秋田 - 大潟村の減反拒否の悪夢、再び ~自由な価格形成の問題噴出~ | 山田としお オフィシャルブログ Powered by Ameba

秋田 - 大潟村の減反拒否の悪夢、再び ~自由な価格形成の問題噴出~

 秋田県は、茨城県を終えた後、羽田空港から夜に秋田空港に着き、翌日早朝にJA秋田おばこを訪ねた。数年間に渡り、県外の卸売業者に米を出荷していたが、代金の精算が滞り、それが積み重なり、その業者が倒産し、農協は大きな損失を被っていた。この間、農協は、組合長がご病気で亡くなり、新しい体制のもと、役員責任等を問う形で5年計画の清算計画を立てられ、着実に実行に移されている。この間のJAの役職員の苦しみは、どれほどだったか、想像できないほど大きかったと思う。ともかく、JAは体制を改め、新しく出発する。JAの雰囲気には、緊張感がにじみ出ていた。大変なご苦労ですが乗り越えましょう。

 

 ところで、昼の時間には、中央会・連合会で集まりを持っていただきました。そこへ、私の30年来の親友(私がJA全中の水田農業課長をしていた時の全国農協青年組織協議会の会長を担っていた柴田正敏さん、現秋田県議)がおいでになり、集まりでご挨拶をいただいた。

 

 柴田県議は、私と一緒に、当時、大潟村の生産調整を拒否する農業者への働きかけとして、JA全中が秋田市内で集会を開いて、生産調整への参加を訴える、それもセスナ機を飛ばして大潟村の上空から呼びかけるという動きを行ったことを報告した。私は、それらの行動の現場責任者だったわけで、全国紙でも報道され、賛否両論で、私も相当矢面に立たされていた。しかし、当時、柴田さんも、私も一生懸命だった。米政策の歴史的局面を、当時の当事者が揃ったところで話題になった訳だが、偶然だったが未だに深刻な話であった。

 

 今日、ご案内の通り、生産調整目標(今は生産数量目標だが)はあるものの、当時に比べて、取り組みは多様化してきており、罰則も強制もないのだが、どこかで破綻しかねない爆弾を抱えているようなものであり、もっともっと詰めた整理がなされなければならないと、私自身は自覚し、覚悟もしている。

 

ところで、当時、私達と一緒に生産調整問題を担当していた農水省の部長は、事務次官を経て、経済団体が出資している日本経済調査協議会の委員長として、最近、米政策について報告書をまとめられているが、その骨格は、20年後までに、日本の米の生産・流通・販売、そして価格形成を自由にし、価格は、国際価格水準で他国と競争しながら流通・販売していくと提言している。その際の農業経営者像、農村の姿、国土の状況、JA等流通・販売業者の姿、貿易の状況、国内生産の確保のレベル等、どういう絵を描いているのか。しかし、それが示されていない。

 

→次ページに続きます。