サイボウズの青野氏らによる夫婦別姓訴訟を巡って、ヤフーニュースのこの記事では、ゴール設定について論点整理を試みたが、ここでは、実現性について私自身の素朴な疑問を呈することで、私自身が大手メディアに期待することを補足したい。

 

私のにわか知識では・・・

 

民法第750条

夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

 

戸籍法 第6条

戸籍は、市町村の区域内に本籍を定める一の夫婦及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。ただし、日本人でない者(以下「外国人」という。)と婚姻をした者又は配偶者がない者について新たに戸籍を編製するときは、その者及びこれと氏を同じくする子ごとに、これを編製する。

 

上記を元に、現状は「夫婦同姓」「同氏同籍」の原則に則って戸籍がつくられている。

 

外国人と結婚する場合と離婚した場合に「呼称上の氏」が現状でも認められているのは、いずれの場合も夫婦の戸籍は存在しないので、「夫婦同姓」と「同氏同籍」の原則に抵触しないからだ。

 

さて、ここから先がわからない。

 

青野氏は、戸籍法に「婚姻により氏を変えた者は,戸籍法上の届出により,旧姓を戸籍法上の氏として用いることができる。」の1文を追加するだけで選択的夫婦別姓が実現するという。これであれば「『呼称上の氏』を変えなくてよいので、改姓にかかる物理的・精神的負担を削減できます。」と。

https://note.mu/yoshiaono/n/nd26d89d46048より

 

しかし、夫婦の「呼称上の氏」が異なるということは、「夫婦同姓」か「同氏同籍」か、いずれかの原則に抵触するため、現状では認められない。

 

そのコンフリクトを解消するためには、「夫婦同姓」か「同氏同籍」の原則を排除しなければならず、必然的に民法と戸籍法の両方にまたがる大きな法体系の変更が必要になるのではないか。

 

あるいは原告側は、民法第750条と戸籍法第6条を切り離して考え、「戸籍法第6条では夫婦が同氏であることを前提にしていない」という解釈変更を行うつもりなのかもしれないが、それにしても、夫婦別姓の件だけにとどまらない法的概念の大きな変更になる。

 

とても戸籍法への「1文追加」ではすまないように、素人目には見えるのだが……。

 

なぜ「今回の訴訟内容は、社会が負担するコストが低いと考えています。大きな法律体系の変更は、大きな社会システムの変更をもたらしますが、今回はその逆です。戸籍管理システムの改修はほとんどいらないはずです。」といえるのか。

 

青野氏は「なぜなら、離婚時はすでに氏の不一致を実現できているくらいですから。」というが、現状でも離婚時や外国人との婚姻で「呼称上の氏」が認められるのは、いずれも「夫婦同姓」と「同氏同籍」の原則に抵触しないからである。

 

私も違憲判決を勝ち取ってほしいとは思うし、違憲判決が出る可能性は十分にあると思うが、その後に選択的夫婦別姓を実現する筋道が見えない。「実は、あのロジックには欠陥がありまして、実現は不可能でした」なんてことにはならないだろうか。

 

この点、大手メディアの報道では、私の見る限り特にツッコミは入っていない。それが、一橋大学森千香子氏が指摘するところの「モノが言えない空気」なのだろうか。それとも私が単に的外れな心配をしているだけだろうか。後者であれば大変申し訳ない。

 

念のために明記しておくが、私は原告側に大筋賛成だ。ただ、この実現性の問題と、原告側が「日本会議の提案内容が実現される訴訟です」と表明している2点において、「本当にそれでいいの?」という疑問が拭えないのだ。現状では「総論賛成、各論保留」という立場である。

 

だからこそ、大手メディアには、この件に関して、専門家たちの見解を含めた能動的な報道を期待したい。そして、選択的夫婦別姓の実現に向け、さらに世間での冷静で建設的な議論が活発化すること望む。これは「誰か」の問題ではなく「みんな」の問題だから。