教育勅語と修身の教科書を復活せよ | 田母神俊雄オフィシャルブログ「志は高く、熱く燃える」Powered by Ameba

教育勅語と修身の教科書を復活せよ

今年もいくつかの町の成人式で、今年成人を向かえる若者たちが騒ぎ出し、大荒れの成人式になったことが報道された。一体、彼らは何のために騒ぐのであろうか。目立ちたいと思っているのかもしれないが、甘えすぎており子供である。



私は、戦後教育の悪い一面が出ているのだと思う。戦前の日本国民は、日本にやってきた多くの外国人から、自立心の高さや、道徳観の高さを賞賛されたものだ。ポール・クローデルという、フランスの駐日大使をやった人がいる。わが国が戦争に負けそうになっていた、1943年のパリの夜会で、世界でどうしても生き残って欲しい国を一つだけ挙げれば、それは日本である」と言ったという話が残っている。彼は「日本人は貧しいけれども高貴である」と言っている。日本人は、戦前においてはよく教育されていたし、戦前の教育は素晴らしいものだったのである。


しかし、戦後教育によって日本人が持っていた自立心や道徳観が失われてしまった。アメリカの占領政策で押し付けられた、日本悪玉史観が払拭されないまま現在に至り、戦前の日本は暗黒の社会だという風評が広まってしまった。そのために、今の日本では戦前の日本を褒めると、とんでもない時代錯誤だということになってしまう。それは戦争が始まってしまって、赤紙一枚で軍に召集される時代の重苦しい雰囲気が呼び起こされるからであろう。


戦争の時代と平和な時代を比べて、どちらがよいかと訊ねれば、それは当然、平和な時代ということになる。しかし戦前の日本は、いまの北朝鮮のような暗黒の独裁国家ではなかったのである。立憲君主制と言われ、天皇陛下の権限は憲法によって制限されることになっており、何でも君主の言うとおりになる絶対君主制とは違うのである。帝国議会も機能しており、言論の自由もあった。今では、悪名高き治安維持法により死刑になった人は一人もいないほどである。


戦前の日本人の自立心や道徳観の高さを支えていたのは、教育勅語修身の教科書である。明治維新以降、鹿鳴館時代に代表される西洋かぶれの時代があった。このとき「これでは日本的な道徳規範が壊れてしまう」と考えた、わが国の将来を考える偉い人たちや学者の先生方がいた。それらの人たちが集まって作ったのが教育勅語である。1890年(明治23年)に発布された。教育勅語というと、その言葉を聴いただけで拒否反応を示す人たちがいると思う。しかし、教育勅語に書いてあることは、今現在でも世界中に当てはまる極普通のことだけである。


親孝行をしましょう、兄弟仲よくしましょう、夫婦仲良くしましょう、人格を磨きましょう、国家に緊急事態が起きたときは、みんなで力を合わせて公のために頑張りましょう、とかいうものである。


実は、日本が日露戦争に勝った翌々年の1907年に、イギリスからの要請により、菊池大麓男爵がロンドンに派遣され、2月から9月までの間に25回に亘って教育勅語の連続講義を実施している。これがイギリスで大絶賛であった。モノづくりの物質文明は、西洋から東洋に流れているが、精神文明は東洋の日本から西洋に流れているのではないかと言われたのである。そして、翌1908年の9月に再びロンドンで、第一回世界道徳教育会議が開催された。このとき日本の教育勅語は、各国の要請があり、今度は英語だけではなく仏語、独語、中国語など多くの外国語に翻訳されて世界中に広められることになった。各国は、これを持ち帰ってそれぞれの国の道徳教育の規範にしたというのである。教育家の小池松次先生によれば、あれから100年間世界中において、この状態が続いているという。本家本元のわが国においてだけ、戦争に負けた占領期間中に教育勅語は廃止されてしまった。

アメリカには、The Book of Virtueという本があるそうだ。アメリカの道徳教育の規範として使われている。内容は、一番最後の宗教という部分は新たに付け加えられているが、その他は教育勅語とまったく同じ内容である。だから私は、教育勅語に違和感を感ずる日本人には、「アメリカで道徳教育に使われているあのThe Book of Virtueという本がある。あれを日本語に翻訳して使おう」と言ったらいいのではないかと思う。

修身の教科書は、教育勅語を具体例を挙げて解説しているものである。日露戦争が始まる1904年に始めて設定された。これら二つが戦前のわが国の道徳教育を支えていたのである。現在の教育を正常化するためにはこれら二つを復活すればよいのではないかと思う。