医療が、どんどん対象を拡大して人々の思考を無意識に支配するようになった現代、

自分の身体、自分の健康にも主体性を失い、自分の体なのにその管理に関して無関心・無責任となり、

玉石混淆なのに、偶然遭遇した医師を信用してしまって、全面的に任せて平気となってしまう。

 

思考停止して、怪しむことなどない状態になってしまっている。

医師による「専門家支配」が恐ろしい。「専門家に任せなさい、あなたは素人なんだから・・・

いわゆる「お任せ医療」状態のことだが、そのことで、増長した医師による医原病を

医師自信が見抜いたという例も多々ある。

 

医薬品の使用は副作用をもたらす可能性がある。また薬害が発生することもある。

外科的手術にも過失による殺人が発生することもある。

麻酔や薬剤投与による過失による殺人の例も多々ある。

 

古代ギリシャの時代より、医者が患者を害する可能性は知られていた。

19世紀の西洋では医師が、細菌のことや消毒のことも知らず、細菌に汚染された手で患者や妊婦に触れたので、患者や妊婦への細菌の伝播が起こり、患者や妊婦はとんでもない高い確率で死亡していた。

 

医療とて他の様々な技術と同様に、常に発展途上で不完全であり、

医療従事者の意図にかかわらず、医療行為によっては患者を害する可能性がある。

 

パストゥール細菌を発見する以前、19世紀中ごろまでの西洋の医学会では、

清潔や不潔という概念も浸透しておらず、消毒法も確立していなかった。

 

手術に医師は血に汚れたフロックコートを着て臨むなどし、患者らの傷口は

細菌に汚染された共用の「たらい」の中の水で洗われ、患者間での細菌の伝播が起こった。

 

1867年の統計では、手足切断手術後の死亡率はチューリヒで46%、パリでは60%に及んだという。

 

イグナーツ・ゼンメルワイス(1818年-1865年)は、まだ病原菌などの概念が無い時代

であったにもかかわらず、今日で言う接触感染の可能性、医師自身が感染源に

なっている可能性に気づき、産褥熱の予防法として医師がカルキを使用して手洗いを

行うことを提唱した。

 

だが、医学会はそういった彼の善意からの指摘を認めず、

逆に当時の医師らは彼を迫害するような行動をとった。

多数派の方が間違っていたのに、より真実に近い人の方が、キ○ガイ扱いされた。

 

1970年代初めにアメリカで発生したポリオのほとんどは、アメリカで使用されている

ポリオ生ワクチン副作用である可能性が高い。

 

1956年東京大学法学部長の尾高朝雄が「ペニシリンショック」で死亡するという事故が起き、

報道機関で大きく取り上げられた。

この事故をきっかけとしてペニシリンによるショック死は実はすでに100名に

及んでいたことが明らかになり社会問題としても扱われることになった。

 

ロバート・S・メンデルゾーンはアメリカの小児科医、反ワクチン接種医。

彼は不必要で根本的な外科的処置と危険な薬物療法を非難し、

1976年の豚インフルエンザの発生や妊娠中にジエチルスチルベストロールを

服用した女性の娘に引き起こされた被害などの公衆衛生上の問題を提起した。

 

医師が、(患者からは医療と思われていても)治療効果が無い行為や

患者を害する行為を行うことがある。

患者にとって意味がない治療行為や害があるような行為や

患者の希望や意思を無視した治療がある。

 

医師自身が、ある行為(投薬、手術など)に治療効果が無いと知りつつ、

あるいは患者に害を及ぼすと知りつつ、その都合の悪い事実を隠して行っている場合がある。

 

患者たちは気付いていないが、現代医学というのはまるで宗教のような面があると、

医師のロバート・メンデルソンは指摘した。

患者は白衣を見ただけで、無意識のうちに、ついつい白衣を着ている人のことを信じてしまうという。

 

まるで宗教の信者が宗教施設内で法衣をまとっている人を眼にしている時のように。

 

本当は白衣を着ていても、どんな人柄なのか全然判るわけではなく

とんでもない詐欺師である可能性も十分にあるというのに、

現代人というのは多かれ少なかれ科学を崇拝しているので、

先入観があって、白衣を着ている人のことを ついつい反射的に信じてしまう。

 

医師は人々の間にあるその先入観を知っており、それを巧みに利用して

患者の心理を操作するために、本当は白衣を着る必要がない時でもあえて白衣を身にまとい、

意図的に白衣姿を患者に見せようとするという。

マインドコントロールのツールみたいなものだ。

 

お坊さんが葬儀のときに、背広でやってきたら、お葬式というような感じがしないだろう。

厳かな雰囲気を醸し出すツール。

 

医者と医療情報への妄信と過剰な期待が悲劇を生む。

健診は健康のためにならず、予防接種は障害をもたらす。

医療にかかわると元気な人でも病気になってしまう。

権威や厚労省の言葉をうのみにするのは、もうやめようという人もいる。