宮城 - 国会「禁足」で訪問は1JAのみ。残念。 | 山田としお オフィシャルブログ Powered by Ameba

宮城 - 国会「禁足」で訪問は1JAのみ。残念。

宮城県への訪問は、散々たるものになった。準備いただいていた高橋会長はじめ、皆さんに本当に申し訳ない。

 

 というのは、国会の会期を控え、急遽、参議院予算委員長の解任決議案と麻生財務大臣の問責決議案が野党から提出された。当然、本会議は、「禁足」となった。前後、3時間かかるということで、宮城県への8JAの訪問は、諦めざるを得なくなった。結局、一番最後のJAいしのまきだけは間に合うので、伺った。

 

JAいしのまきの松川組合長からは、「8年前の大震災時にお見舞いに来たが、その後は、訪ねてきていない」と叱られてしまった。石巻市は、震災直後に、小学生の子供達にとっては、グランド裏の丘は急峻で登れないと判断し、グランドに待機させられていたが、そこへ津波が襲い、子供達の多数が逃げきれず、亡くなった。私が、その地を訪ねた時、子供達のランドセルを捜すご家族の姿を見て、私も涙した。

 

 今、振り返ると、この間、何度も宮城県を訪ね、ランドセルが並んでいた道路も通り、手を合わせていたのだが、この地とJAをきちんと訪ねきれていなかった。本当に申し訳なかった。あの悲しみと、その後のJAの苦労からすると、組合長は、政治家は努力していないとの怒りがあったのは当然だ。

 

改めて、どういう日常的な政治活動を行うのか、とりわけ、全国を範囲とする全国比例の議員として、役割を果たせるのか、真剣に自らの取り組み対策を考えたい。

 

ところが、翌週の宮城県下の5JA訪問は、確実にお訪ねし、また、選挙区の愛知先生とご一緒に全JAの皆さんを対象に国政報告会を行っていただけるので、前週の分はとり返そうと決意していたのに、当日は、会期末を控えて、野党が内閣不信任決議等を提出するという。結局、国会は禁足となり、どうしても国会に出席せざるを得なくなった。当然の責務だが、宮城県への訪問は諦めざるを得なくなった。

 

 当日、訪問予定だったJAみやぎ亘理、JA岩沼市、JA名取岩沼は、地震津波の被災直後にお訪ねしており、その際、震災前からの債務に加え、事業再生の新たな債務を負う、いわゆる「二重債務の解消のための機構の設立法」の制定に自民党の理事の一人として参画し、国会答弁も行って成立させた立場からしても、是非、出席したかったのだが、行けなくなった。大型ハウスを建設し、再建されたイチゴ生産・販売は、今は大きな産地になっており、私も役割を果たしてきたことを再確認したかったが、それもかなわなかった。

 

このことは、宮城県だけでなく、近年、相次ぐ豪雨被害等、全国の被災地が抱えている深刻な問題であり、対策でもある。全国比例の議員として、自らの取り組みを振り返り、そして、活動のあり方を、しっかり確立してゆきます。

 

なお、今後、何とか日程を工面し、宮城県を訪ねます。