最近8日間のうちに映画館で3本映画を見た。

まず「ヤクザと家族 The family」、数日後に「名もなき世界のエンドロール」、そして「すばらしき世界」。期せずしてみな反社(というか裏稼業というか)がらみの作品になってしまったが。

(本来あまりヴァイオレンスシーンの出てくるものは好みじゃないので、町田君の出てるものでも見られていないものもまだまだある。「世界のキタノ」のはほとんど見てないし、三池崇史監督の作品なんか、指の間から見てたりという感じ。)

でもこれらの作品に共通しているのは、反社というより家族、または家族的なつながりについての考察であり表現でありシンパシー、またはノスタルジーなのかな。

 

「ヤクザと家族」では、昔ながらの「アニキ」とか「オヤジ」とかいう関係がまだ残っている組で、誰かがやられたら敵は必ず取るとか、「おつとめ」を終えて帰ってきたら必ず面倒をみるとか、そういった昔ながらの義理と人情の世界があった。主人公山本賢治は綾野剛で、孤独な彼を面倒見たのは舘ひろしの親分だった。また、やくざ者の夫を殺され細々と焼肉屋を経営しながら息子を育てる母(寺島しのぶ)の力になっていた。しかし彼らのような昔ながらのやり方を馬鹿にし、警察の一部と組んでのし上がる対立反社もいて、そのため殺人を犯した若頭であるアニキ(北村有起哉)の罪を自らかぶった賢治がようやく出所した時、世の中は変わっていた。「暴対法」のおかげで組は崩壊寸前だった。オヤジも癌で死にかかっていたし。

組をやめて真面目に働き家族を養っているものもいた。賢治も自分の彼女がまだ町で暮らしていて、実は子供も生まれていたことを知り、なんとか職を得て働き始めるが、SNSという現代のバケモノがそんな彼らから容赦なく職や家庭を奪っていった。

そして結局家族に去られた賢治は、寺島しのぶの息子翼(磯村勇斗)がようやくわかった父親の敵をうとうとするときに、代わりに自分が殺人を犯す。だが同様にSNSで家族を奪われた舎弟の市原隼人に、恨まれ刺されて岸壁から海に落ちて死ぬのだった。自分も家族をもって、ささやかな幸せを得て生きていきたいという願いはかなわなかった。しかし、罪を犯す前に救われた翼のこの先、また、岸壁に花を手向け、偶然出会った翼に「父のことを教えて」とたのむ賢治の娘の瞳には希望がある。みんな芸達者な役者さんたちだったが、磯村君、なかなか良かった。

 

「名もなき世界のエンドロール」では、両親のいない3人の幼馴染(岩田剛典、新田真剣佑、もうひとりの女の子の名前はしらない(^^;)→山田杏奈さんだって)のかけがえのない友情と愛情を奪った、他人を顧みない情けのないセレブの傲りを、二人が粉みじんにするストーリー。愛する人と家族になろうとしたのに、それをいきなり奪われた悲しみと絶望が、奇想天外ともいえるような復讐劇に繋がっていった。友のためにというか、居場所を奪われしかたなく裏社会に潜るキダ(岩田君)。のし上がるマコト(新田君)。いったい、キダが必ず「ひっかかる」のは人が良すぎるからなのだろうか。

「その缶、持ち上げちゃダメ~!」と私も思わず叫びそうになった。(←謎)でもそうしなければ復讐劇は終わらなかった。

しかしこの続きをdTVだけでやるって、何なんでしょう?(>_<)

 

「すばらしき世界」これは西川美和監督の作品。だからヒューマンドラマ。珍しくオリジナルでなく佐木隆三氏の「身分帳」が原作。

まっすぐすぎる性格+粗暴で、ふり上げた拳を途中のいいところで下せない不器用な男・三上(10犯6入つまり人生のほとんどを刑務所で過ごした)を役所広司がさすがの名演技で演じていた。

彼は社会の変化についていけないし世の中ちっとも甘くないが、それでも懸命に生きていこうとする。そんな彼を身元引受人の弁護士の夫婦(橋爪功、梶芽衣子)や、いきつけのスーパーの店長(六角精児)が励ますようになる。また彼をルポした番組をつくろうとして近づいたテレビマンからも彼を信じて寄り添う者が現れる。(仲野太賀)

彼はただ自分を施設に預けた、芸者だった生みの母を探したかったのだが、思うにまかせない。それでも、事件を起こしたために離婚せざるを得なかった妻(安田成美)には、まだ愛想をつかされていなかった。

最後、やっぱりこんな風に終わるのだなという感慨があったが、それでも彼の人生には、こんな家族的な彩があって良かったなという思いも湧いた。この矛盾や偽善や苦しみに満ちた娑婆の世界にも、素晴らしいところもあるんだな。「空が広い」からかな。