旧交を温める | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

旧交を温める

いつも硬いブログばかり書いているが、今回は、私の人間的な側面も知ってもらうために少し脱線してみようかと思う。


福島県郡山市に県立安積(あさか)高校がある。福島県では一番古い高校で、130年前に設立された学校である。卒業生には、古いところで明治の文芸評論家高山樗牛、日本人初のエール大学教授で日米開戦回避のため奔走した朝河貫一、小説家の中山義秀などがいる。最近では2001年の芥川賞作家玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)がいる。


9月の14日と15日、私は安積(あさか)高校時代の3年7組仲良しグループ5人で、地元福島県郡山市の磐梯熱海温泉「昭月」というホテルに宿泊した。半年前から日程を調整して今回の実現となった。私たちは福島県立安積(あさか)高校の第80期生であるが、前回東京オリンピックがあった昭和39年(1964年)に入学し、昭和42年に卒業した。卒業後それぞれ別の大学に進学し違った道を歩んでいたが、時々会って連絡を取り合ってきた。実は私たちの仲間にはもう一人、渡辺喜信君という仲間がいたが、12年前に病気で他界している。天真爛漫というか豪快な男であり、高校時代は応援団のリーダーを務めていた。地元で父親が始めたタクシー会社を受け継いでいたが、52歳の若さで逝ってしまった。喜信君の父君は、陸士58期の出身であり、防衛大学に入った私が家を訪ねると、暫し旧軍時代の話を懐かしそうにされていた。可愛がって頂いたが、父君も2年前に旅立たれた。


他の5人は、伊藤博文、菅家道郎、芳賀幸雄、渡辺茂夫、田母神俊雄の5人である。

伊藤博文君は、名前が我が国の初代総理大臣と同じで、入学後初めて知ったときは大変驚いた記憶がある。地元郡山市役所で部長までやって退職し、現在は同じく地元の(株)内藤工業所の技術顧問として頑張っている。一級建築士の資格を持つ、名前の通り厳しい男である。菅家道郎君は、お医者さんの家に生まれたが、医者にはならず、鹿島建設東北支店で、宮城県、山形県を中心に建設の現場で活躍をした。現在も松島瑞(ずい)巌(がん)寺の改修作業の現場監督をしている。大変な酒好きで、2年前に病気で手術をしたが、既に酒がどんどん飲めるほどに回復した。私も菅家君から宮城県、山形県の大吟醸を何度か送ってもらって賞味させてもらった。物事にこだわらない底抜けに明るい楽しい男である。芳賀幸雄君は、高校時代、前から2番目の私の後ろの席にいて、2人でよく無駄話をしていた。ロッテで経理担当部署にいたが、30台半ばで自立し税理士事務所を開き、現在は関東信越税理士会 川越支部の副支部長をしている。職業柄からか、元々の性格なのか、堅実で、頼めば何でもやってくれそうな頼りになる男である。しかしユーモアもあり、コロンブスが最初に到着した島の名前を書けという試験問題で、ひょっこりひょうたん島と書いて先生を笑わせたこともある。渡辺茂夫君は、積水ハウスの営業で、東北地方を中心に活躍した。一旦定年を迎えたが、現在でも細々と積水ハウスの仕事を手伝っている。高校時代から人当たりがよく、みんなに愛されながらチャレンジ精神も旺盛だったので、営業の面ではうってつけの人物だったと思う。

今回の会合では、郡山駅に9月14日の昼に集合して昼食のあと、亡くなった渡辺喜信君のお墓に墓参りをした。忙しい中、喜信君の妹さんが立ち会ってくれた。その後2年前に亡くなられた3年7組の恩師「吉田弥(ひさし)」先生のご自宅を訪問して、奥様にお会いし、1時間半ぐらい談笑させて頂いた。奥様も、私たちが何度も先生宅を訪問しているので既に顔見知りである。吉田先生は国語の先生であったが、2学年、3学年と私たちの担任の先生で、可愛がって頂いた。厳しさの中にも優しさがあり、よく生徒に愛され尊敬された先生であった。3年前の3年7組全体のクラス会の時には吉田先生にも御出席頂いたが、あれが吉田先生にお会いした最後になってしまった。


その後、磐梯熱海温泉「昭月」に行き、温泉につかり宴席になった。昔話に花が咲いた。それぞれが仕事で苦労した話も聞けた。現在のそれぞれの家庭のこと、これからどうするのか、日本の国をどうすればよいのかという話しなどで、大いに盛り上がった。伊藤博文君が、平成9年に渡辺喜信君を含む5人が沖縄を訪問した時のアルバムを持ってきていた。当時田母神が沖縄に勤務しており、5人が私を激励するために沖縄を訪問してくれたのである。アルバムを見ながら16年前の私たちの姿かたちが現在と大分違っていることでも大いに盛り上がった。


「昭月」はこじんまりした和式のホテルであるが、いろんな場所に花を飾り、書棚を置くなど気配りの感じられる落ち着いたホテルである。従業員の皆さんの対応も心休まるものであった。そしてなんと支配人が、私たち安積高校の1期先輩で79期の人だった。それを知ると突然に、初めて会った支配人にも親しみを感ずるようになった。


翌15日の朝も早朝から温泉につかった。みんな年をとって来たせいか早起きである。私が5時に目を覚ますと既に伊藤博文君は起きて本を読んでいた。伊藤君は毎朝6時20分に出勤しているそうだ。5時半には全員が起きた。その後入浴して8時から朝食をとった。車の運転をしない菅家君と芳賀君は朝からビール、日本酒である。本当に楽しく、癒された二日間であった。さて今年から私たちも前期高齢者になった。そこでこれからは毎年このような機会を設けようではないかということになった。


磐梯熱海温泉 から、少し酒を飲みすぎた菅家君をホテルにおいて、170年前に建てられた田母神の実家を訪問しお茶を飲んだ。芳賀君だけは少しビールである。今は誰も住んでいないので私が月に2回ぐらい帰って来て家を開けている。元々農家作りの大きな家であるが改修して一応快適に住めるようにはしている。私はこの家の6代目である。来年はここでやってもいいではないかと皆さんが言っていた。それから郡山駅に移動して、菅家君とも合流し、また来年もやろうということで15日の昼過ぎに解散した。