31 入院8日目・術後6日目 | Toshieのブログ②

Toshieのブログ②

2013.6 〜
境界悪性卵巣腫瘍の手術と経過観察、子宮筋腫の経過観察と治療について。

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子宮筋腫の手術と経過観察について。

2024.1 〜
子宮内膜症と貧血治療などについて。

心と身体と傷痕について綴ってます。

(2013/07/08)




点滴の効果かスッキリと目が覚めた。



ゴハンが食べられるようになってからの4回の食事はベッドの上にテーブルを出してもらっていたけど

この日の朝はベッドサイドのテーブルでキチンと椅子に座って食べてみた。



まだ自力で真っ直ぐ座っているのは相当疲れたけど、座って食べられた。




椅子からベッドに移動してベッドの縁に座っていると食器を下げにきてくれた弾けた笑顔のTさんが

『自分で座れるようになったんだね!良かった!頑張ったね!』 と喜んでくれた。



補助員のTさんはアタシを手術室から病室に移す時に付き添ってくれていただけじゃなく

吐き気や目眩で起き上がれずに唸っているアタシに何度か食事を運んではそのまま戻す

を、してくれていたそうで、唸っていたアタシは人の顔を認識する余裕すら無かったので

その事すら知らなかったと云う。。



アタシ以上にアタシの回復を喜んでくれたTさんの気持ちが嬉しくて

『アタシも自分がどうなっちゃうのか解らなくて恐かったからホッとした』 と言って泣き出す始末(笑)


『頑張って元気になったんだから後は良くなるだけなんだから泣かないの!』 と励ましてくれた。





夜勤の人と入れ替わりでKさんがいつもの笑顔で朝の検温に来てくれた。


熱、血中酸素、血圧、傷の状態、お腹の動き、どれも問題は無いと言われた。




点滴が2本に減った。




アタシの病室は2人部屋だけど7/2~7/4の午前中にお婆ちゃんが入院していただけで

その後はずっと空いていたので実質一人部屋だった。



歩けるようになったら6人部屋に移動させてもらおうと思っていたけど

術後、全く体調が落ち着かなかったし一人で気楽だったので移動せずにいた。






点滴を始めたころに隣のベッドに患者さんが入院してきた。



アタシは退院までの数日間この人に苦しめられたんだけど。。




この人、とにかく一人言が多くて自分の思っている事は何でも言葉にしちゃうみたいで

常にブツブツ喋ってるし、看護師さんや先生と話しをした後は相手がいなくなると

自分が今話した事を何度もブツブツ繰り返すし、メールに対しても感想とか言葉にしちゃうし

テレビを見てても喋ってるし、寝れば静になるだろうと思っていたら寝たら寝たで大イビキ。。



なまじ回復して余裕が出てきたモンだから余計に気になるって云うね(汗)




でも、この人も2泊3日らしいし棚に入れた荷物を全部移動させるのも面倒臭かったし

そもそもそこまで元気じゃなかったし、iPodも耳栓も持ってたので部屋の移動は頼まなかった。





トイレは無理せず辛くなったらすぐにトイレの中の呼び出しボタンを押す約束で

一人で行かせて貰えるようになった。



動くと変わらず息切れや痺れは激しかったけど大袈裟だけど、やっとちゃんとした人に戻れた気分だった。





朝も昼も食べられた。






昼食の後、食器を下げに来てくれた補助員のKさんがコッソリと

自分も背中の麻酔で同じような目にあった事があるからアタシがどれだけ苦しくて辛かったかが解ると

この辛さは経験した人にしか解らないと言って頑張った事を誉めてくれた。



確かにあの辛さはどれだけ言葉を並べて説明しても伝わらないと思う。


でも、その辛さを解ってくれる人や、ずっと気にかけてくれている人のおかげで心が折れずに済んだ。

だから頑張れたんだと思った。




色んな人がアタシの事を気にかけてくれていた。







15時頃、母と姉も一緒に執刀医であり主治医でもあるK先生から

病理検査や今後の事についての説明を受けた。




(結果は別に書きます)




翌日、診察をして状態が良ければ明後日には退院して良いと言われた。






部屋に戻って二人が帰って暫く一人で色々と考えていたけど、結果が解ってホッとしたのか

それまで身体が欲さなかった味のある飲み物が飲みたくなって、お見舞いで貰ったジュースを飲んだ。




夕飯を食べて、敢えて部屋ではなく洗面所まで行って歯みがきをした。



どれだけ歩いても、もうあの激しい吐き気は襲ってなかった。






消灯前に痛い注射をして、お隣のイビキがうるさかったから耳栓をして寝た。










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