もう謝罪はやめよう | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

もう謝罪はやめよう

新聞などの報道によると日韓併合100周年の今年、日本政府は韓国に対し、またぞろ謝罪決議とか総理大臣の謝罪談話とかを考えているという。しかし、もういいかげんに謝罪はやめてもらいたいものだ。国と国との関係では戦争などが終了し講和条約を結んだ時点で、「それまでのことはご破算にしましょう」というのが、国際的な了解事項、すなわち国際法である。


日本と朝鮮には、19世紀後半から緊密な関係があり、1910年には日韓併合条約によって朝鮮は一時日本の支配下におかれたが、その後、終戦に伴い1948年に韓国が建国された。1965年には日韓基本条約とともに「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」に基づいて、日本が朝鮮に投資した資本及び日本人の個別財産の全て(GHQの調査で525億ドル)を放棄するとともに、約11億ドルの無償資金と借款を援助することによって、日韓間の両国間及び国民間の請求権に関する問題は完全かつ最終的に解決されていることが確認された。


2009年8月14日には、韓国が情報公開により韓国人の個別補償は日本政府ではなく韓国政府に求めるべきことも明らかにされているのである。菅政権はこのような事実を把握しているのだろうか。謝罪をするということは、カネを出すと言うことである。仙谷官房長官は、最近、慰安婦に対する新たな補償について言及しているが、このようなことでは日本国民の税金がいつまで外国人のために遣われるのか分からない。



日本人は良く謝る。「俺が悪かった」と言えば、日本人の間では「いや、お前だけが悪いのではない、俺も悪かった」ということで相互に譲歩して問題は解決される。しかし、これを国際関係に適用することは出来ない。国と国との関係では「日本が悪かった」と謝罪をすれば、「そうだ、日本が悪いのだからカネを出せ」と言われるだけである。だから、どこの国も簡単には謝罪しない。しかし、我が国だけはずっと謝罪を続けている。我が国だけが特別に悪事を働いたわけではないのに、逆に感謝されてもいいくらいなのに、我が国は謝罪を継続することによって我が国の立場を一層悪いものにしている。謝罪によって国家関係を好転させることは出来ない。相手国に付け込まれるだけである。


昭和57年に教科書の侵略、進出書き換え事件というのがあった。文部省が教科書検定において、我が国の中国大陸や朝鮮半島に対する「侵略」を「進出」と書き換えさせたと報じられた事件である。実は、これはその後上智大学の渡部昇一先生によって事実無根であることが証明された。しかし、当時の宮沢喜一官房長官は、韓国などの大騒ぎの圧力に屈し、教科書の検定に当っては近隣諸国の意向に配慮するという、いわゆる近隣諸国条項を検定のガイドラインに入れることにした。これでそのとき問題は一時的に収まった。(「歴史教科書」に関する宮沢内閣官房長官談話


しかし、その後、このガイドラインがあることにより、我が国の教科書検定に中国や韓国の介入を許すことになった。昭和61年には中曽根総理が、日本は韓国にいいこともしたということを言った藤尾文部大臣を韓国の圧力で更迭をした。戦後歴史認識に言及して更迭された大臣の第1号である。このときも、更迭により日韓間の問題は一時的に収まるのである。しかしその後、我が国は侵略国家ではないというようなことをいう都度大臣などが更迭されることになった。真実を言うことが出来なくなってしまった。


同じ年に我が国は、中国からA級戦犯が奉られている靖国神社に総理大臣などが参拝すべきではないという圧力をかけられた。このときも、中曽根総理は戦後40年間歴代総理が実施してきた靖国参拝を取りやめてしまった。これが今の靖国問題のスタートである。中曽根総理の罪は極めて大きいと言わなければならない。


平成5年になって慰安婦強制連行問題に対し、河野官房長官談話 が発表された。中国や韓国の圧力に屈した我が国の強制連行を認める談話である。ところが「強制連行も事実無根であったが、韓国との間で強制連行があったということで政治決着を図った」ということが、後に当時の官房副長官であった石原信雄氏によって公表された。しかし、これが元でその後、我が国は国連などでもひどい国だとのレッテルを貼られることになり、補償要求などにも応じなければならなくなった。例を挙げればきりがない。もう、謝罪や譲歩は止めよう。


我が国を貶める結果しか生まないことは歴史的に明らかである。