高橋茉奈さんが間もなくお母さんになるということで、今日は子育ての奥義をお話ししちゃおうと思います。

前任の小林千鶴さんがご出産のために番組を離れるときも子育てのコツみたいなことをお伝えした気がするんですけど、そのときは私、5つくらいのポイントをお話ししたんですね。

でもこの仕事をしていると、どんどんどんどん余計なものが削られていって、メッセージがシンプルになっていくんです。

今日、高橋さんにお伝えするのは1つだけ。それが「子どもを見る」ということです。

見るったって、ただ視野に入れているという意味ではもちろんありませんよね。

哲学者のエーリッヒ・フロムは、著書『愛するということ』(鈴木晶訳、紀伊國屋書店)のなかで次のように述べています。

「尊重とは、その語源(respicere=見る)からもわかるように、人間のありのままの姿を見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力である。尊重とは、他人がその人らしく成長発展していくように気づかうことである。」

あらゆる思い込みや価値観を脇に置いて、いま、目の前の、ありのままの子どもを、あるがままに眺めるということです。子どもが世界とどのように向き合って、世界のどこの部分にどのように心を動かして、どのように変化しているかを、流れのなかでとらえるということです。

「目に入れても痛くない」って慣用句は、本来そういう意味だと思うんです。

どんなにやんちゃでも、弱虫でも、未熟でも、その子なりに必死に世界と向き合っている姿をそのままに見ておもしろがる。それが、目に入れても痛くないほどに子どもをかわいがるということだと思うのです。

たとえば小さな子どもが公園で小さな虫を見つけたとします。すると子どもの目が一瞬輝きます。「なにこれ?」「わーすごい……」「おもしろい!」。目が宝石のように輝くだけでなく、体は子鹿のように躍動し、それでいて、心は僧侶のように落ち着いています。

その瞬間を見逃さないでほしいのです。

次の瞬間、子どもは親のほうを必ず見ます。そんなときにスマホの画面をのぞき込んで、どうでもいいSNSに「いいね」なんてしている場合じゃありません。子どもにリアル「いいね」のアイコンタクトを返してあげてほしいのです。

それだけで、子どもは励まされます。

そのときに味わう感覚の蓄積を一般的には自己肯定感と呼びます。自己肯定感とは、「自分にはこれができる」というような実績ベースの自信とは違います。「やればできる」という自己効力感とも違います。「自分はありのままの自分でいいんだ」というほのかな安心感です。

家族で焚き火を囲んでいるとき、冬の冷たい海を眺めているとき、職人さんの熟練の技を間近で見ているとき、子どもは同じように目を輝かせ、体を躍動させ、心を落ち着かせます。そういう場面をたくさん見て、アイコンタクトを返していると、どんどんそういう場面に気づけるようになっていきます。子どもを見る親の目が、どんどん良くなっていくのです。

子どもが自分の進むべき正しい方向を向いているとき、自然に目がきらりと光ります。金属探知機みたいなものです。部活のこと、友達のこと、読んだ本のこと、将来のこと……。子どもがきらきらと目を輝かせながら何かを語っているとき、その方向にその子の進むべき道があります。そっと、ほとんど気づかれないくらいにそっと、背中を押してあげましょう。

それだけちゃんとやってれば、あとはママが少々おっちょこちょいでも、ゆるゆるでも、子どもはちゃんと育ちます。むしろ、それ以上に余計なことはしないほうがいい。この仕事をして、いろんな優れた教育者と話をして、これがファイナルアンサーです。

そうは言ってもいろいろやっちゃうと思うし、やりたきゃやればいいんですけど、迷ったら子どもを見て、目の輝きの導きに従う。それだけで双子ちゃんはきっとしあわせに育ちます。


※2025年9月16日のFMラジオJFN系列「OH! HAPPY MORNING」でお話しした内容です。