不登校の小学生二人の娘の親である私は
教育って何だろう、子育てって何だろうと
数多くのことを考えさせられ
娘から沢山色んなことを学ばせてもらって、確実に数年前よりも成長したと思います。
不登校初期には到底思えなかった
『子供が不登校になって良かった』
という感覚。
今はこの思いがどんどんと増してきています。
確かに子供が学校に行ってくれていたら
〇〇もできるし、普通に学校に行けている子供のお母さんが体験しないような〇〇な苦労もなかった。
でも、子供にとっての本当の幸せって何だろう?
と目を向けることは、同時に自分の幸せにも目を向けることになり
結果。。。必然的に、『自分の幸せって何?』『自分の人生って何?』を考えたり、常に自分を幸せな状態にしようという努力の方向性になっているから
本当に申し訳ないくらい…
今、確実に私はどんどん幸せになっていってます♡
例えば、子供がみんなと同じように今学校に普通に行けていたとしたら
私は間違いなく、何の疑問も無くパートに出たりして働いていたと思います。
夫の収入、家計の状況に関わらず。
子供が不登校でも働いているお母さんは沢山いると思いますし、家庭の状況や働く動機もそれぞれでしょうが
私の場合は
「少しでも稼がなきゃ。家計を支えなきゃ。」
「ただ家にいるだけなんて夫に申し訳ない」
という意識で、具体的な家計の状況を知らなくても働いていたと思います。
実際、月々どのくらいの収支で貯金にいくらくらい回っているのか…私は具体的に把握していません。
以前は家計簿なんかもつけたりしていましたが、それも今はつけていません。
(夫の年収やクレジットカードで毎月どのくらい引き落とされるのかはだいたいわかりますが)
家計の管理は、ほとんど夫が管理しているし
お小遣いなんかも自分で管理してもらっています。
私はただ、クレジットの家族カードを使って日々の買い物をしたり子供に必要な物などほしい物があれば、それで支払ったり。
現金が必要だったら、そのクレジットカードが引き落とされる口座から現金を引き出したりするだけ。
毎月食費は○万円、と決めたりせず。。。
安くてお得になっていれば買ったりもするし
ほしいと思ったら奮発することもあるし
ありがたいことに、節約!!と躍起にならなくても
生活していけています。
(今のところ夫から「赤字で困っている…支払いが難しい…」と聞かないので大丈夫なのでしょう)
私が専業主婦で何の収入がなくても生活できているのです。
さらにありがたい事に、夫から年に2回のボーナス時に10万円ずつ自由に使えるお小遣いをくれるので
そのお小遣いでたまにカフェやランチをしたり、たまーに洋服を買ったり、本など趣味のものを買ったりします。
でも、家族カードは自由に使えるので、それで日常的に使うものなどは足りますし
ありがたい事に、パートをしなくても十分に満足した生活ができています。
しかも旦那さんは、お小遣いをくれるだけじゃなく
結婚記念日や誕生日などの節目にはちょっとしたプレゼントをくれたり
普段、私の好きな抹茶のお菓子を買ってきてくれたり。。。
私は十分にお返しできていないかもしれないけど
ただただ、ありがたく受け取らせてもらっています…
この間はバレンタインデーに逆にチョコレートをくれました。
俺はいらないから、と…
さすがにお返しをしたいので、ホワイトデーには彼の好きなカステラをプレゼントしようと思います。彼の稼いだお給料で…w
私が日々の家事などで疲れたりストレスがたまっていたりすると
休みの日は率先して料理を作ってくれたりもします。
それを踏まえて
もし子供たちが普通に学校に行っていたら…?
こんなにありがたい状況であることにも気付かず
「少しでもパートに行って家計の足しにしなきゃ💦」
「せめて自分のお小遣いくらいは稼がないと」
と、パートを続けていたでしょう。
そして、疲れている中でも、主婦は家事をするのが当たり前だから、と…イライラしながら家事をして
日々が淡々と過ぎていたと思います。
それって、そんな意識で生活し続けて、本当に幸せだったかな?と思います。
子供たちが小学校にあがるまでは産休と育休を使いながら働き続けていたし、専業主婦になる事が自分の中で許せませんでした。(仕事に逃げたかった)
看護師の資格を取ったのは、働いて稼ぐため。
小さい頃からの母から立派な呪いを引き継いで
「少しでも稼ぐ」
ということしか頭になかった時。
そんな意識で居続けていたら
旦那さんにも感謝することなく
こうやって愛情を受け取ることもなく
私が苦も無くできることをやって何気に家族を支えている、という事実に気付くこともなく
自分がただ存在しているだけで家族みんなが幸せ、ということを実感することもなく
母なんだから、妻なんだから、看護師なんだから
働いて家事をして、自分の時間を持つことも惜しんで
家族のために何かしなきゃ
家族を支えなきゃ
と、幸せからは遠ざかっていたでしょう。
私は何もしなくても、夫や子供は幸せだし
私は何もしなくても、こんなに夫や子供から愛情をもらえているのです。
子供たちが不登校になって
私が専業主婦でも幸せで、幸せになっても良いと気づかせてもらった。
(世の中には、『専業主婦になりたいのになれない!なれるものなら仕事辞めたいのに!』と思っている主婦の方が沢山いることは承知の上。こういう人たちは、専業主婦になれる環境を与えられていざ専業主婦になったらなったで私のように罪悪感を持ったりする人が多いと思う。)
仕事をしていない専業主婦は、怠け者で社会とつながることもできない、社会に貢献することもできない役立たずでニートのような存在だと
心の何処かで私はバカにしていたのです。
専業主婦になって5年以上経ちますが…
そんなふうに無意識で思っていた昔の私は、幸せを自分で遠ざけていたのだなとハッキリ分かります。
今、例えパートに出たとしても
今までの意識とは完全に違うと思います。
今はパートに出ることが自分の負担になることは分かりきっているのて働くことは考えていませんが
自分がその仕事をして心や体が充実することが確実であれば
私は働くと思います。
ただ、稼ぐという意味だけの手段ではなく
自分が幸せになる一つの手段。
仕事ってどんな仕事も本来はそういうことだと思うのです。
うちは貧乏だから
うちは収入の少ない仕事だから
旦那の稼ぎは少ないから
恵まれていない環境だから
そんなことを言えるのは収入に余裕のある人でしょ
金持ちな人でしょ
最初から色々と恵まれている人でしょ
って、多分大体何かしら日々問題を抱えている人達はみんな思考がそうシフトするんだと思います。
ハッキリ言って
関係ない😊
うん、根拠は無いけどそう私は言い切れますw
あくまで旦那も一般的にありふれた職業です。
お仕事って本来、どんな仕事でも人を幸せにするために存在していると思います。
なのに、お仕事する人が幸せじゃないと
周りの人なんて幸せにできません。
それなりにお金は手に入るかもしれないけど
それを手にして使う人が幸せじゃなかったら
手に入ったお金は、人を幸せにするという役目を果たせず…
お金はどんどんその人から遠ざかっていくと思います。
誰かを幸せにできぬまま手にしたお金は、結局自分も幸せになれずに、ただ生命を維持するだけのお金として消えていく。
そして、その生命を維持した体で、生命を維持するためだけのお金を稼ごうとする、という繰り返し。
そこに人としての、何の幸せがあるのかな?と思います。
お金があってもなくても自分が幸せになるのが先ですね
不登校の話からお金の話になったけど…
学校に行く、勉強するというのも同じだと思います。
仕事は(幸せに)生きるためだとしたら
学校に行くことや勉強することも(幸せに)生きるためですよね。
言ってしまえば
仕事しなくても幸せに生きれるし
学校に行かなくても勉強しなくても幸せに生きれるのです。
仕事や学校は、人生をより豊かにするための一つの方法ですが、幸せになるには、お金もかけずにすぐに今この瞬間から幸せになれます。
幸せになる、と言うより
幸せであることに気付く
ということ。
学校に行かないこと、特に義務教育の小学校や中学校を長期間休み続けることはまだまだ少数派かもしれません。
多数派のみんなと同じように勉強できないうちの子供たち。
でも、幸せです😊
長女は学校の勉強はデイサービスで少しやる程度で…ほとんど勉強していません。
その代わり、ひょんな事から韓国語に興味を持ち出して参考書やドリルを買うほど勉強して丸2ヶ月過ぎました。
長女は韓国語の単語などで時々話してくるので、私も負けじと、少ない英語の知識を使って短い会話をしています。
すると、英語にも少し興味を示してきました。
韓国語では〇〇って言うけど、英語では〇〇って言うよー。と何気なく話をしているうちに
英語も勉強してみようかな?
あ、英語は学校の教科書があるねw
と言って、教科書を眺めたりしています。
だからと言って、本格的にスペルを覚えるとか学校の勉強をするとかでは無いけど
自分が興味のあることをどんどん知る楽しさを見つけたようです。
これは完全に親のエゴですが…
そこからその国に興味をもつきっかけになって
社会とか歴史の勉強につながるし
言語を通じて国語や自分の住んでいる日本の国の勉強にもつながるのではないのかなー…?と何となくですが想像します。
算数は苦手中の苦手ですが、3桁の割り算など
最低限の計算はできるので心配していません。
でも学校ではそうはいかないでしょうね。
小学6年生は小学6年生の内容で、小学1年生から習ってきた今までの知識を活かすレベルの学習内容をやっているわけですから。
だから
何なの?
という話ですw
順を追って基礎から応用、学年のレベルで勉強することを強いられる子供たち。
それがもちろん合っている子供は大勢で多数派。
それどころか、そんなレベルを超越している子供もちらほらいるでしょう。
だから
何なの?
ですw
それができなくても、我が子は今幸せに生きています。
順を追ってみんなと同じように学力をつけれなくても
今何も困っていないし、幸せです。
それを、『将来は困る』と言う人は
ただただ視野が狭くなっているのかな?と想像します。
ちなみに次女は全く勉強という勉強をしていません。
もう5年生になると言うのに…掛け算ももしかしたらあやふやですし、割り算や分数、小数点なんて絶望的です。
でも、次女はよく買い物に行きたがるので、貯金通帳の残高を見て、いくらATMでお金を下ろそうか考えたり、自分なりに「あといくら使える」と計算しながら買い物しています。
あまりにも複雑になるときは、スマホの計算機に頼っています
漢字も全く勉強していませんが…ユーチューブを見て大体の漢字は何となく分かりますし生活には全く困っていません。
それから、ゲームにハマって自分のゲームを動画で撮り…編集アプリを駆使して短い動画をCMのように編集して楽しんでいます。
スイッチのマインクラフトが好きで、ゲームの中で自分の思い通りに家を建築したりしています。
「頭の中で部屋の構造が思いついている」と次女は話しています。
最近はアクアビーズに再びハマって…
スマホの画像を見ながら、色を画像の通りに揃えたりして好きなキャラクター作りに挑戦しています。
小さい頃から空間を認識する力があるし、想像したものを形にすることが得意なようです。
ノートと鉛筆で勉強もせず、ただゲームやスマホをいじっているようにはたから見れば思いますが。。。
次女なりに頭を使って日々過ごしています。
長女も次女も、私や大人たちから
〇〇したら?
と言われて自分のやりたいことを見つけているわけではありません。
自分で、見つけている
ということが、本当に素晴らしいと思っています。
お友達と遊んだりするのは、二人とも好きで
誘われたらすぐに遊びに行ったり友達をうちに呼んだりできますが…
自分のやりたいことに夢中になったりして、一人の時間を日々満喫しています。
不登校は何も問題では無いし、むしろ、この子達にとって今は正しい選択です。
この子達が今日も不登校を満喫できて良かったなぁと思いますし
私も、不登校をここまで受け入れられるような人に成長できて良かったと思っています。
そんな今、たまたま山田玲司さんという漫画家さんのユーチューブを見て、余計にこの事に確信を持てました。
不登校の子供さん自身、そして親のエールとなるような内容です。
うちの子供たちにも見せようかなぁ、って思うくらい
良ければ、お時間ある時見てみて下さい😊↓
ここまでお読み下さりありがとうございます😊