部隊の精強化が防衛大臣の責任 | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

部隊の精強化が防衛大臣の責任

10月7日に石川県小松市にある第6航空団で、訓練飛行中のF15戦闘機から燃料タンクが落下するという事故があった。このために小松基地では今なおF15を飛ばすことが出来ない状態が続いている。11月1日に小松基地を除くその他のF15配備6基地ではF15の訓練飛行が開始されたが、12月1日になっても小松基地ではF15を飛ばすことが出来ない。戦闘機の操縦はスポーツのサッカーや野球やゴルフに似ている。プロスポーツの選手が1ヶ月も2ヶ月も練習をしなかったらプロの技を維持することが難しくなる。戦闘機パイロットの練度も同じことである。我が国の空の守りに穴が開くが、政治家や防衛省の役人なども誰もそのことを問題にしない。航空自衛隊は止むを得ず小松基地のパイロットを他の基地に移動をさせて練度低下を防止するようにしている。


私が航空自衛隊に在職中もよく同じようなことがあった。展示飛行の専門部隊ブルーインパルスの墜落事故のときなどは、事故原因が分からないということで2年以上も訓練飛行が出来なかった。しかし、航空機の事故は、世界の例を見ても事故原因が明確に分かるものは少ない。事故原因が判明するまで止めろと言ったら、いつまでも訓練飛行は開始できないことが多い。しかし、我が国の政治ではそんなことは全く問題ではなく、少しでも政治問題になるようなことを防ぐことが政治の最重要課題なのだ。防衛省の役人にもその考えは染み付いており、異常とも思える自主規制をかけることが多い。それは部隊の練度低下と士気低下を招くが、部隊がどうなろうと政治問題を起こさない方が重要なのだ。上の政治サイドを見るか、下の部隊側を見るか、100%どちらか一方を見ているという事はあり得ないが、それは役人の基本姿勢にかかわるものである。


政治家も役人も上ではなく、下の国民側を十分に見ておくことが公職にある者の基本姿勢であるべきなのだが、総理をはじめとする国家のリーダーが、国民のためよりは政治問題を起こさないことを優先するようになると、それは役人にも伝わっていく。今は政治家の大半が志が低いので、役人だけを責めるのは心苦しいが、政策よりは政治闘争で忙しい政治家に代わって役人の皆さんには是非とも高い志を維持してもらいたいと思う。それを決めるのは各省庁の事務次官の立場にある者の志である。指揮官の影響力は甚大である。


戦前は旧制高校と帝国大学において、国家の指導者となる者について徹底的なリーダー教育が行われた。帝国大学における教育は、学部にかかわらずリーダー教育がカリキュラムの30%以上を占めていたのだ。しかし、戦後はリーダー教育が廃止され全くリーダーの心得がない者が、突然、総理大臣などになる。東日本大震災直後のあの困難な状況下でも、社会の安全が保持されるほど日本国民の国民性は高いレベルにあるが、リーダーのレベルはと言えば世界からはるかに遅れている。リーダー教育、エリート教育を復活させることが必要であると思う。今は我が国の総理をはじめ大臣のほとんどが公務の目標を「問題を起こさない」ということにしている。正しいことを言ったり、国家国民のために行動しようと思えば必ず問題が起きる。問題が起きないということは、仕事をしていないことだと認識すべきなのだ。いま役人が、押しなべて、上だけを見て自己保身を図るひらめ状態になっている。問題を起こせば出世の道が閉ざされる。役人の世界では仕事をしない方がいい、問題を起こさないことが最も重要なのである。本来は国家国民のために仕事をした者が高い地位に着くべきなのだ。大臣になるような人たちの我が国を思う高い志と情熱が欠けているからこんなことになる。



F15の燃料タンク落下事故や戦闘機などの墜落事故が起きると、原因が判明するまで飛行させないというのも政治的に問題を起こさないためだ。今回の燃料タンク落下事故も、1回起きたからまたすぐに起きるのではないかと煽るのはマスコミや反自衛隊派などの常であるが、F15は昨日、今日飛び始めた戦闘機ではない。1回起きたら次回起きるまでは何の対策をしなくとも何年かは起きないことが経験的に分かる。訓練飛行を続けながら原因を究明すればよい。民間機が墜落したときに原因が分かるまで飛行をしないなどということはない。原因など分からなくとも、今日事故が起きたから明日からは暫く飛行機が落ちることはないという考えが根底にあるからだ。


自衛隊は、政治からどんな扱いを受けようとこれを耐え忍んできた。自衛隊員は、何か起きたときに政府は自衛隊を守ってくれないと思っている。雫石の全日空機と自衛隊機の衝突事故、潜水艦なだしおと第1富士丸の衝突事故、3年前の護衛艦あたごと漁船の衝突事故などの場合、当初自衛隊が一方的に叩かれるが、政府も一緒になって自衛隊を叩く。自衛隊がたるんでいるからこのような事故が起きると決めて、自衛隊に対する締め付けが徹底的に行われる。現場の状況を知る自衛隊は、反論したいことは山ほどあるが発言の自由さえ厳しく制約される。自衛隊の士気は大きく損なわれるが、その後の裁判の結果を見れば、いずれも自衛隊側に大きな非があった訳ではない。しかし裁判の結果が出た頃には国民の多くは事故のことなど覚えておらず、当初の自衛隊がたるんでいるというイメージだけが残っただけとなる。事故当時、頭を下げるだけ下げて謝罪を繰り返し自衛隊を貶めた防衛大臣などは、その後自衛隊に対して謝罪するのかと言えば、恬として恥じることもない。いま何事も起きていないときでさえ、自衛官の外向けの発言に対して異常な抑制をかける政府なのだから、防衛大臣ぐらい自衛隊を弁護しても良いのではないかと思うが、自己保身の塊であるような防衛大臣が次から次と誕生する。マスコミに迎合して自己保身を図ることだけは異常に能力が高い。


いま中国がそれこそ異常な軍拡を続けているときに、これに対して我が国の安全保障を確固たるものにするために、自衛隊の物理的戦闘力の増強と、部隊の士気の高揚を図る必要がある。外交は軍事力をバックに行われる。軍事力が弱ければ国際社会において総理大臣や外務大臣などが何を言っても無視されるだけである。我が国の大臣などは国際政治のいろはも分かっていないのではないかと思ってしまう。我が国が国の守りをまともに考えず、アメリカ任せになっていることが、結局は我が国が国際社会で十分な発言力を確保できないことになっている。


部隊を強くする事こそが防衛大臣の責任なのである。