写真と本文は関係ありません。(^^;)今日買ってきた”an・an”の2週連続特集の写真から、目の保養(?)に。ドラマ「チェリまほ」って、改めて実は奇跡的産物だったという気がします。

さて、Facebookにユキ・ラインハートさんが書いていたお話です。彼女もどこかから聞いてきたフィクションですが。≪ある日、とある男が自分の息子を車にのせて出かけたが、運悪く事故にあって車は大破し、二人が病院に運ばれる途中父親のほうは亡くなった。重傷の息子が病院に到着したとき出てきた外科医は、(取り乱して?理由は不明)「私は彼を手術できない、なぜなら彼は私の息子だから」と言ったとか。これはどういうことでしょうか。≫(要旨・原文のままではありません)
え?父親は亡くなったんじゃ?とつい私も思っちゃいましたが。でももうちょっと考えたら、簡単なことでした。この外科医はお母さんだったのです。女性の外科医だったのでした。
外科医=男性、とついつい刷り込まれていたんですよね。もちろん今は女性の外科医もたくさんいますが。それに、自分の身内が重傷で運ばれてきても、嘆き崩れるのではなく、だからこそ助けようと自分を叱咤して気丈に手当てできる人もむしろ多いと思います。なんたっていつもそういう場に身を置いている外科医なんですから。
外科の中にもいろいろあるし、呼称が外科じゃなくても外科系と呼ばれる科には、眼科・皮膚科・耳鼻科・整形外科など手術を行う科があって、こちらはもっと女性医師が多いです。歯科・口腔外科もありますね。でもつい先に男性を思い浮かべてしまったのでした。
こういうのがジェンダーバイアスなんでしょうね。森 元首相は確かに旧態依然とした日本の男社会の象徴ですが、自分も多少はそういうところがあったわけです。
そのほかにも、職場や家庭で「お茶をいれるのは女性」とか、「力仕事は男性」とか(力もちは男性のことが多いけど)、学校の制服は女子がスカートで男子がパンツとか。いろいろあげるとキリがないですね。
「前田建設ファンタジー営業部」についてブログ書いたときに、「男だったら土木建築方面にいったかも」と書いて、自分でもなんだか性別の記載に違和感を感じたのでしたが、それには実はうちの家庭の事情があったんです。うちには父がいなかったから、母は、「これからは女でも勉強し資格をとって社会的に力をつけ、一人でも生きていけるように」といつも言っていました。「男だったら何をしてもなんとかなる、でも女の場合そうはいかない」と。
教育熱心な母が頑張って育ててくれたおかげで、大学を出て資格をとり、今こうして経済的にもそう大きな心配なく生きていけているわけですが、選択肢的には狭まりました。
特別に建築方面にいきたかったわけではありませんが、例えば「考古学や地質学をやって、世界や日本のあちこちで地面を掘っていたい」とかいうロマンティックなのは、無理でした。実利本位。(;´∀`)
大抵のプロフェッショナルの世界は、昔は男社会、今でもかなりそうですよね。
でも、私が進路を選んだ時より、今の日本では、種々の未開拓の分野に進んだパイオニアの女性たちのおかげで、道はいくつもできて、その細かった道も次第に幅広くなって続いてきていると信じています。・・・いや、私そんなにトシとってないですけど。(と思ってるのは自分だけ?)(-_-;)
そして、今回のお恥ずかしい騒動をきっかけに、もっとみんなが変な刷り込みに気づいて、フランクに語り行動できる日本社会になればいいなと思います。