたら、彼女らに止められ、彼女らはメニューを指さして、直に店員さんに注文するのだった。うん、何も小さくなることはない、堂々と自分らのやりかたをする方が素敵だと思う。大は一人で暮らすうち、だんだん人間的な深みを増し、故郷の良さを再確認していったようだ。もともと大は父母の世話をすることが苦痛ではなかったのだし。

 

縁あって三流週刊誌の記者をしていた大は、父の怪我の報を聞いて帰郷した。もう頑固な祖父はいなく、祖母は介護の必要な体になり、母は病院の掃除の仕事を得てまじめに働き淡々とくらしていた。父は案外元気で、大は母に見送られ東京に戻るが、昔、母と別れ上京したころを思い出していた。・・・大はきっとふるさとに戻ってくるだろう。そして、家族と彼らにとっての当たり前のくらしをしていくのではないかな、そう思える終わり方だった。(原作未読だけど)

 

これは見てよかったと思える映画だった。何よりも作品のつくり方が丁寧だなと思った。吉沢亮をはじめ、でんでん、烏丸せつこ、両親らの演技もとてもよかった。