日本人が発明したドラッグ

 

 

 

事実は、1951年に制定された「覚せい剤取締法」によって、ヒロポンは明確に違法薬物に指定されていた。モカンボ・セッションがあった54年には、じつに5万6000人が同法違反で検挙されたという。モカンボ・セッションに参加していたミュージシャンたちが逮捕されなかったのは、たんに運がよかっただけと言うべきだろう。

ヒップの誕生Vol.9_モカンボセッション_ドラッグ

ヒロポンは商品名で、薬名はメタンフェタミンという。いわゆる覚醒剤、スピード、あるいは警察や暴力団用語でいうシャブとまったく同じドラッグである。敗戦後の日本で覚醒剤が蔓延したのは、その発明者が日本人だったからであり、それを兵士に供与していた日本軍が戦後になって市場に大量に放出したからである。

麻黄という漢薬からエフェドリンという成分を抽出し、化学合成したのがメタンフェタミン、すなわち覚醒剤で、その成分抽出に1885年に成功したのが、のちに近代薬学の祖と呼ばれることになる薬学者の長井長義である。メタンフェタミンは当初、喘息の薬として使われていたが、1930年代になってこの薬に神経中枢を興奮させる作用があることがわかった。その作用が発見されたのは、ナチス政権下のドイツにおいてであった。

覚醒剤には、メタンフェタミンのほかにアンフェタミンという薬も含まれる。これを全化学合成によって生み出したのはドイツ人だった。いわば、日本人とドイツ人の協力のもとに今日の覚醒剤は生まれたのである。ナチス総統のヒトラー自身、アンフェタミンを常用していたとも言われている。あの地獄のようなユダヤ人虐殺計画が「シャブ中」の頭によって構想され、実行されたものだったとするなら、覚醒剤はまさしく人類史上最悪の悪魔の薬と呼ばれるべきだろう。

ヒップの誕生Vol.9_日本軍_ヒロポン

仕事を愛するようになる薬

ヒロポンという商品名は「疲労をポンととる」という意味であるという説があるが、それは俗説で、正しくはギリシア語の「philoponos(フィロポノス)」からとられた名前だ。「philo」は「愛する」、「ponos」は「仕事」で、すなわち「仕事を愛するようになる薬」というわけだ。「ponos」にはまた「苦痛」という意味もあって、そうすると「苦しみを愛するようになる薬」となる。製薬会社は前者の意味でヒロポンとつけたに違いないが、覚醒剤中毒とはまさしく「苦しみを愛する」としか言いようのない症状であると、ある覚醒剤経験者は話している。その証言については、回をあらためて紹介したい。

ヒロポンによってなぜ「仕事を愛する」ようになるのかと言えば、この薬には文字どおり覚醒作用があって、夜間でも仕事を続けることができたからだ。日本軍がヒロポンを「猫目錠」と呼んでいたゆえんである。軍は、夜間勤務の軍人、夜間飛行をするパイロット、軍需工場の工員、特攻隊員などにこの薬を支給していたという。戦後の日本のジャズ・シーンには、軍楽隊上がりのミュージシャンも少なくなかった。そのような人たちが軍隊内でヒロポンを経験し、戦後のミュージシャンたちにその経験を伝えた。あるいはそのような事実もあったかもしれない。