それからというもの | きいろ日記

きいろ日記

主に目で見て、耳で聞いて、心で感じたことを書いていきます。

「お忙しいところ、すみません。私、アルバイト情報誌を拝見しました灰原と申します。」
私は、電話越しにそう言った。
「灰原さんですね。失礼ですが、下のお名前と生年月日を教えて頂けますでしょうか。」
電話の向こうでは、中年女性とみられる声が聞こえてきた。
「はい、灰原和俊と申します。生年月日は、昭和5428日生まれです。母は難産で、私が、生まれる時、逆子になるかもしれないという不安もあったらしいのですが、何とか、無事、出産致しまして、小学校に入学します。それから、活発な友達に恵まれ、有意義な小学校生活を送りました。小学生の時のあだ名が、カズくんでして、クラスメイトからは、『カズくん、勉強ばっかしてたら、その内、頭から血が出るよ。』と言われるほど、勉強熱心な子供でした。それから、中学校に上がりますと、世間一般の中学生と同様、反抗期を迎えまして、親に怒鳴り散らすことも多かった様に思います。勉強も疎かになり、部活の方が忙しくなり、あっ、私、サッカー部に所属していたのですが、なかなか勉強にも身が入らなくなりました。それからというもの、サッカー部のキャプテンを務めまして、中学生活三年間は、サッカーに夢中でした。それも束の間、高校に入学致しますと、進学校だったせいもあり、勉強にも精を出し、がむしゃらに勉強し、何とか、二流の大学に入学できまして、親を安心させたという経緯もございます。その甲斐あってか、大手では、ないにせよ、企業にも無事に就職することができまして、ITの仕事を数年間、務め上げました。ところが、その企業も敢え無く、倒産し、どのように過ごせば良いのかわからない毎日に、自問自答しながら、ここまでやって参りました。無事に何とかやってこれたのも両親の支えと友人の温かい言葉だったように思われます。友人は、私を慰めるでもなく、励ますでもなく、今まで通りに接してくれました。その友人が、たまたま、『アルバイトでも探して、就職に結びつければ?』と言ってくれまして、再就職を目指して、見つけたのが、御社の求人情報でして、志望動機と申しますのが、今も話させて頂いた通り、求人情報誌を拝見した時に、私に向いているのは、この仕事だ!と思ったからです。一度、面接をして頂きたいのですが、まだ、未熟ゆえに熱意でしか、私の気持ちを伝えきれないのですが、いかがでしょうか。」
と、私は、一気に喋ると、すぐさま電話を切られた。