マウスとキーボードの操作をやりすぎて(?)首から肩にかけて痛くなることを時々繰り返している。それで、しばらくブログの更新ができなかったけど、1週間近くたって少し楽になったので。
 
7月下旬から8月中旬にかけて見た3本。
まず、細田守監督「竜とそばかすの姫」。
細田監督のアニメ映画は、やっぱり「時をかける少女」と「サマー・ウォーズ」が傑作かなあ。「おおかみこどもの雨と雪」も好きだけど、せつな過ぎてちょっと苦しいから。(もちろんこの際「なんでオオカミ人間(いるの?)と結婚出来てお産できるの~?」なんてことは無視してるのだが。)
仮想世界「U」で自分とは違うキャラクターを生きるなんてことは、今なら十分現実にできそうなので、その点タイムリープものや他の生き物との婚姻や生活(バケモノの子)なんてのよりはリアル。しかもユーザー数50億って?世界人口を仮に70億としても、それじゃあ十分に現実社会の裏社会である。で、そこまで母体が大きくなると、現実社会でもあるいじめやヒエラルキーは、そういう社会でもちゃあんとあるんだよねえ。やれやれ。(-_-;)
現実世界に居場所がなくてそういう仮想世界に居場所を見つけても、やはりそこでいづらくなってしまう人もたくさん出てくるんじゃないかなあ。
そしてそこでもコロナの自粛警察みたいな組織ができていた。私としてはその組織が、「公」のものなのか、自然発生でできて、リーダー格のアバター(ここではasという)がしきっているだけなのか知りたかったが、一回見ただけではわからなかった。
・・・・すみませんね、細かいところには目をつぶってるんですが、気にはなるんですよ。(^^;)
子供みたいにストーリーだけ追うってことができなくなってきてるんですよねえ。
主人公の女の子の歌はとても素敵だったし、土佐の自然もとても美しかった。じっと見守ってくれていた男の子の存在も、気安く話せる男友達もよかったし、プロデューサー的な女子の親友も心強かった。そういう友達が全くいないわけではないんだから、そう暗い生活でもないはずなんだがなあ。しかし、お父さんに対しては冷たいな。
普段彼女は(もう主人公の名前忘れてるのよ(-_-;))引っ込み思案でおどおどしてるんだけど、Uの中では堂々と美しい歌が歌えて、自由に勇敢に行動できる。本当の彼女はこういう人のはずなんだけど。だって、自分の命をかけて見知らぬ子供を助けたお母さんの娘なんだから。
私なんかお父さんに同情しちゃった。最愛の妻をなくして、しかも娘によそよそしくされてるなんて気の毒で。お母さんが命を落とした時に、お父さんがいなかったけど、それ?
あと、竜の本体の虐待されてた子たちに気づいたときに、助けに飛び出した彼女をなんで大人は一人でいかせたのかな?「かわいい子には旅をさせ」なわけ?お母さんの友達だったコーラスのメンバーの誰か一人でも、一緒に行かないものかねえ?その後も竜の子らの父は見知らぬ少女になんで手をあげるかなあ・・・などと、腑に落ちない私なのだった。
もちろんなんだけど、ハッピーエンドで良かったわ。この作品も次の作品のようにノベライズとか読むともっとわかるのかな。
 
 
2本目「太陽の子
日本でも戦時中に核爆弾を作る研究をしていたという話は知らなかった。まあ、あっても不思議ではないけど。それにしても、学徒出陣の始まったあとの京大の中の研究室で、あの設備であの原料不足で、しかもしょっちゅう停電するという状態ではろくな研究成果はあげづらいと思う。今も昔も日本の文教・研究予算は乏しい。(-_-;)
建物疎開なんて、若い人たちにはわからないかな。(いやまて私だってリアルタイムでは知らない(^^;))昔日本の都市はごちゃごちゃと狭い道の両側に木造建築が建っていたので、空襲で爆弾が落とされると、火災が拡大しやすく避難がしづらかった。それで、強制的に道に面した家々が取り壊されたのだった。「お国のため」なので文句も言えず補償もなく、有村架純の演じる世津も、迎えにきてくれた親戚の修兄ちゃん(柳楽優弥)宅に、脳卒中のあとらしい祖父(今は俳優の山本元監督)とともに身を寄せる。
修(シュウ)はそれこそ実験バカみたいな物理学者。海軍の要請でまじめに核爆弾の研究にうちこんでいる。戦争を終わらせるために、アメリカやソ連よりも先に実験を成功させたいと思っている。同じ学生が戦地に出陣しているのに、自分たちは何をしてるのかという焦りもメンバーにはある。世間では敵国語は使用禁止のはずだが、この研究室では使用しているし、英語のラジオ放送も情報収集のため聞いている。
そして弟の裕之(三浦春馬)は、亡父のあとを継いで軍人となり海軍の兵役についているが、肺を病んで一次帰郷する。世津とこの二人は幼馴染でいつも一緒に遊んでいて、世津は裕之兄ちゃんと修兄ちゃんが大好きだ。
でもなんだか修は遠慮がちに見える。幼いころコマ回しして遊びながら、裕之に勝ちをさらっていかれても黙っているのを、母(田中裕子)は抱っこしながら、「お前は長男だから遠慮しなくてもいいのよ」「いつかコマがなぜ回転をやめると不安定になるのかお母さんに教えてね」と言う。ここ気になっていたが、どうやら修はこの家の実の子供ではないらしい。
軍人らしく、国を守るために勇んで死のうと思っている裕之。ある日三人は母にすすめられバスで海辺に遊びに行く。帰りに当時のこととてバスがエンコしたため、山中でほかの乗客と野宿するはめになるが、夜中修が目を覚ますと裕之がいない。修と世津がもときた道を走って裕之を探しにいくと、彼は海の中にずんずん入っていこうとしていた。それを必死で浜に連れ戻した修。裕之も実は戦地に戻ることへの絶望感でいっぱいだったのだ。
裕之は8月末という予定をひと月早めて戦地に戻ろうとする。夜縁側で酒を酌み交わす兄弟が、「世津を幸せに」「いやお前が」などと言っていると、「そんなこと勝手に決めないで」と世津がやってきて、「私は戦争が終わったら、学校の先生たちが復員したり疎開から戻るまで、代用教員として子供たちの教育を担うわ」という。今軍需工場で一緒に働いている少女たちは、お国のためにさっさと結婚して子供をたくさん産んで、その子らをお国に捧げると本気で考えているのだと。そうさせてしまったのは私たち大人なのよ。「お前は戦争が終わったあとのことを考えてるんだな」と感心する男たち。そうですよ、女性はこうでなくちゃ。一番現実を見て、子供たちや社会の先のことを考えるのが女性なんだと思う。
裕之は母がなけなしのお米で握ったおにぎりを持って出征し、もう生きては帰ってこれない作戦に従事すると手紙をよこした。母は喪服を着て仏壇に向かう。
そして広島長崎に原爆が落とされ、次は京都だと噂された。修は母と世津らに疎開をすすめ、自分は爆弾の影響を観察するために比叡山に上るという。母は、科学者としてそれが修の出した結論なら反対はしないが、自分は科学者の親としてここに断固として残るといい、また裕之と同じ大きな塩結びを握って玄関においておいてくれた。
これはもう二度と会えないかもしれない自分たちの、死出の旅路の別れのはなむけなのだろう。(-_-;)
セミや鳥のさえずりが聞こえる夏の真昼間、比叡山で京都の街並みを望む場所に陣取った修はおにぎりを食べ始めながら、ぼろぼろと涙をこぼし、たまらなくなって何も持たずに山を駆け下り始める。転びながら走り降りていると、「修兄ちゃん!」と呼びながら世津が走ってくるのに出くわした。何か言っているもそれは音にされていない。修はがっしりと世津を抱きしめた。このあたりから、映画の終わりの部分は何も説明されていないのである。最後のエンドロールでは三浦春馬ともうひとりの人に捧げるとクレジットが出るが。(柳楽優弥はいい役者だ。「誰も知らない」のときから注目している)
うーん・・・と考えながらホールの階段を下りていると、見知らぬ若い女性に声をかけられた。「あの、最後のところわかりましたか?」と。え?なんで私に?「この映画は終わりのほうの世津のセリフがすべてではないでしょうか?」というと、「なぜおばさんを置いて山に登って行ったのでしょう」と。そこか。それは、命の最後に誰といたいかといえば、それが修だったから、いてもたってもいられなかったんじゃないかなあと思ったが、「お互い考えましょう」ということにした。でも、あとで「キネマの神様」を見にいったとき、本屋さんに寄ったら「太陽の子」のノベライズ本があったので思わず買ってしまった。終わりのほうを先に読んだら、納得。当然だ。
玉音放送はいつなんだ?と私も考えていないではなかったのだ。
そして今日は終戦記念日だ。
 
キネマの神様
山田洋二監督の作品。主要登場人物の若いころと現代とで、演じる俳優が交代する。
若いころの、映画助監督で映画への情熱があって明るく人気者のゴウが菅田将暉、その友人で映画製作スタッフの、知的で穏やかで気のいいテラシンが野田洋次郎。マドンナの淑子は撮影所近くの食堂兼居酒屋の娘で、永野芽郁。気立てがよく可愛い。それが現代はゴウが沢田研二でテラシンが小林稔侍、ゴウと結婚した淑子が宮本信子となる。
映画監督にリリー・フランキー、主演女優園子に北川景子、ゴウと淑子の娘で離婚して派遣社員のあゆみに寺島しのぶ、その引きこもりがちな一人息子に前田旺志郎で、本当に芸達者で味のある人たちのオンパレードだ。
この映画は若い時の前半を撮り終わってからコロナ禍で中断を余儀なくされ、しかも老年のゴウをやる予定だった志村けんがコロナで亡くなってしまって、急遽志村けんの友人だった沢田研二に代わりをお願いして撮影したという事情は有名である。
結局自分が脚本を書きメガホンを取って撮るはずだった映画は撮れなくなり、映画界を去ったゴウに長年健気についてきた淑子。ゴウはばくち好きで酒好きで家族の知らないうちに借金をつくり、娘が退職金で穴埋めしてもまたいつのまにか借金をしているような困ったお父さん。シルバー人材センターに登録し公園のお掃除バイトをしている。淑子はテラシンが営む古びた映画館で掃除のパートを。でもある日、昔ゴウが撮るはずだった映画の脚本をテラシンが見つけて、ゴウは孫とともにその脚本を現代風に書き直し、脚本コンクールに応募して、権威ある賞を受賞する。そのうちわのお祝いパーティの席でゴウが東村山音頭を歌ったので、びっくりした。(;^ω^)あの、沢田研二だよ、ジュリーだよ。このヒゲのおじさんが、あのスリムでおしゃれでセクシーで、歌もつやっぽかったジュリーなんだねえ。…自分だって年とってるのにね。
(-_-;)だけど、彼の演技はホントよかった。
この話は山田洋二版「ニュー・シネマ・パラダイス」。映画への愛とオマージュに溢れていた。
 
ところで、ついさっきNHK BS3で「ライオンのおやつ」最終話を見終わった。
ちょうどお盆に、雫ちゃんが亡くなった回を放送することになったんだわね。