中国版ラジドラを聴くまで考えなかったのですが・・

番外編は奥が深い✨香炉はただなBL向けのボ−ナス章ではなかった😅こんな意味があったとは✨

以下長々説明を書いていますが、要約すると姑蘇藍氏の開祖藍安が僧侶で「天が定めしもの」という雅正集に書かれているのは仏教の教えが礎

本編で現実世界を描き、番外編で仏の世界(精神世界 目に見えない世界)を描いているということです。天が定めしものと現実世界の葛藤を得て、仏教の教えの蓮池に象徴される、魂の再生と浄化に世界に入るってことですね。目に見えない世界を描いたなら、香炉が書かれていることも納得。敢えて色欲の世界を描いて、悟りに至る過程を描きたかったのかなと✨番外編の流れは道侶になり→色欲があり→日々の幸せを感じ→後輩を育成し→二人で悟りの世界に入る

 

1.家宴で道侶になる(道侶は共に仏道を学び、精進し、相互に励まし合うことで、より高い境地を目指す存在)藍家の開祖は僧侶

2.雲夢では藍忘機が魏無羨を待たせて、その間魏無羨は子供たちと遊んでいます。雲夢の最後で魏無羨は「あの頃はただ本当にお前と遊びたかった」と言います。あの頃は藍忘機が自分の気持ちに素直になれず、魏無羨の誘いを断っていた=またせるではないかなと

雲霧でわなげで取った玩具:雲霧での輪投げの場面で、魏無羨が亀とロバの玩具を取るシーン「かかったら私のもの」で亀とロバは、それぞれ屠戮玄武(魏無羨がとる)とりんごちゃん(藍忘機がとる)を象徴しており、そのあと藍忘機は魏無羨を輪投げで捕まえます🥳屠戮玄武の頃から藍忘機が自分の魏無羨の気持ちに気づき、そのあとは藍忘機がロバと魏無羨をわなげでとっていっているので藍忘機が積極的になったとも取れます❤️蓮池におちたときは魏無羨が「ああ・・こんなになって、俺が動いたのかもな」といい藍忘機も「私かも知れない」といっていて、お互いが同時くらいに好きになった、意識したのを示唆しているのかな❤️

3.蓮池で小さな船に乗る二人のシーンは、彼らの絆を表していて、どちらかが動くと落ちてしまうくらいお互いの人生に深くかかわっていることを表しています💕それも豪華な船でなく、粗末で二人しか乗れない船、彼らが二人だけで飾らす、しがらみを捨て、蓮池=仏の世界で修業していく事を示唆(袖に亀とロバのおもちゃをいれる=おもいでを抱いて二人で悟りを開く)

4.蓮池に落ちて抱き合うシーンは、現世の苦しみや困難を乗り越え、清らかな魂の再生の場に入ること、生まれ変わりや来世や極楽浄土への暗示として捉えられ、二人が蓮池に落ちて抱き合うシーンは、彼らが来世でも共にあることを示唆しているかもしれません。

なぜ雲夢の蓮池なのか?

1. 雲夢は魏無羨の故郷で彼の過去の苦難や葛藤の場所でもあります。父も江氏の家僕。雲夢江氏の人が殺されたのを江澄から全部責任にされている。金丹を江澄にあげなければ、前世であんな死に方はしなかったなど。蓮池でのシーンは、彼が過去の苦しみから解放され、藍忘機とともに新しい人生を始める象徴とも考えられます😍ということは、江楓眠から藍忘機との人生のバトンタッチ🫸🫷

(アニメで江楓眠が犬から守って連れ帰り、藍忘機がデンデンだいこを渡して、もう一度お互いさみしかった子供時代をやり直そうというバトンタッチのシーン)

 

 

 

 

 

2.次作の伏線の可能性✍️ 次作で雲夢江氏に関する事件を描く可能性があったのかも

 

とこんなことを考えてみました・・最後は2人の笑顔と抱擁しかなかったと書かれていますし、来世も一緒みたいでよかったね(これは私の願い)❤️

これが、天が定めしもの。

籃家が仏教で雲夢の蓮池で魂を浄化と再生と悟りを開く。よくできてますね❤️

ラジドラで2期11章の屠戮玄武で藍忘機が噛みつくシーン、藍忘機の歌🎵最高です💋中国の魏無羨は甘え上手💕人懐っこさがまさに魏無羨ですね✨さすがだ💕

しかし、ここまで深く考えれたのは藍忘機の演技力があってこそ💕さすがだ