そこで、「留守神」とされたえびす神ないし、かまど神を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する講のことである
地域によっては1月を商人えびす、10月を百姓えびすと呼ぶこともある
そんなえびすは、七福神のリーダー的存在であり、商業、漁業、農業の全てを司る神だが、これほど芸達者な神は他に類を見ない
えびすが日本の歴史に初めて現れるのは平安時代末期
「色葉字類抄」という古辞書に「夷毘沙門三郎殿不動明王」として登場する
しかし、その正体は不明で、それ以降も様々な書物に登場はするが、夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須と、いずれも音は「えびす」だが、時代や土地によって異なり、またその文字が意味するものも、それぞれ大きく隔たりがある
全国的にもえびすの信仰は、なぜこんなにも強く、そしてなぜ神無月にも留守を授かっているのだろうか?
そのルーツには意外な事実がある
―――そもそも七福神とは?
七福神の原型は、インドのヒンドゥー教の神である大黒を台所の神として祀ることは最澄が比叡山で始めたことで、それが徐々に民間に広まったと言われている
平安時代以降
京都鞍馬の毘沙門信仰からはじまった毘沙門天に恵比寿・大黒を加え、三神として信仰
平安末期〜鎌倉初期の頃
近江の竹生島の弁天信仰が盛んになると毘沙門天ではなく「恵比寿・大黒・弁才天」とするケースも
室町時代
仏教の布袋、道教の福禄寿・寿老人なども中国から入ってくる
室町時代末頃
近畿地方から、それらをまとめて七柱の神仏のセットができた
(竹林七賢図)
東山文化の時代、中国の文化に影響され描かれた水墨画『竹林七賢図』、この絵に見立て、「仁王般若経」の一節「七難即滅、七福即生」などの言葉と当てはめ、人々は別々に信仰されていた7つの福の神を集めたのが、七福神と呼ばれるようになった
さて、七福神そのものにはそれほど意味がないことがわかったが、えびす自体はどんな神だろうか?
これは、信仰の対象が商業・漁業・農業と幅広いことについて考察していくと、おぼろげながらにその正体が見えてくる
日本の神には、渡来系、龍神系、天狗系、稲荷系など、いくつかの系統があり、特性によりそれぞれご利益がおおよそ系統づけられ、一つの神社で複数のご利益がある場合は、祭神が複数柱祀られていたりする
しかし、えびすは一柱でありながら、あまりに多岐にわたってご利益があるため、本筋が見えにくいが、そのご利益が複数の系統にまたがっていることから、いくつかの神様の合体神ではないかと推察される
候補にあがるのは、少彦名(すくなびこな)、蛭子(ひるこ)、事代主(ことしろぬし)、火遠理命(ほおりのみこと)の四柱だ
少彦名神(すくなびこなのみこと)――
日本書紀に、天乃羅摩船に乗って海の彼方より来訪し、大国主の国造りに協力する知恵の神徳を持った渡来神である
えびすの候補の一柱に少彦名神が挙げられる理由には、名前を表す文字に「戎」と「夷」が使われていることがある
「戎」と「夷」は、中国の一部地域に住む民族の名称を表し、日本では外国人を意味している
少彦名神は聡明叡智な神であることから、商売繁盛の属性はここから生まれたとされる
蛭子(ひるこ)――
これはえびすを表す文字のひとつである「蝦夷」と同じ属性にある
古事記の国産神話に登場する神の子として認めてもらえなかった蛭子という存在と、大和朝廷への同化を拒否した北方の少数民族を指す言葉・蝦夷から、異端や疎外を表し、それが出雲で行われる集合には出席できない留守番神という属性へと繋がっていった
ちなみに恵比寿・恵比須・恵美須という文字で表すようになったのは、近世以降であり、「えびす」を表す文字が必ずしも縁起が良いものとは言い難いものであるため、めでたい意味の文字で書き換えがなされたと考えられる
事代主神(ことしろぬしのみこと)――
この神は国譲りで登場する大国主神の子供神である
大国主神が、建御雷神から国を譲れと迫られた際、海に出て釣りをしている息子の事代主がその返事をすると答え、事代主は「承知した」と答えて国譲りが成立したとされ、釣りをする神ということから漁業に関する福神とみなされている
また、事代主は「言葉を知る」という意味があり、宣託を司る神でもあり、古事記には一言主神と言う神が登場するが、この神も宣託をする属性を持つため、事代主と一言主神は同一視されている
これは非常に珍しく、事代主神は出雲系の海にまつわる神、一言主神は大和系の土地にまつわる神であり、本来同一視されることは無いのだが、この珍しい状況が、えびすが持つ複合性と重なるとして、正体の候補として挙げられている
加えて、田の神という土地神属性が追加されることで、竃神とも関係付けがなされる
(大黒柱に飾られる竈神)
竃神とは、陰陽道の土公神のことで、つまり大地、土を司る神であり、農業や家畜、ひいては家族を守護すると信じられており、日本古来から存在する火炎信仰の神で、動座しない、つまりその場から動かないという特徴を持っている
このことで、出雲に行かずに留守番をしているえびすと同一視(上述参照)され、一部地域のえびす講では竃神を祭神として行われているのは冒頭で述べたとおりだ
えびすと火の神の深いかかわりについては、恵比寿神社の祭神の名前として、平安時代末期には「夷毘沙門三郎殿不動明王」、鎌倉時代には「衣毘須不動三郎殿毘沙門」と記述されていることからも読み取れる
不動明王や毘沙門天は、いずれも悪鬼調伏、戦いを意味する守護天である
えびすの衣装は風折烏帽子に狩衣、これは武官の装束、つまり軍服である
軍服に身を包みながら、剣ではなく釣り竿を持つえびすは何とも特異な姿といえよう
火遠理命(ほおりのみこと)――
日本神話に登場する山幸彦のこと
古事記に登場する海幸彦・山幸彦兄弟は、日子番能邇邇芸命と木花佐久夜毘売の間に生まれた子だが、日子番能邇邇芸命に自分の子供ではないと疑われたことに憤った木花佐久夜毘売は産屋へ火を放ち、その火中で出産したのがこの兄弟であり、兄・海幸彦は「火照命」、弟・山幸彦は「火遠理命」と言う
なぜ、山幸彦がえびすに繋がるのか、その答えは海幸彦・山幸彦の作中にある
海幸彦は漁師で海の魚を釣って暮らしていて、山幸彦は猟師で山の獣を狩って暮らしていたが、ある日山幸彦は、お互いの仕事を交換してみたいと提案、嫌がる海幸彦を説き伏せて一日海で漁をする
しかし、慣れぬ道具では満足に収穫できず、しかも海幸彦から借りた釣り針を失くしてしまう
怒った海幸彦に責められた山幸彦は、失意の中なすすべもなく海辺で佇んでいると、そこに塩土老翁が現れて、釣り針を探すために海神の宮へと連れていってくれる
(塩土老翁と山幸彦)
そこで海神の娘、豊玉毘売にひと目惚れをされ、その後結婚し、3年の月日が経つ
望郷の念にかられた山幸彦は、海神の協力により、大きな赤鯛の喉に引っかかっていた海幸の釣り針を無事回収し、帰ることができる
という話だ
つまりえびすの持ち物である鯛と釣竿と言うのは、この山幸彦が持ち帰った鯛と針と言うわけである
各地に山幸彦、つまり火遠理命が祭神となっている神社があるが、そのご利益を調べてみると、実にえびすと重なっていることがわかる
参考────
LIFULL HOME'S 『えびす講はご利益が多いありがたい祭り、軍服で釣り竿と鯛を持つえびす様の秘密』
Wikipedia 『えびす』 『七福神』