デフレ下の緊縮財政は間違いである | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

デフレ下の緊縮財政は間違いである

「失われた10年」とかいう言葉があったが、我が国ではすでに「失われた20年」になってしまった。すでに十年以上もデフレが継続し、高校、大学を卒業しても2人に1人しか就職も出来ない。我が国のGDPは20年前よりも減少しているのである。こんな国は世界にないし、アメリカだってこの間GDPは2倍になっている。GDPこそは国力の源泉である。もし我が国のGDPがアメリカと同じようにこの20年で2倍になっていれば、すでに1千兆円を超えており、我々の給料も2倍になっているはずである。我が国の現在年4兆7千億円の防衛費も10兆円を越えることになり、中国の軍拡対応など何のそのであったろう。


この20年間、我が国政府は改革という名の日本ぶち壊しに奔走してきた。改革というならば、改革した結果が良くならなければならない。「本当に良くなったね」と、我々日本国民が実感できるものがなければならない。しかし、現実には改革して良かったと思えるものは一つもない。だから私は「改革」という名のぶち壊しだと思っている。20年前の日本国民と、現在の日本国民とどちらが安心して暮しているのだろうかと問われれば、間違いなく大部分の国民は「20年前」と答えるであろう。安心して暮せる国と安心して暮せない国とでは、どちらがいいかといえば安心して暮せる国がいいに決まっている。日本は本当にいい国に向かっているのだろうか。


東西の冷戦が終わってからのこの20年間、我が国を改革してきた基本理念は何であったのだろう。それは競争を徹底的に行わせる、政府の介入を局限し、小さな政府を目指すというアメリカ発新自由主義の考え方であった。と言えば聞こえはいいが、端的にいえば「アメリカのやり方に合わせろ」というアメリカの対日圧力であった。国際化の時代になって、何でもかんでも自国のやり方に固執することは困難で、ある程度の国家間すり合わせは必要かもしれない。しかしまた、何でもかんでも同じやり方にするというのでは国家が存立する意味がなくなってしまう。20年過ぎていま思えば、我が国はアメリカに対し「日本の会社はアメリカに行けばアメリカのやり方にあわせて商売します。だからアメリカの会社は日本では日本のやり方にあわせて商売して下さい」というべきであったと思う。しかし、アメリカに国を守ってもらっているという負い目が、我が国政府にそれを言わせることが出来なかった。日米構造協議、年次改革要望書の交換などを通じ、我が国は悉くアメリカの要求を受け入れてきた。この20年間、アメリカによる日本のアメリカ化が進行中なのである。結果として我が国は世界の経済戦争に敗北し、GDPが20年前より減少するという異常事態に遭遇しているのである。


もちろんこれがアメリカのせいだなどと言っているわけではない。アメリカの要求を悉く受け入れてきたのは我が国政府の自主的な判断であり、その結果責任はわが国政府にあるのは当然である。

さて10年以上もデフレが続く我が国が、今後とも従来の緊縮財政、小さな政府、競争促進の政策を採り続けるのか、それとも方向を転換するのか、我が国はいま大きな岐路に立っている。改革が不十分だから景気が回復しないという従来路線続行派と一時的に借金が増えても国債発行、日銀引き受けで公共事業拡大により積極財政に打って出るべきという人たちの論争が喧しい。しかし人類の経験で言えば、10年以上もよい結果が得られない政策は間違っているといって差し支えないのではないだろうか。10年間全くよい結果が得られなかったが、15年目から素晴らしい結果が出るようになったなどという例はないそうだ。さらに緊縮財政で国が立ち直ったという例もないそうだ。我が国は積極財政に方向変換すべきであると思う。


中曽根総理が小さな政府と言い出した頃は、我が国はインフレの時代であった。しかしいま、我が国は10年以上もデフレが続いている。デフレのときに小さな政府を目指してはデフレが加速するだけである。民間で就職の受け皿が不足しているときに、岡田克也行政刷新担当大臣は、来年度の国家公務員の採用を56%減らすことを発表した。これでは若い人たちは一体どうすればよいのか。デフレのときにデフレ対策をとらずにインフレ対策をやっている。デフレを加速させるだけである。デフレのときは民間に活力が不足しているのだから、大きな政府を目指し、政府が無駄と思えるような仕事でもつくらざるを得ないのだ。


公共事業も拡大すべきである。東日本大震災の復興事業も大急ぎでやったらデフレ対策にもなる。デフレのときに緊縮財政では、国民生活は滅茶苦茶になってしまう。