あなたは今メネラウスの定理を生活上必要としていますか?

あなたはフレミングの法則(左手でも右手でも)を何らかの意味で活用していますか?

ほとんどの方には今に直結して早急には必要性のないものを小学校から習い続けています。

では膨大な時間をかけて学ぶことにはいったいどんな意味があるのでしょう。

 

それをそのまま使わずとしても学んだことを生かすか否かで思考や生活が変わることは実は多々あるのです。○○を食べられないなんて人生損をしているとは似て非なるものがあります。損というより実生活に生かせば学校で学んだことは教科の枠を越えて今の自分を形作っていると断言しましょう。

 

反対意見もあるでしょうが、では全く教育を受けなかった場合を想像してみて下さい。最早生活が成り立たなくなることは明白です。

乳幼児教育からスタートする広義の教育によって今のあなたの価値観の元が生成されています。

 

生活から仕事、家族や周囲の交際等全てに渡って教育を受けた結果が今の姿なのです。その中のほんの一部として先に挙げた定理なり法則があるのです。忘れても全然構わないのですが、必要な場合や覚えておくとよいことがたくさん詰まっているのです。それは遊びからも学びます。例えば鬼ごっこでは鬼になりたくない。ばば抜きで負けたくない。でも、鬼になることもあるじゃないですか。そういった家族・地域・学校・友人等の社会生活の中で学んだことは生かせないとただ文句や言い分けばかりになります。

 

税金が高い?でもその税金は憲法上日本国民として納税の義務を負う訳ですし、国があなたを守ってくれています。支払い能力がなんらかの事情でなければ支援策も用意されています。それでも嫌なら議員にでもなって自分で法改正をするなり、他国の国籍を取るなり自由にすればいいことです。言い分けには何の生産性もないです。甘えの構造はそうやって作られていくのでしょう。

 

また、最近の講演会で教育委員会の方のお話しを伺ったり、小学校の校長先生のお話や現場の教師の発言を聞いたりする機会がありましたが、これでいいのだろうか?と耳を疑うことばかりでした。聖職とは遠い距離感のある現状にくさびが打てればと思ってまた9月から講演会等をとおして訴えて行きたいと思います。