今日までの時点で、「窓辺にて」、「向田理髪店」、「ミセス・ハリス パリへ行く」、「すずめの戸締り」の4本。
「窓辺にて」
これは今泉力哉監督脚本なので、興味をひかれた。主演は稲垣吾郎ちゃん。つい、慎吾ちゃんとか吾郎ちゃんとか呼んじゃうんだな、「スマスマ」をよく見てたから。(^^;)ちなみに私の推しは、彼のブレイク前からつよぽんだった。目立ってる人の後ろで静かににこにこしてるタイプが好みらしい。(それだけではなく様々なタイプを好きだけどね(;^ω^))
主人公は今ライターをしているけれど、その前に一作だけ素晴らしい小説を書いていた。なぜ小説を書かなくなったのか、その理由はなかなかわからなかったけど、全部見たらやっとわかった。彼は重要な賞をとった女子高校生小説家の作品の登場人物に興味をひかれ、取材を申し込む。小説家は玉城ティナ。ドラマ「ナイスフライト」では小憎らしい感じのある管制官候補生を、「グッバイ・クルエル・ワールド」では犯罪に加担する風俗嬢を演じていたが、この作品での彼女はちょっとそれらよりも段違いに良かった。吾郎ちゃんも、ひょうひょうとして、(私そういう人好みなんだけど(*^ ^*))ぴったり合っていた。監督の「当て書き」だった気がする。
吾郎ちゃんの妻(中村ゆり)は編集者で、今手掛けている新進小説家と浮気をしている。吾郎ちゃんはそれを知っているのに、なぜかあまり腹を立てない。問い詰めたりもしない。じゃあ彼女を愛していないのかというと、それも違う。妻にもそのお母さんにも思いやりを持っている。彼自身が、嫉妬・怒りなど強い感情の出てこない自分に驚き戸惑っているのだ。
それで友人夫婦(若葉竜也、志田未来)にうちあけて相談してみるが、それを聞くとむしろ友人の妻のほうが怒って、彼は追いされてしまう。(実は彼女の夫若葉くんも浮気しているのだけれど。)不貞なのは中村ゆりのほうなのだが、志田未来の反応が普通なのか?妻は夫の何に不満なのか。怒ってもらいたいのか。彼女は夫に愛されているのかどうか確信が持てないのではなかろうか。
なにか手に入れるとすぐに手放すという、受賞小説の登場人物のモデルになったのは、自動車整備工をしている彼氏(倉悠貴)。でも脚光を浴びた彼女から彼は離れる。そのことにじたばたして、吾郎ちゃんを呼び出しては相談したり何かとつき合わせたりする彼女。その会談(?)の場所がいつも昔ながらの喫茶店の窓辺なのだった。差し込む陽光にガラスのコップをかざして光を屈折させ、光の指輪をつくる彼女。のちには吾郎ちゃんも同じことをする。彼女にとってそれは淡い憧れなのか。彼にとってはそれは儚い愛の幻なのか。
見終わって思ったけど、やっぱり若い人の情熱や未来を信じる感覚や行動力って、違うんだなあ。大人たちがゆるゆると別れる道を選ぶ一方で、若い彼らはやり直す決断をするのだ。
3組(+2人)のカップルが登場したが、やりなおそうとするには本当にエネルギーが要るし、愛し合っていても添い遂げられるとは限らないんだよね。(妻の相手の若い小説家、私は彼が気になったなあ。(;^ω^))この作品は、見る前に思ったよりも心に余韻が残って、評価も良く、地元映画館でも1日1回でロングランしている。
向田理髪店
前にもご紹介した奥田英朗作品の映画化で、高橋克実さんが初主演。
九州の寂れゆく旧炭鉱町(ロケは大牟田)で、ほぼ町に一件しかない理髪店を営む向田家に、東京で働いていた長男和昌(白洲迅)がいきなり帰ってきた。会社をやめて、店を継ぐと言う。
父康彦は自分も父の病気のため東京の会社勤めを辞めて帰ってきたので、何かあったかと息子に尋ねるが、何も言わない。継ぐ気がないから出て行ったはずなのに。いぶかる康彦と対照的に、母(富田靖子)はうれしそう。この母ちゃんがなかなか良かった。さっぱりしていて能天気。家族を愛して働き者、汲々としたところがない。
街は過疎化高齢化で空き家も増え、若い人がいなくなり、危機感は持っているが、康彦も親友のガソリンスタンド経営の瀬川も電器屋経営の谷口も、策はもっていない。しかし和昌はカフェ併設の床屋、瀬川の息子陽一郎は漫画専門本屋併設のガソリンスタンドを作って文化を発信するという。彼らを青いと一蹴する親たち。でも、町おこしのための勉強会では、彼らの計画が(というより意欲が)出席者らから褒められる。康彦はネガティブなことしか言わないので、息子が引き立ったのだ。
嫁不足で中国から花嫁をもらった結構いい歳の蜜柑農家、女手一つでスナックをやりながら息子を育てたが、都会の息子から数年連絡がないスナックママ。田舎の悩みが網羅されている。親の病気で都会から帰ってきた幼馴染にもつい反発してしまう康彦。だがその父が倒れた時は、とても親身にこまやかに面倒をみる康彦なのだ。
そんな町が、なんと映画のロケ地に選ばれた。その中身はレオンにかなり似ていて、拳銃を撃つアクションシーンもある。目新しいことのない町では、町をあげての大騒ぎとなり、和昌の母らもちょい役をもらって出演するし、和昌は勉強のためにヘアメイクアーティストにつかせてもらって、その面白さに目覚めていった。実は和昌も康彦も、敗北感を持って勤めを辞めてきたのだったが、和昌には新しい夢ができた。だが地元試写会の日、町民たちは映画をみて理解できず「なんじゃこりゃ」とがっかりしたのだった(-_-;)。
ある日、スナックママの息子が詐欺の片棒をかついだとして警察に探されていると知ると、3人組はママを心配してこっそり訪ねて差し入れを渡して励ましたり、帰ってきた息子を和昌と陽一郎が亡き陽一郎のばあちゃんの住んでいた空き家にかくまって自首を説得したり、ほとんどが顔見知りなここの住人たちには互いに垣根がなく親切だ。田舎はそれがいやだという人もあろうが、昔3人組のマドンナだった美少女の一人娘も、都会の暮らしに疲れてこの町に帰ってきてバーを始める。町はさびれても、人は変わらず温かいから、と。
そしてなんと、あのなんじゃこりゃ映画は、有名な賞を獲ってしまった。(@_@)あらためて凱旋上映が行われた公民館で、康彦は、画面を見ながら滂沱の涙を流すのだった。悪口しか言っていなかったけれど、康彦はこの町を本当に愛しているのだから。
私も少子高齢化のスピードがほぼ日本一の場所に住んでいるから、彼らの不安や焦りはよくわかる。けれど、ふるさとの山河と、人と人とのつながりや思いやりは大切に残していきたいなと思う。