そして、はっきり言って、小林監督(&脚本)、素晴らしいです。
榎田さんごめんなさい、もちろん原作あっての実写化です、でも、むしろこの実写は原作をある意味超えてます。
ストーリーが無理なく流れ、まとまっていて。原作を改変した部分も、嫌じゃないです。
そうか、そう来ましたか。敬服です。
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ネタバレが嫌な人は以下は読まないでね。(といってもざっとだけれど。)
二人とももう今がそうだとわかっている、最後の夜。雨が降っている。いつも肝心な時は雨だ。きっとふたりとも雨男なんだろうと満は思う。
満のベッドで浩一「俺、初めてなんだけど」「だから何だ、俺だって初めてだ。」とツンデレみっちゃん。(原作では心の中で、「もしお前がこれが初めてじゃなかったら殴る」と思ってる。(^^;))暑いな、と言って裸になる浩一。それを見てパジャマのボタンをはずし始めた満。二人服を脱いで並んで・・・浩一は言う。
俺やっぱり死んでると思うんだけど・・・ごめん、やっぱわかんないや。満はこれまでのように頑なに「お前は死んでない」と言わず、事故にあった朝からそう思ってたと思うのだった。
「みっちゃん、好きだよ」。「俺もだ」。満の心の独白。ごめんな浩一、俺があのときお前の死をどうしても受けいれられなくて、何かを無理やり捻じ曲げた。そしてお前にもそれを手伝わしちゃったよな。浩一はぽろぽろと涙をこぼし、泣き始めた。「みっちゃん、俺、多分、もう・・・。」
いやだよ、こんなに大好きなのに。嫌だよ。ごめん、みっちゃん。・・・うう、哀しい。( ノД`)そうか、浩一、こんな風に泣くのか。原作ではセックスしながらみっちゃんの顔の上に涙を落とすのだが、こっちの方が自然だと思う。満もぐいっと浩一のほうに向き直って(それは満が浩一と向き合う覚悟の表れでもあるのだろう)、「浩一、大丈夫だ、俺が死ぬまで覚えてるから。俺が死ぬまで決して忘れないから。」と懸命に言う。二人の純な愛情が愛おしく哀しい。「浩一、一番愛してる」。「一番、愛してる・・・」「一番だ、俺が死ぬまで一番」「ありがとう」
「もう泣くなよ」そして何度となくキスを重ねる。それは、本当に美しく切ない、命の最後に揺らめくろうそくの炎のようだ。浩一は愛惜の情を絞り出すように満にささやく。「みっちゃん」「うん」「しよう」黙ってうなずく満。
やはりこの先の映像はなく満のナレーションでまとめられたが、二人はその夜何度もキスをして、そしてひとつになった。・・・・(*malaviyaのため息①)
原作では、最中に満の上に涙をこぼした浩一に、満は、「もう、逝っていいよ、俺は大丈夫だから」と心でつぶやくのだ。
翌朝、目覚めると満の隣に浩一はいなかった。それは満にはわかっていたことだ。
キッチンでコーヒーを淹れていると、父が降りてきた。満が朝強いのはお母さん譲りだな。
父にもコーヒーを淹れて、久しぶりに向き合った。
お母さんのことを覚えてるか。あの人は自分の命がもう長くないことを知っていたので、幼い満が大きすぎるダメージを受けないように、わざと突き放したような厳しい態度をとった。お母さん、冷たかったろ。止めればよかった。それは間違いだと途中であの人は気づいたのだが。(その心残りのため亡くなった後も母は夫と息子のもとに暫くの間居残っていたのだろう)。・・・そんなこと今更言われても。早く教えてくれてたらよかったのにと思う満。俺は満が一番大事だとずっと言ってほしかった。そうだよね、子供は特にお母さんにはそう言ってほしいよね。(-_-;)
彼、浩一君、泊まったんだろう?・・・もう、帰ったよ。
彼はご家族にはまだ見えているのか?・・・えっ!?
父は浩一がすでに生きていないことがわかっていたのか?
「香住先生から(きいたの)?」「母さんの時と同じだった。驚いたよ」
父は妻が生きる屍でもまるで実体があるようにそばに居てくれて嬉しかったと、とても穏やかな笑みを浮かべて言った。満はどうしたら父のような心境になれるのか訊きたいと思った。「母さんは凄く優しく笑ってくれたよ。」「そうか、お前にも見えていたのか」鬼になったお母さんを動かした生命力の源は、夫と息子の差し出す愛と、息子の幼子パワーだったんだね。(´;ω;`)
父さん、与えられて奪われる悲しみはどうやって癒せばいい?
・・・ああ、彼は逝ったんだな。無理に癒さなくてもいいんだ。
父は満の頭をくしゃっと撫でて行った。満は堪えきれず泣き出した。
浩一の体は、事故の時跳ね飛ばされた野原(草叢)で発見された。原作では、5歳から12年間住み慣れた家に戻って、朝布団の中で死んでいるのが発見され、布団の中で死んでいたのにあちこちに骨折や傷があったから、当分の間その原因について詮索の騒動が起きたことになっている。そっとしてやってほしいと満をはじめ友人らは怒っていた。それはその通りだろう。だけど、野原で発見されたほうが自然だと思う。発見された時と死亡推定時刻には乖離があるけれど。
ここに浩一目線の回顧録が挿入される。浩一が数多の学生の中でみっちゃんに出会えたこと、見つめ合っていきなり恋に落ちたこと、父を知らず母に捨てられた浩一が、母の兄である伯父夫婦に引き取られて愛情を注いで育てられたこと。全て素晴らしい奇跡だが、一番好きなみっちゃんに誰より一番好きだと言ってもらえて、いつも自分は一番じゃないと感じてきたから本当にうれしかったこと、それこそが奇跡だ。
みっちゃん、奇跡をありがとう。一番愛してるよ。満ち足りた可愛い顔で眠る満に、ありったけの気持ちをこめて最後のキスをする浩一。(T_T)(T。T) (ちょっと時間長い。寝た演技してる井上君頑張ったね。)
5年後の夏。思い出のキャンプ場にソロキャンプに来ている満。
原作だと書き下ろされたのは20年後の浩一の墓参りなのだが、むしろこっちのほうがリアリティあるかな。
今は医学生の満。医学部は6年制なので、高校の友人らは社会人。夏休みで集まっているらしく、満のスマホに電話がかかってくる。浩一の墓参りに行ってくれたらしい。多分浩一が動く死体だったことは、満(原作では&すみちゃん)以外には忘れられているだろうが。
父は離婚が成立した香住先生いや遥さんと一緒に暮らしていると。(満は一人暮らししているのだろう)原作だと父は満が医師として独り立ちするまで香住先生に結婚を待たせたのだが、それはどうかなと思う。香住先生可哀想だ。それに結婚したとも言ってないところがさらにリアルかも。(^^;)
いくら泣いても泣いても、それでも悲しみは消えることはない。今でもふと浩一を探してしまう。満は玉ちゃんが送ってくれた浩一と自分の写真を見ながら思う。(そういえばあのとき玉ちゃんはカメラを持っていたっけね(;´・ω・))
浩一、まだ同着一位は現れていないよ。・・・・(**malaviyaのため息②)
お前を一番愛してる。
(エンドロールの画像。網の上にはタコさんウインナーもある。もし今浩一が生きてたらこんな感じ?いや満はソロキャンプでも浩一と一緒のつもりなのだ。水もカップめんも二人分持ってきていたし、前はラムネだったが今度は小瓶のビールで乾杯するのだ)
*①私、前から思ってたんだけど、セックスって、特殊でかつ特別(&マジカル)なコミュニケーションの手段じゃないかな。しかも、それはなんだか常に死と隣り合わせであるような気がする。胸や呼吸が苦しくなるとか恍惚とし気が遠くなるとかそういうこともあるけれど、なんとなく・・・例えば、業でも感じてるのかな、それともあっちの世界との境界を越えそうになるのかな。で、浩一と満には、精神的な愛だけでなく、これは必要なことだったんだと思う。
たとえ生者の世界で隠者になって生きようとも、浩一と一緒にいたかった満。彼らには一体化することが自然だったのだろう。
**②原作では20年後37歳の満がそう言っている。満がそれで幸せなら全く何もいうことはない。しかし、浩一が願っていたように、満には幸せになってほしい。そういう意味で、5年後のつぶやきであるほうがもっと現実味があるのかなと思う。ちなみに20年後「玉ちゃん」先生はアメリカで現地の男性と一緒に暮らしている。中高年になったときに一人ってやはり寂しいんじゃないかな。パートナーが「一番」あるいは「同着一位」の人じゃないにしても、心から信頼できて愛せる人であればいいんじゃないかな。
いつものように追加部分は青字です。
円盤はもう予約していましたが、滅多になかったことだけど二人のアクスタも予約しちゃいました。私、痛いオバサンかなあ。