あまり、政治的な僕個人の意見と自分がやっている活動を
混ぜて僕の口から語るというのは好ましくないことは重々承知なのですが
あえて今回は、言ってみたいと思います。
まぁあまり政治的にはならず、生活のことを

 皆さんは、アメリカの生活というと華やかなイメージを持たれるかもしれませんが、
(もちろん、お金がある人たちの生活は華やかでありますが)
ここ、アメリカの一般庶民の生活は日本のように何でも手に入るようなものではありません。
ニューヨーでも同じものです。
多くの人がここでは、ルームメイトという形を取り何人かで暮らしており、
多くの人は家に洗濯機も乾燥機もありません。
テレビも無い人はそれほどめずらしくないでしょう。
眠らない街といわれるニューヨークでさえ、24時間空いているコンビニが家の近く(住宅地という意味で)
にはありません。
GDPのような数値で見てみますと、アメリカは1位で今や中国にも抜かれ3位に甘んじている日本ですが、
一般庶民の生活水準で日本の生活が他の国々に劣っているとは到底思えないわけです。

 海外に住むということは、もちろん第一に他の文化を知るということがあげられます。
そして、第二に自分の国のことをもっと深く知るとができるというメリットもあるわけです。
僕が本当にラッキーだと思うのは、普通の人としてアメリカ社会で生活し溶け込め、学べたことです。
不遜ないい方にはなりますが、坂本龍一氏や矢野顕子氏のように有名でお金があって移住してきた人たちとはまったく違う環境であり、駐在員の方々ともまた違う生活です。もちろんYMOは大好きなんですが、というフォローはいれつつそれとこれとは話は別なので。

 話は逸れます。
僕がこっちに移り住んだ頃、僕は歌手でした。それもR&Bやジャズといった部類のものをやっていました。
そういったライブハウスに良く顔を出し、そこで色々な人に出会ったのですが、いつも疑問に思っていたことが、『それは日本人でなくてもいいんじゃないかな?』ということでした。
そこから、日本人として世界に求められていることは何かということを考え、追求し、只今道半ばというところですが、そういう風に物事を捉えていくと日本人にしかできなく、世界に求められていることは山ほどあるわけなんです。
僕はそれを証明するために日々頑張っていますし、それはすべて僕が日本という国で生まれて育ったという土壌の上に成り立っているんです。

簡潔に完結に至ります。
結局、僕が言いたいのは世界にこれだけ”平等”に高い生活水準があるのは日本だけであり、
あえて言うとこの”与えられた”豊かな生活を忘れ、不平不満を言うのはいかがなものかということです。
僕も年をとってきて説教くさくなってきたなという今日この頃ですが、
昨日、安倍新総裁が誕生したのはもちろん批判はあるとは思いますが、僕個人としては喜ばしいことであり
僕たち日本の若い人たちが世界に羽ばたける世の中になることを切に願っています。

駄文失礼いたしました。
最後に、確か丸山真男の言葉だったと思うのですが、
平和(豊かな生活と僕は解釈します。)は与えられるものではなく積極的に守るものだということです。
 さてさて皆様、日本ではどうお過ごしでしょうか?
ここNYもかなり暑い日が続いております。

 先日、ツアーからやっと帰ってきました。ツアーに行く前は「全都市のレポートを書くぞー」
と意気込んでいたのですが、
ネットの環境などもあまりなく、泊まるところさえままならず、
おまけにほぼ車の中でしたので時間がありませんでした。
だって考えてみてください、アメリカは広いのです。ほとんどの土地は無駄に使われております。
それに加え、リハがだいたい4、5時で演奏が9、10時。
ほぼ車中かライブハウスの旅でした。

今回はムーンフェイス(ウルフパレードのサイドプロジェクト+フィンランド人のバンド、シーナイ)とツアーを一緒に周らせていただきました。
とても良いバンドで人もたくさん来てくれ、また、良いライブハウスでやらせてもらえとても良かったです。

まぁ各都市の説明はおいおいとしまして、ツアー良かったのですが、
やはり僕らはNYベースの言ってしまえば都会っ子バンドなわけです。
アメリカの地方に行くと、ギターロックがいまだに中心でエレクトロのエの字も出てきません。
かなりのアウェー感を味わい、また今回のツアーが終わったらもうステージでギター弾くのやめようと思っていたのに必要以上にギター弾かされました。

もうアメリカNYだけでいいっす。
もしくは、サンフランシスコとかね。
まぁ僕らがもっと有名になればいい話ではあるんですがね。
また頑張るぞーという気になりました。
まぁ僕がどんなに頑張ってもプロモーション次第なんですけどね。
久しぶりの投稿となりますが、皆様どうお過ごしでしょうか?

この時期はどうしても気持ちが弱くなってしまうというか気持ちが滅入ってしまうんです。
5月29日の今日、僕も唯一無二の盟友でもあり、大学の先輩でもある仁野孝之さんが
ひき逃げ事故に合い、亡くなったのです。
僕はその時NYおり、その直後に日本に帰り仁野さんのご両親にもお話を伺ったりしたのですが、
やはり、ずっと異国にいるということもあり、今だに現実というが受け止められないでいます。
何かまた、日本に帰ったら仁野とまた、お酒でも(お酒の好きな男で、お酒の飲み方を教えてくれたのも
彼なのです。)飲みに行けるような感覚に今でもいます。

 皆さん、『ラスベガスをやっつけろ』という映画はご存知でしょうか?
僕たちの関係はあの映画のゴンゾと、ラウルといった関係なのです。というか結構見た感じもそうだったんです。
彼は僕の師匠というべき存在で、大学に入り今と同じように自信満々の僕の鼻っ柱を折ってくれたのが彼であり、関西学院の音楽研究部の面々でした。
彼がいなければ僕はもっとせまい音楽の知識と世界で生きていたことでしょう。
今年結婚を控える同級生のまっちゃんがNYへのきっかけを与えてくれたのならば(その話についてはまた後日お話しします。)、仁野はその自信を与えてくれた人物で、
実際、外国に住むっていうのはコミュニケーションを無くしては語れないもので、それはどれだけ英語がしゃべれるというよりもどれだけ自分の言いたいことが伝えることができるかということなのです。
彼は、ベルリンにて画家としての活動をしていたこともあり国際感覚にとても優れていました。

 音楽に関して言うと、僕はもともとR&Bシンガーのため、別にクラシック音楽、現代音楽やフリージャズなどなど、ましてやテクノとかには興味がなかったのですが、彼の影響もあり(常にあらゆることにオープンなのが僕の良い所でもあるのですが)こういうバランス感覚を持てるようになりました。
おそらく彼がいなかったら今のステージで音楽やっていないだろうし、怖がって何も踏み出せずにいたように思います。
彼が常々言っていたのは「芸術事は技術ではなく何を表現したいかが重要で技術は、芸術の幅を広げるが自分以上でもなくそれ以下でもない」ということでした。

 僕は人並み以上に才能を貰いましたが、別に彼のように才能に溢れているわけではなく、狂人のようになれるわけでもなく、しかし、彼への憧れで日本の外へと飛び出し、褒めてもらいたかったのに。。
彼のような才能溢れる人間が亡くなられるのは本当に残念でなりません。
もし生きていれば今年31で、当時結婚を控えていたということだったので本当に残念です。

今でも仁野にボブマーリーを理由に京都で殴られたこととか、公園の池の前で決闘をして、池に叩き落したこととか、本当に誰の記憶にも残る人間なんです。
今もくじけないで音楽をやっていけているのは僕の夢である彼の美術館をベルリンと日本に建てるというのがあるからです。
プレッシャーやらなんやらでつらい日々ですが彼のためにも後を振り返らず、前を向いて生きていきます。
この夏には帰れませんが11月には帰りますので、僕の身の回りの方々、また彼のクレージーエピソードなどで飲み明かしましょう。