とわ子の母が出さずに遺した手紙を見つけたとわ子。まるでラブレターなのだが、とわ子には相手に心当たりがない。唄に促されて一緒に家に会いに行ってみると、現れた「まー」こと真さんは女性(風吹ジュン)だった。私、なぜかそんな気がしていたのだったが。

真さんは母と幼馴染で少女の時一緒にバレエを習っていた。とわ子とかごめが昔一緒に少女漫画を描いていたように。家庭と娘を捨てても「まー」のところに走りたかった母つき子だが、思いとどまっていた。自分は愛されていなかったのかと思うとわ子の疑問を察した真さんは、「つき子は私のことも、ご主人のことも、あなたのこともとても愛していた」と語る。全部本当で、それがつき子なんだと。そんな彼女をまーさんも愛していた。

唄が率直に「二人は恋人だったの?」と尋ねると、ちょっと感動して、そういう風に言えるなんていい時代になったのねと。そう、お母さんの時代にはとても口にできないことだったに違いない。今になって余裕をもって振り返れるまーさんとつき子さんには、いい思い出がたくさんあるのだろうか。とわ子は「また訪ねてきていいですか?」と問い、まーさんはにっこりうなずく。

 

とわ子の父(岩松了)は、3人の元夫同様に、愛すべきしょうがない人だ。詳しくは知らないが、選挙に何度も出ていること(落選続きだが)からも、とわ子がちゃんと教育を受けていることからも、再婚した奥さんとの家に孫娘の唄が通学のために居候していることからも、ちゃんとしたステイタスとスタンスの人だというのはわかる。ドラマ初頭の親戚の結婚披露宴やとわ子の家に押しかけての餃子パーティーなどからも、困ったちゃんなのはわかるが、愛嬌がある。(どうでもいいことだが付け足すとうちの父は母が亡くなる直前に離婚した。)

その父に昔子供のとわ子と母とを措いて家に寄り付かなかったことを詫びられる。「転んでもひとりで起きられる子にしてしまって、ごめんね。」

とわ子は、「一人で起きたけど、一人きりではなかったよ。いつだって誰かが助けてくれたよ。」という。(確認していないのでセリフが違っているかも。m(__)m)

 

一人で生きていける、でも大事にもされたい。(むっちゃくちゃわかる)

正直に懸命に生き、働き、人を愛するとわ子だから、寄り添う人は現れるのだろう。

今もとわ子に未練たっぷりの3人の元夫もそうだ。唄も、自分が医者になるという目標を捨てて、西園寺君というBFが医者になったらその奥さんとして支える、なんて言っていたが、そのBFが人間としてどうも最低ぽい。唄もわかっているだろうに恋をしているから吹っ切れない。しかしやはり母をみていたためか、自分で医者をめざすことに決めなおしたようだ。

3人の元夫たちはあいかわらずとわ子の周りに集まってくるが、とわ子は辟易しながらも、もう彼らが笑っていてくれればそれでいいやと思うのだった。・・・うん、それもなんだかわかるなあ。私にはそれほど経験ないけど。

 

おまけ1:坂元作品には、社会の底辺近いところで苦しみもがきながらも前に進んでいく人たちがよく描かれるが、本作ではむしろややセレブな人たちが登場人物だった。その意図はわからないけど、人間はみな同じだから。同じように悩みも悲しみも愛もある人生なのだ。

 

おまけ2:第一部から第二部にかけて、順繰りに、「不在の人」が登場する。はじめはかごめの救急搬送で音信不通になったとわ子。次に、かごめがいなくなってから時々店を休んで旅に出ていた八作。それから広島に仕事で行ってなかなか戻らなかった二番目の夫鹿太郎(東京03の角田)。そして最終話でハワイに行っていた慎森。ストーリーはその人たちがいなくても、まるでいるかのように噂などしながら進行する。「ゴドーを待ちながら」のゴドーとか「桐島、部活やめるってよ」の桐島君みたいだ。これも本作品の実験なのか?いきなり伊藤沙莉のナレーションで始まり、その回のハイライトを見せたり、振り返ったとわ子がカメラ目線でタイトルを言うのと同じように。

 

おまけ3:とわ子の名字が珍しいものの割には、元夫たちの名字が田中とか佐藤とか仲村とか普通だったが、それ以外が綿来とか甘勝とか西園寺とか小鳥遊とか松林(しょうりん)とか珍しかったのは、これも坂元氏の意図する何かがあるのだろう。ありふれた姓は、「その他大勢」的な?いやむしろ落ち着いた普段の幸せの象徴なのかな?