こんにちは


田中寿和です。


夢見てみよう


再開 第4回になりました。


後6回でこのブログは終了させて

いただきます。


短い間ですがよろしくお願いします。


2月から今まで生まれ育ってきた

大阪を初めて出て九州の某県に

暮らしています。


ただ


自己肯定感や自己効力感が衰弱して

体調や持病が悪化したり

完全に僕自身、弱り切っています。


なんか本当に行動なんか

したくない。


かなり無気力になっています。


鬱っぽいのかな?


今までで1番ヤバい状態ですね。


実はなぜ今になって

九州に行くことになったか?は


遡ると


昔、僕は支援学校の時に

ある同級生がいましてね。


そいつが僕の父親が当時

長年勤めてきたトラックの運送会社を

クビになって失業して無気力になった

んです。


その父親の失業をネタにそいつが

僕を卒業まで集中的にいじめてきました。


僕が入学してからそいつ同じクラスで

しかも3年間ですよ。


1から100まで僕のあらゆるところを

否定やバカにしていじめてきました。


ただどうしようもないくらい

そいつを許すとか擁護する部分は

1箇所もないんですよ。


そいつの母親はそいつの兄も

そいつも同じ支援学校で

同じ知的障害者なんです。


だから

父親がその子供が2人

知的障害者だからという理由で

家にいなくて母子家庭なんです。


そいつの母親はその子供が

2人知的障害者だから

そのストレスのはけ口に

先生や保護者をいびるような

いじめっ子気質だったんです。


残念なことにそいつは

その母親の背中を見て育って

いじめっ子気質を受け継いで

いじめをやっていました。


そいつはなんか僕をいじめる理由は

僕をいじめる理由が面白いみたいで


父の失業と僕が中学校の時に

同級生からいじめを受けて

2度の不登校を経験したというのが


そいつにしては

かなり僕の存在が美味しい😋みたいでした。


だから本当はそいつは

僕じゃなくてもいじめる理由があれば

誰でも良かったという

どうしようもない救いようがない

情状酌量の余地が全くない奴でした。


本当に彼の1番救いようがない

部分は自分が障がい者ということを

逃げ道にしていじめを繰り返していました。


大まかに言うと

障がい者の自分に甘えていたんです。


障がい者の自分に甘えて

自分は障害の等級が重たいのを

いいことに


うん、その障害の等級の重たさに

甘えて人をいじめてもいいと

いう考えをしていました。


相当、そいつは性格が悪い。


他にも会話ができない

見たまんま重度の子など

手当たり次第いじめていました。


あと

後輩になるのですが

僕と同じようにお父さんが失業した

男の子をそいつは僕の担任と

一緒になっていじめていました。


この話、救いようがないのは

極めつけがまず僕の担任が

2人いるのですが


入学した時から3年間同じの女性の教師と

2年から担任の男性教師がいて


残念なことにその2人の担任が

そいつのいじめに加担していたんです。


進路の教師も2年から同じクラスで

そうです。


教師3人がその生徒のいじめの

共犯なんです。


これは本当に人間として

ダメじゃないですか?


その男性の担任は

ヤバいくらいえこひいきする人で

彼を中心にいじめの構図が

できていました。


後輩のお父さんが失業者の男の子は

いつもその女性の教師の声を聞いたら


反射的に血相を変えて怒声が混じった

大声を出して声を荒げていました。


しかもその男の子のお父さんが

失業者とわかった地点でそいつと

その担任がいじめていました。


まず

僕はその男の子は

元からそんな反射的に血相を変えて

声を荒げるような子じゃないです。


そのお父さんの出来事が起こる前は

そんなことが全くなかった。


そうです。


そのお父さんの出来事から

彼はそんな子になったんです。


他にも色々と嫌なことがありましたが

エピソードが多いしセンシティブな

内容が先行しますので割愛します。


その時から僕はそのいじめの中心に

いる担任に卒業まで訴えたのですが


障害の程度が学校で1番僕が軽いから

1番軽い僕が悪いと叱責を受けました。


だからそんな障害の程度が1番軽い

僕の存在がかなり疎ましいから

いじめたくなる。


いじめられる僕が悪いと彼らは

言いました。


おかしいじゃないですか?


なんか僕のクラスの同級生

そいつの母親などそんな僕が

嫌いだから疎ましいから

妬みと僻みで僕をいじめようとなった

そうです。


これは道徳的に倫理的にNGです。


だからその先生は僕をいじめた

彼らはみんな僕より障害の程度が

下だから僕を傷つけていいと言う

ルールを作っていました。


だから僕を傷つけていい。


彼らはみんな障がい者だから

できたくてもできないだから

障がい者という立場に甘えて

人を傷つけていいという権利と

道理があるとその担任は言いました。


そんなアホな道理なんか

絶対ないですから。


そのまま

いじめが終わらなくて卒業して

僕はそのままその学校の親校の

某大学の非常勤職員。


臨時用務員として就職するのですが

思い出せば思い出すほど

頭が痛いのであとこの場面も

トラウマで内容がセンシティブなので

控えます。


その進路の教師が僕の上司に

大学で障がい者雇用のセミナーの

講師をしながら上司に近づいて

僕を力で辞めさせる計画を企てて

それまで衝突が全くなかった

上司から理不尽な暴言とパワハラを

受けて統合失調症になり持病が悪化して

退職になりました。


その上司達はみんなで嘘ばっかり

ついて僕を傷つけていました。


僕を傷つける奴はうちの職場には

いないと言いながらその課長は

自分だけ僕を辞めさせた後


和歌山の大学に人事異動

逃亡しました。


さらにその辞めさす計画に加担した

障害福祉の方がいてその上司から

理不尽なパワハラを受けてるから

仲裁に入るように母と僕が依頼したのに


彼はその仲裁と仕事を放棄して

上司側に加勢と加担していました。


しかも大学から仕事をもらい

自分だけ彼はその障害福祉の部署の

センター長に出世して美味しい思いを

していました。


そう悪いことをしてのしあがり

ました。


その後も彼は僕には会っていないのに

仕事すらしてない。


就活などのサポートまでしてないのに

彼が僕の担任としてずっと居座り

謝罪もなく給料を当たり前に

もらっていました。


さらにその実態を知っている

堺市の役所の職員である正⭕️という

人などみんなでそいつを守って

責任を取らずにそいつとは

折り合いがつかなかったと

嘘ばっかりついて僕や母、家族を

平気で堺市の人間、福祉の職員が

騙していました。


詐欺師達の話は省略します。


そこから前の事業所の管理者などから

もみんなで連携して未だに

僕を傷つけて嘘ついて騙しています。


相談員も加害者を擁護して

脅迫していました。


家族もその出来事から

見境なく虐待を受けていました。


ただ

その堺市のその大学の時に加担した

吉⭕️という人達は平気で嘘を未だに

ついて騙しています。


吉⭕️はみんな僕の虐待


我が吉⭕️の虐待はお咎めなしで

なかったことになってる。


なのに家族の虐待は

堺市が受理していました。


すごく汚いです。


ただ

僕は堺市の西区から堺区や北区に

移っても吉⭕️達堺市の福祉の職員は


バレたくないから汚いのですが

平気で嘘をついて騙しています。


なぜか?住所が堺区や北区なのに

トラブルがあったしかも謝罪がない

西区に管轄になっています。


ずっと西区が管轄になっており


このまま堺市、大阪に暮らすことに

家族と話し合って身の危険を感じて


九州に移住することに成り行き的に

なりました。


辛いですよ。


未だにまだその福祉の連中から

嫌がらせにあったり


前の事業所で僕は同僚のAという

じじいからお金を高られて

何回も常習的にそのじじいから

お金を取られています。


そのじじいから未だに

Twitterで誹謗中傷を受けています。


ただ内容は根も葉もない


真っ赤な嘘です。


だから九州に移住となり


怒りにかなり呑まれて

どうしようもない状態になりました。


僕は未だにですが


昔の今まで僕を力で傷つけてきた

人達への憎しみや怨み


過去に縛られて時間がまるで

止まっています。


実はそんな過去だとか


本当はただの幻想にした

過ぎないはずなのに・・・


過ぎ去った過去はもう幽霊

みたいなものなのに


僕の体や頭、心の中には


未だに地縛霊のように


そんなかつての過去と

傷つけてきた人達の出来事が


僕の中で住み着いているみたいです。


だからそんな幻想を今から

僕はどうしたいのか?と考えると


そんな僕の心や体に

長年、住み着いている幻想を

追い出していきたい。


本当に僕自身の本当の心の声に

素直になって自分の人生を

自由に生きて行きたいと

決意しました。


とは言え虐待した母の物差しは

僕を裏切り続けていました。


ただ悲しいことは

年を重ねるごとに


母はヤバいくらい病的な

毒親に姿を変えてしまった。


しかし

昨日、今日と母のブログを

見てかすかに母には


小さい頃の僕や弟の写真を

アルバムに保管して僕が

九州にいても


大切に保管したアルバムを

みながら僕や弟のことに


恋しく思っていた。


母のブログの文面には


本当は嘘ではなく


あの人はたしかに


今の段階では


僕のことを世界で1番愛してる人は


他の誰でもない。


母ということに僕は気づいてしまった。


いやもう1人、母と同じように


僕のことを世界で1番愛してる人が

いました。


同率1位なんですが


それが父でした。


父も小さい頃、僕が生まれた時は


嬉しくて嬉しくてたまらないと

今でも誇らしく語っていました。


マザコンとか誤解する文面を

失礼しました。


たぶん

毒親に姿を変えた母や父ですが


本当は世界で1番僕を愛しているのに


その愛情表現がかなり不器用で

苦手だったのかもしれない。


平気で嘘をついたり騙したりする

どうしようもない福祉のクズ達や

僕を平気に傷つけてきた人達全員

詐欺師に対して母や父達の本音は


僕以上に僕が思っている以上に


僕はそんな今まで僕を傷つけてきた

人達を視界が入っていて

視野が狭い思考だったから全く


気づかなかったのだけど


母や父達の方が奴らには

かなり許せない腹立つ。


憎いという負の感情があって


その感情がどうにもならない。


ベクトルの向け方がわからないから


僕に対して毒親として振る舞っている

ことも好き好んで両親は本当は

やりたくない。していない。


愛情表現ができない


どうしようもなく

やるせない気持ちがピークに

なってやむおえなかったのでは

ないか?という結論に僕自身は


悟ってしまった。


だから家族を許すことすらできないが


いや凶器で逆恨みして怪我させた弟

毒親として自分の価値観という

物差しを振りかざし

被害者意識を刷り込んだ母、父を

家族して僕も甘えていた


自分の無力さで彼らを傷つけて

親不幸にした自分がかなり惨めで

虚しく感じた。


ずっと僕は今まで自分を

傷つけた奴のために無条件に

家族を傷つけた自分から

逃げてきたし美化してなかったことに

してきた。


中学校の時から今まで

家族を傷つけてきた事実は


今になって虚しいまま

僕は大人になって30を過ぎた。


未だに後ろめたい罪悪感が

拭えないでいる。


僕はその今まで僕を傷つけてきた

奴らを許すことは一生無理だし

まず彼らは仕打ちは悪人だし

倫理観も道徳なんか


1ミリもないくらいの極悪人である。


それに僕はそんなに誰でも

無条件に許せるような聖者でも

聖人君子すらない。


たまに生きていたら

ガンジーやマザーテレサの生き血を

吸って聖人君子になりたいという

ような考えがたまに出てくる。


ただ


一つだけ言えることは


どんな自己啓発本や成功哲学に

書いてある感謝の気持ちなんか


自発的に感謝の気持ちは

湧いてくると思う。


たぶん

家族だったら

家族を本当に家族は許してくれない

かもしれないけど家族が生きてるうちは

いや僕が生きてるうちは


僕はおそらく家族ならば

自発的に許せるんじゃないか?と

思ってしまう。


だからこそ


出口の見えないゴールを見失った

ゴミ溜めの人生から僕は抜け出して

行きたいとこのブログを書いた

限りは足を踏み出して行きたいと

誓った。


そんなかなり傷ついてきた

家族が幸せになる家族を自分のこと

のように祝福しようと決めた。


家族の幸せを祈りつつ

僕は僕の人生を切り開く。


ただ誰の人生ではない僕自身の人生

なのだから。