一言でいうなら、愛らしく清らかな(ユーモラス&健気でもある)作品。クラシックの小品のような。大作ではないけれど、親しみやすくてふと気持ちや時間が空いたときに聞きたくなるような。それらは主演の檀れいさんが演じる花村理子のキャラクターでもあると思った。

残念ながら私にはあまり素養はないが、クラシック好きな人や、オーケストラで使う楽器をやっていた人には「あるあるネタ」がいっぱいあるのかな。(いくつか描かれていて、へえ~と思った。食後の歯磨きとか,前歯が抜けるとか(^^;))

 

また出してきたこの写真。(^^ゞ

この美しい景色も重要な要素だと思う。これは地方のアマチュア交響楽団の話であり、やはりふるさとの母なる山河の景色は、音楽と同様に心を涵養してくれるものだろうから。水谷豊監督も、きれいで流れの速い川辺や、背景に連なる高い山々を印象的に美しく撮影している。

(撮影監督は別にいる)ロケ地は信州、松本や上田らしい。

 

 

冒頭からコンサートの様子が映し出される。実物の西本智実さん指揮の、イルミナートフィルオーケストラの演奏。素晴らしいし、西本さん(ちょっと老けたな(^^;))相変わらずカッコイイ!女性指揮者って、私は西本さんしか見たことがない。そして彼女が後々あんな重要な役で出てくださるとは思わなかった。コンサート会場も、ヨーロッパロケ?と思ったくらい素敵だった。あれはどうも外観が赤坂の迎賓館らしく、内部の客席は横須賀の芸術劇場らしい。いかにもオペラハウスのような構造。

 

地方都市・弥生市で、アマチュアの弥生交響楽団の運営(主宰)と家業の経営を父から受け継ぎ、18年間支えてきた理子のブティック「花村」も、一緒に支えてきた理子の先輩の鶴見(石丸幹二さん)の中古車販売業も、時代の変化と不況により経営が不振になり、自治体に芸術に対する補助金を申請するも全くあてにならず、年に4回だった定期演奏会も2年前から2回に減らさざるを得なくなり、すなわちそこから入る収入も減り、もう解散するしかなくなってしまった。でも最後の花道に、できるだけのことをして解散コンサートを開催しようとする。

 

そのことを団員に話すも、団員の反応はさまざまである。居場所がなくなると思って落ち込む者、最後のコンサートを大成功させようと意気込む者、醒めている者、どうせ自分は近々転勤でいなくなるし~とお気楽な者。(・_・;)理子も、もとからお嬢さまではあるのだが、父の逝去後母(檀ふみさん)がくも膜下出血をやって、以後ずっと自宅療養しており、しかも認知症も加わって夫が死んだことも忘れていて、いろいろと大変な日常なのである。

 

予算がなくても毎月理子の音大時代の恩師である指揮者藤堂先生(水谷さん)に、東京から来ていただいて練習をしていた弥生フィル。白髪交じりのベートーベン頭の風貌だが、先生の指導は温かい。しかし解散を告げる前の最後の定期演奏会の舞台で、楽曲が終わると藤堂先生が鼻と口から血を流して昏倒してしまう。病院に搬送されると、彼の咽頭と食道に癌ができていることがわかった。その状態でよく通ってきていたと感心する主治医(小市慢太郎さん)と後輩医師(←この人のしぐさがコミカル)。先生に家族はいないと言うことだったが、あとで「家族の承諾を得て手術することが決まった」と病院から知らせを受けた理子と鶴見。その家族とは?なぜか伏せられている。

 

 

トランペットの田ノ浦(町田啓太君)とバイオリンのあかり(森マリアちゃん)は、5年前に入団した同期で、お付き合いしているようだ。彼女は「花村」に勤めているし、お父さんが亡くなって音大に入学するのを諦めた自分が楽団に入れてバイオリンを弾けることを喜んでいるし、理子を姉のように慕っている。一方鶴見の会社に勤める田ノ浦はやや斜に構えている。会社で上司から「音楽より仕事しろ」みたいな文句を言われていることもあるのだろうし、やっぱりクラシックじゃやっていけないな、これからはジャズかなあなどと思っている。

 

なぜか楽団内には対立する二人がいるようだ。副指揮者(河相我聞くん)と第一チェロ(原田龍二さん)の二人はことごとく食い違い、どうも指揮者の彼のほうが新参で浮いていて支持者が少ないみたい。なぜ対立しているかははっきりしないし、この二人のエピソードは必要だったのかなあ?終盤でこの二人の因縁が明かされると、つまりテーマの一つであるらしい「家族を大切に」に関わっていたのね、とわかるが。

 

 

ほかの個性的な楽団員らは、オーボエの田口浩正さん、フルートの主婦藤吉久美子さん、ホルンの田中要次さん、コントラバスの六平直政さんなど。理子の家の家政婦さんにお久しぶりの松金よね子さん、田ノ浦の上司にHideboHさんら。この作品には悪役は出てこない。ちょっと道を踏み外しちゃった人は出てくるが、改心して赦されている。そして全体にユーモアがある。ちょっとクスっとするところが散りばめられていて面白い。そこが水谷監督のアイデアの産物らしい。演技や人物のイメージも、はじめ稽古前に出演者が思っていたのよりも、もっとコミカルになったようだ。そう、この作品はコメディなのだ。

種々の(大人の)事情により解散コンサートの開催も難しかったのだが、青天の霹靂もしくは天恵とでも言うべきことが起こり、コンサートの開催が可能となった。藤堂先生も、術後経過が順調で、手術をして声は失ったが専用マイクロフォンを首にあてて、弥生のメンバーにファイナルコンサートにむけ激励のビデオメッセージを送った。ハスキーだけどいい声だった。昔に比べたらあの「電気喉頭」って性能が上がったのかな?以前はもっと機械的なロボット声しか出なかったと思うが。(ちなみにつんくさんはそれを嫌ったのか電気喉頭も食道発声もせず筆談にしている)

 

そして最後には、イルミナートフィルと弥生フィル選抜メンバーとで合同コンサートが開かれ、素晴らしいボレロの演奏が聴衆(映画館の私たちもね)を包み込むのだ。

音楽の力の偉大さ、人と人のつながりの大切さ、家族を思いやる心、自らのアイデンティティーを作るふるさとの存在などなどを、笑ったり演奏に感動したりしているうちに感じられる作品だった。

監督脚本の水谷さん、指揮の西本さん、オーケストラの面々、そして1年もの間懸命に楽器の演奏を覚え練習したキャストのかたがた、ありがとう、お疲れさまでした。