日本人の血管を守る魚と大豆の力

写真:現代ビジネス

 日本人が動脈硬化を起こしにくい原因の一つと考えられてきたのが、善玉HDLが多いことです。日本人と米国白人の血中脂質の濃度を比較した2008年の論文によると、悪玉LDLと中性脂肪の数値はほとんど同じでしたが、米国白人の善玉HDL値は日本人より10%低くなっていました。  善玉HDLは、あまったコレステロールだけでなく、酸化LDLも引き抜いて肝臓に運んでくれます。この他に、悪玉LDLを酸化されにくくする作用や、血管の内側の細胞を守る作用も報告されており、日本でも海外でも、心筋梗塞に関しては、悪玉LDLが多いことより善玉HDLが少ないことのほうが問題と考えられています。  日本でも食の欧米化が進んでいることから、これからは日本人も善玉HDLが減って動脈硬化になり、心臓病が増えるのではないかと予想する専門家もいました。ところがです。最近になって驚くようなことがわかりました。厚生労働省の「国民健康・栄養調査」によると、食の欧米化にもかかわらず、日本人のHDLは減っていないのです。  図5-5は、日本人のHDLの数値を男女別にグラフにしたものです。男女ともに数値はほぼ一定で、ほとんど変わっていないことがわかります。日本人のHDLが高い理由を解明して動脈硬化の予防に応用できれば、世界の人にとって大きな恩恵になるかもしれません。  そして日本人の動脈硬化が進みにくい原因とされるものが、もう一つあります。魚です。  先に書いたように、悪玉LDLバスには、コレステロールの他に脂肪酸がお客さんとして乗っています。脂肪酸はどんな脂質にも入っている成分で、大きく不飽和脂肪酸と飽和脂肪酸に分けられます。そして、この脂肪酸の種類によって悪玉LDLバス全体の酸化されやすさが決まるのです。  図5-6の左のバスを見てください。悪玉LDLバスに乗っている脂肪酸は、通常はリノール酸やアラキドン酸に代表される不飽和脂肪酸です。不飽和脂肪酸はとても酸化されやすく、不飽和脂肪酸が酸化されると、悪玉LDLバス全体が酸化されて酸化LDLになり、動脈硬化を起こすと考えられています。  ところが日本人の悪玉LDLバスには、同じ不飽和脂肪酸でも、動脈硬化をむしろ防ぐEPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)が多く乗っていることが明らかになりました。EPAが注目されるきっかけになったのは、1970年代にグリーンランドでおこなわれた調査です。アザラシや魚を多く食べるグリーンランドの先住民には心臓病が少なく、その後の研究で、同じ傾向が日本人にも認められたのです。  EPAもDHAも不飽和脂肪酸なので、酸化はします。ところが、EPAとDHAは水中では酸化されにくく、それどころか他の脂肪酸の酸化を防いでくれることがわかりました。この仕組みはまだ完全には明らかになっていませんが、体内は水で満ちていますから、EPAとDHAの強みが最大限に生かされます。  EPAとDHAは、魚、とくにアジ、イワシ、サンマ、サバなどの背中の青い魚に豊富に含まれています。このうちEPAは中性脂肪の合成をおさえ、その分解を促すことで体内の中性脂肪を減らします。また、冠動脈がふさがる原因になる血の固まりをできにくくする働きもあります。DHAは中性脂肪だけでなく悪玉LDLも減らします。でも善玉HDLは減らしません。中性脂肪は悪玉LDLを小粒にして酸化されやすくしているので、こうして中性脂肪が減れば、動脈硬化が起きにくくなるわけです。  日本人は伝統的に魚を多く食べてきたので、悪玉LDLバスのお客さんがリノール酸とアラキドン酸からEPAとDHAに変わり、動脈硬化を防いでくれていると考えられます。日本人4万人を対象にしたコホート研究では、EPAとDHAの摂取量が最も多いグループは、最も少ないグループとくらべて、心筋梗塞に代表される心臓病の発症率が40%も低くなっていました。  日本人は世界でも魚をよく食べ、心臓病の発症率が低い民族ですが、そんな日本人でも、魚の摂取量を増やせば心臓病の危険がさらに小さくなるということです。EPAとDHAの効果は欧米人でも確かめられており、現在、欧米を含む世界数十ヵ国で、魚に含まれる不飽和脂肪酸を濃縮した脂質異常症治療薬が使われています。  厚生労働省は、EPAとDHAが動脈硬化を防ぐだけでなく、糖尿病、乳がん、大腸がん、肝臓がん、認知症の一部、視力が低下する黄斑変性症などの発症率を下げる可能性があるとして、EPAとDHAを合わせて1日1g摂取するようすすめています。  日本人1人あたりの魚介類の消費量は今も世界トップクラスで、2006年と2007年の調査によると、EPAとDHAを米国白人の4倍摂取しています。しかし、食生活の変化から魚の摂取量は減少を続け、またEPAとDHAが多いサバ、アジの代わりに、サケ、マグロなど、EPAとDHAが比較的少ない魚が好まれるようになったことで、EPAの1日摂取量は1975年をピークとしてじりじり下がっています。魚を食べて動脈硬化を防ごうと思うなら、これではだめです。  といっても深刻に考える必要はありません。サプリメントを飲まなくても、背中の青い魚なら1日50g食べれば十分です。握りずしのネタが平均13gなので、サンマのにぎりなら4貫。焼きサバ1切れ、サンマ塩焼きはどちらも120gですから、1回食べればゆうに2日分あって、おつりがきます。EPAとDHAは魚の皮や血合いにも豊富なので、塩焼きや煮つけはきれいに食べてください。こうやって日常生活で魚から摂取する分には、どれだけ取ってもかまいません。  そしてもう一つが、これまた和食の主役である大豆です。日本人の大豆摂取量は他の国よりはるかに多いものの、その日本人のなかでも摂取量が多いグループは、大豆をあまり食べないグループとくらべて脳梗塞の発症率が約3分の2に、心筋梗塞の発症率が約半分になることが、日本人を対象にした大規模調査から明らかになりました。残念ながら、この効果が認められたのは女性だけで、男性には効果がありませんでした。これは、大豆に含まれるイソフラボンが、女性ホルモンであるエストロゲンに似た働きをするからだと考えられています。  図5-7は1日あたりのイソフラボンの摂取量と、心筋梗塞による死亡率の国際比較です。これは1983年から20年近くかけて実施された調査で、尿に排泄されたイソフラボンの量から摂取量を推定しています。すると、イソフラボンを多く摂取している地域ほど、心筋梗塞による死亡率が低い傾向が見られました。  イソフラボンの作用は本物の女性ホルモンとくらべて非常に弱く、あまり長続きしないので、大豆製品は毎日取るようおすすめします。こう聞くと、サプリメントを利用したくなるかもしれませんが、サプリメントでまったく同じ効果が得られるかは結論が出ていません。  大豆にはイソフラボン以外にも、さまざまな有効成分が入っており、一緒に摂取することで作用が強まる可能性があります。たとえば大豆に含まれるレシチンには水にも脂肪にも結びつく性質があり、肝臓にたまった余分な脂肪の排出を促します。また、サポニンという成分には悪玉LDLの酸化をさまたげる作用があります。ビタミンや食物繊維も豊富ですから、やはり大豆または大豆製品として丸ごと摂取すべきでしょう。  さらに連載記事<「胃がん」や「大腸がん」を追い抜き、いま「日本人」のあいだで発生率が急上昇している「がんの種類」>では、日本人の体質とがんの関係について、詳しく解説しています。

奥田 昌子(医学博士)