晩年のアラン・ドロン
 
ほかのブロガーさんたちもたくさんブログを上げるのではないかと思うし、みなさん書き方の視点が違うかもしれないから、ただの素人目線で少し書いてみる。
 
今の若い人は名前も知らないかもしれないし、その作品を見たこともないかもしれない、私にとっても自分の親くらいの世代の俳優、アラン・ドロン、フランス人、日本では二枚目の代名詞。「笑点」大喜利の左端に座っている水色の着物の小遊三さんが時々言っている「いないいない~、アラン・ドロン」、客席のかたがたの年齢層はだいたい中高年が中心だと思われるので、みんなどっと笑っているが。
 
もとから俳優志望だったかどうかはわからないが、カンヌ映画祭に観光にきてスカウトされたという。就活に上京してスカウトされた羽山麻水みたい。そういえば、妻夫木くんや石田姉妹もスカウトだったような。見てる人は見てるんだね。私は絶対スカウトされない自信あるな。(何言ってんだか💦)
 
晩年の写真でもこんなにイケてるお爺さんなんだから、若い時はそりゃもう。
こんなん。
 
 
特に日本で彼を有名にしたのは、やっぱり「太陽がいっぱい」かな。あれは原作小説が「リプリー」という題で、近年また「リプリー」として新しく作った映画が公開されたけど、興行収入も評判もあまりぱっとしなかったみたい。ドロンの映画では、上昇志向と今いる境遇との差が大きい野心家の若者(それもすこぶるイケメン)が、ギラギラひりひりしていて眩しかった。結局そんな自分勝手な策謀は失敗するんだけど。画像が悪くてすみませんね。
 

 

私が彼の映画をみるのは、たいていテレビでだった。子供の時分は街の映画館で見られるのは学校の「許可映画」、つまり長い休みのときに地元映画館で上映される、文部省推薦のとかディズニーアニメとか。田舎ではそんなによりどりみどりでもなかったし。「太陽がいっぱい」も「冒険者たち」もテレビで。当時は今よりももっと暮らしかたが日本と欧米で違っていたから、洋画は憧れの対象だった。

 

 
中学でクラスメートになった友達に洋画好きの子がいて、彼女は「スクリーン」や「ロードショー」を購読していた。彼女はアラン・ドロン、そしてフェイ・ダナウェイ、ジャック・ニコルソンのファンだった。そのドロンとジャックの差、ものすごいんだけど。(◎_◎;)どうやって趣味嗜好が同時にドロンからジャックになるの?(あ、すみません、見た目の話です💦私は彼女と「俺たちに明日はない」を見て、ウォーレン・ビーティのファンになったんだけどね。)彼女に「ドロンが死んじゃったねえ」とラインしたら、想像よりもがっくりきてて、「想い出の人がだんだんいなくなっていく」と言っていた。(´;ω;`)
 
一方私はミシェル・ポルナレフ(知らないひとにはサッカーの応援で使われる「シェリーに口づけ」は彼の曲だと言っておこう)、フランソワーズ・サガン(小説家・一条ゆかりや落合恵子の影響で知って好きになった)らが好きで、気まぐれにラジオフランス語講座を聞いてる子だった。赤塚漫画のイヤミが「おフランス」と言ってるように、フランスは文化の面では尊敬と憧れの対象でもあったし、今は日本公開洋画と言えばまずハリウッド、あとはインドや韓国など様々な国のものが本当にいろいろ見られるようになったが(配信もあるし)、昔はもっとフランス映画の比重が大きかったと思う。あ、忘れてはいけない、今は邦画のレベルが高くてしかも沢山上映されるから、昔よりも邦画をより多くみてるなあ、私も。
 
私がドロンの映画をほぼ封切りで街の映画館で見たのは、字幕で「高校教師」だったか。昔の中学生にはちょっと刺激が強かったかも。凄くいい作品とはいえないけど、これがテレビとかで放送されるときは、吹き替えがあって、野沢那智さんの吹き替えが良かったんだわねえ。ドロンといえば、野沢那智。まだお若いのに亡くなったのが凄く惜しまれる。ラジオの深夜放送「パックイン・ミュージック」の「那智チャコパック」は面白かったなあ。
 
彼はイケメン人気俳優だから相当もてたとおもうけど、まず結婚したのはナタリー・ドロン。旧姓は違うけど、離婚後女優をしていたときも、ドロンと名乗っていた。
 
 
美人だけど顔がきりっとした男顔ぽくて、よく似たカップルだなあと思っていた。
 
そのあと長く結婚していたのが(籍が入っていたのかどうかは、事実婚率が3割もあるフランスだから不明)ミレイユ・ダルク。優しそうな雰囲気のある女性だった。
 
 

彼女とナタリーの中は悪くなかったので、こんな写真も。

 

 
彼女は7年前に亡くなっていて、ナタリーは2021年に亡くなったそうだ。おいていかれるのは寂しいね。
 

 

 
 
 
彼と共演した俳優たち。日本人では世界のミフネの三船敏郎と、ハリウッド代表チャールズ・ブロンソンと共演したレッド・サンという西部劇がある。列車強盗+日本と米国の修好通商条約締結のために持参した宝刀の奪還(だから武士が渡米していた)というちょっと荒唐無稽な感もあるストーリー。ドロンはミフネを敬愛していたそうだ。
 
 
よく比較されるのがジャンポール・ベルモンド。日本ではイケメンのドロンのほうが人気があったが、本国フランスではベルモンドのほうが人気があったという。アメリカではバート・レイノルズがロバート・レッドフォードよりも人気と聞いたときも(それは、ずっとではないかも)若い時の私にはそれがピンとこなかったが、今ならわかる気がする。男臭くセクシーだったりお茶目で親しみやすかったりする方が受けるのだ、特に欧米では。下はそのベルモンド。彼と共演した「ボルサリーノ」は、ギャングの話だけど、人気作だった。私はそれで初めてあの帽子をボルサリーノというと知ったのだった。(^^;)
 
 
ジャン・ギャバンと共演した「シシリアン」というマフィア映画もあったなあ。あのころ、西部劇もまだあったけど、ギャング映画も多かった。のちに「ゴッドファーザー」が作られて大ヒットしたし、それが流行りだったんだね。(1970年前後ね)
その後ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画にも出たけど・・・例の彼女がヴィスコンティ監督も好きでね・・・田舎の女子中学生二人は、おませで腐女子の卵でもあったのよ(;''∀'')・・・ドロンは「山猫」に出てたけど、私は共演したバート・ランカスターが好きだったの。それこそ、イケメンというよりは、強面な人なんだけどね。(^^;)あの時代の映画音楽は、モーリス・ジャール、ニーノ・ロータ、エンニオ・モリコーネ、フランシス・レイら、今でも思い出せる特徴ある素敵な曲が多かった気がするな。
 
 
一つの時代が終わった感じがする。二枚目俳優の代名詞だったアラン・ドロンさん、(榊原郁恵ちゃんの歌★の歌詞にもあったよね。ああでも彼女も私と同年代💦)
どうぞ安らかに。
 
★「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」という歌謡曲がありました。著作権、というか名前の使用権どうしたんだろ?それに今ならアル・パチーノって言わないかな?