産後クライシスは、かならずしも、夫婦関係が壊れかけていることを意味しない。
むしろそれは人間の成長過程に不可欠な部分かもしれない

結婚のような長期にわたる関係では、パートナーが重要な存在になればなるほど、皮肉なことに、新たな問題が生まれてくるのである

 

つまり、同じ相手とずっと一緒にいるとつらくなる。

そこで、パートナーに自分を犠牲にすることを望めば、結婚生活も親密であることも愛も死んでしまう。

同様に、自分を犠牲にすれば、やはり結婚生活も親密であることも愛も死んでしまう。

であれば、いつまでも無理して同じ相手と連れ合いでいる必要はないはずだ。

より良い環境を求めて新しい関係を手に入れればいいはずだ。
動物のように。

 

それなのに、ひとはなぜ結婚するのか。

逃げ場のない関係性の中でこそ、大切なことを学ぶから。

相手や環境を変えるのではなく、自分が成長するしかないと思い至るから。

そうやってお互いを高め合うことができるようになるから。

 

結婚とそれに付随するさまざまな葛藤によって人間的成熟がもたらされることを人類は学んだのだ。

 

産後クライシスのような葛藤を感じるのは結婚が機能している証拠。

あまり「分化」(心理学用語。人間的成熟の一つのとらえ方)していないひとは、目立った対立がないのを、万事順調な証拠だと誤解してしまう。

 

しかし現代社会は結婚しても逃げ場が多すぎる。自分に向き合う前にできることが多すぎる。

それが夫婦の人間的成長を阻害し、産後クライシスを悪化させているのかもしれない。

 

※参考文献:「パッショネイト・マリッジ」(D・シュナーチ著)