毒親、機能不全家庭、子供への虐待


ひっくるめると、『家庭内で起こっている子供に対してのイジメ』ということ。


親、祖父母という大人に比べて、子供は当然弱い存在。


だから、しつけと称して子供をいじめる。


暴力とかネグレクト、性加害だけがいじめじゃない。


いじめている親や大人は、自分が子供をいじめているなんて気付いてない場合がほとんどかもしれないけど。


私はそんな分かりやすい虐待を受けていた訳ではないけど


ハッキリと、私の親は毒親だし

親からいじめられていた


と断言できる。


いじめの内容は家庭によると思う。


だから、うちの方がマシ、うちの方がひどいとか比べるものではない。


いじめってどんな場合にも言えるけど


いじめられた者が、ハッキリと『いじめられている』と認識したのなら


それはもうれっきとしたいじめなのだ。


いじめられている方にも原因がある


とか


いじめられていると受け取る方の受け取り方に問題がある


とか


全てそんなものは加害者側の言い訳。


だから


こちらが「毒親育ちだ」「親にいじめにあっていた」と声をあげることで


外野が


「それくらいで?」


とか、


「親はみんな完璧じゃない」


とか


「親は大切にしないと」



なんて言う権利は無い。



そもそも『自分はいじめられていた』と声をあげることがどれだけプライドを傷つけられることか。



そんな風に声をあげる方がリスクなのにも関わらず、声をあげることの意味。


その意味を考えることのできない、そんな能力の無い大人や加害者が


『いじめられていると受け取る方が問題だ』と言う。



いじめられるということは、いじめ加害者に下に見られている、弱いと思われている、ということ。


いじめられるに値する人間ということ。

(決してそんなことは無いけど)


粗末に扱われても仕方ない人間だということ。

(これも決してそんなことは無い)


それを自分から、私はいじめられている、いじめられていたと声をあげることがどれだけ勇気のいることか。


常に被害者意識を身にまとって来た人物からみると

「どうせ被害者でいたいだけでしょ?」


と思う。


それは、自分の中に被害者意識がいっぱいだから相手もそうじゃないか、という意識になるだけ。

そもそも『自分が加害しているかもしれない』という意識が抜け落ちている。


誰もが加害者になる可能性があるのに


自分が加害者になるはずはない

自分はむしろ被害者だ


とずっと思っている。


こういう者が、誰かがいじめにあっていると知った時に、「いじめられている方にも問題が…」とか言えてしまう理由だと思う。


自分も加害者になる可能性はある、と意識している者であればあるほど


そんな言葉は出てこない。



私は毒親育ちであることに向き合っていると同時に


自分の子どもたちにも、加害してしまっていないか意識している。



ここがすごく重要なポイント。



私が向き合う理由は、もちろん自分の幸せのためでもあるけど、自分の親と同じように気付かないうちに子供たちに加害して、子供たちの幸せを奪わないようにするためだ。



だから、まずは自分の被害をしっかり認めることから。


あの時、私は母親からどんないじめを受けてきたのかしっかり認識する。



次の記事にいくつか具体的に書いていこうと思う。






ここまでお読みくださりありがとうございます😊