今日、6月26日は数々の記念日があります
 
国連憲章調印記念日
国際麻薬乱用・不正取引防止デー
拷問の犠牲者を支援する国際デー
国土庁創設記念日
露天風呂の日
オリエンテーリングの日
 
色々とテーマに取り上げると面白いのばかりだが、今日はさらに別の志向
 
『雷記念日』
 
に着目したいと思う
 
 
 
930(延長8)年6月26日、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫ふじわらのきよつらが亡くなった
この落雷は太宰府に左遷され、そこで亡くなった菅原道真すがわらのみちざねの祟りだとされ、道真は名誉を回復した
またこれにより、菅原道真は雷の神「天神」と同一視されるようになった
 
 
 
日本では、三大名物や三大名勝など三大○○というのが多いが、中には三大幽霊、三大怨霊と呼ばれるものもある
 
三大幽霊とは、お岩四谷怪談のお岩、番町皿屋敷のお菊、累ヶ淵のかさね
幽霊は、全員女性だが、三大怨霊の方は男性ばかりで歴史上の人物ばかりだ
朝廷に逆らい関東に国を造ろうとした「平将門」
最強の怨霊と言われている「崇徳天皇」
そして、学問の神さまと言われている「菅原道真」だ
 
 
菅原道真といえば、平安貴族で福岡の太宰府天満宮では学問の神として祀られている
 
 
幼い頃から聡明で、異例の早さで朝廷の要職についたことからも学問の神と呼ばれる所以か
そんな道真は、宇多天皇と藤原氏との間で起きた阿衡事件あこうじけんをきっかけに宇多天皇の信頼を得て、早くから出世し、逆に藤原氏たちからは恨まれていくことになる
そして、道真が右大臣に昇進した後、宇多上皇が出家したことで、その後ろ盾が無くなった道真は、藤原氏たちの陰謀により、無実の罪を着せられ、九州大宰府へ左遷させられてしまう
 
 
道真は京を去る際、家の梅の木に向かって次のような歌を詠んだという
 
 
──東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
 
春の風が吹いたのなら、その匂いを私のいる所まで運んできておくれ、梅の花よ
主がいないからといって、春を忘れたりせぬように
 
 
宇多天皇は、処分の停止を醍醐天皇に訴えようと駆けつけるが、藤原菅根ふじわらのすがねが取り次がず、そのまま左遷の処分が下り、元々身体の弱かった道真は、左遷された2年後の903年に生涯の幕を閉じることとなった
 
 
その後、道真の祟りが動き始める
 
 
 
まずは、906年に道真を追いやった首謀者の一人である中納言・藤原定国ふじわらのさだくにが41歳の若さで急死
続き、908年に醍醐天皇に直訴するため裸足で駆けつけた宇多天皇の行く手を阻んだ藤原菅根が雷に打たれて死亡
その頃から、道真の祟りだと拡まっていき、左遷に追いやった張本人、藤原時平は909年39歳の若さで加持祈祷の甲斐なく病状が悪化し、菅原道真の祟りに怯えながら狂死してしまう
 
時平の命を奪ったと噂された道真の霊は、その後ますます激しさを加え、時平の子孫たちを次々と死に追いやり、遂に醍醐天皇の皇太子の命まで奪うに至る
 
913年
源光みなもとのひかるが、狩りの最中に底なし沼に乗っていた馬ごとハマって行方不明
 
923年
醍醐天皇の皇子で皇太子でもあった保明親王やすあきらしんのうが21歳の若さで急死
 
925年
保明親王の死後、醍醐天皇の皇太子となった保明の子である慶頼王よしよりおうが今度は5歳で死亡
 
これを受けて醍醐天皇は道真を右大臣に戻し、正二位を追贈する詔を発し、道真追放の詔を破棄することにした
しかし、なおも、台風・洪水・疫病と災厄は収まらなかった
 
延長8年(930年)6月、道真の左遷に関与していたものが多く集まっていた内裏の清涼殿に落雷が発生する事件が起き、多数の死傷者が出た、世に言う清涼殿落雷事件だ
直撃を受けた藤原清貫は、かつて大宰府に左遷された菅原道真の動向監視を命じられていたという
落雷の惨状も凄まじく、直撃を受けた清貫は衣服を焼損し胸を裂かれた状態で即死 醍醐天皇はこれを見てショックを受け、病に臥し、3ヵ月後寛明親王に譲位し、7日後崩御してしまう
 
 
こうして菅原道真の左遷を企てた者、加担した者は天皇といえども、その祟りから免れることはできず、しかし唯一人、藤原時平の弟である藤原忠平だけは、菅原道真に同情の思いを寄せていて、励ましの手紙などを送っていたこともあり、祟りで死ぬことはなかった
その後、藤原忠平は摂政・関白となって藤原北家を支えていくこととなる
 
これだけ関係者が死亡すると、因果関係があるかと思いそうだが、道真自身、呪いの言葉を残した事実はなく、しかし理不尽な処置で人を死に追いやれば、その怨霊はその罪を犯した人すべてに報復を加えるのだという認識が当時の人々の間にすっかり定着していった
 
この菅原道真の怨霊を鎮めるために、道真が生涯を遂げたこの地に北野天満宮が建てられ、御霊、雷神として祀ることになり、その後「学問の神様」として祀られるようになっていく
 
 
しかし、「北の天神縁起」などによると、道真の死去した数年後のある夏の夜、道真の霊魂が比叡山の座主・法性房尊意の前に現れて、これから都に出没し、怨みを復讐ではらす決意を述べ、邪魔をしないようにお願いに来たと記述されている
 
 
今では、学問の神と崇められている道真だが、元々は怨霊と噂され、雷をも使役すると恐れられたからこそ天神と結びつき天満宮で祀られるようになったわけだ
 
 
しかし、神となった今でも尚、道真の怨霊の名残があるという
 
それは、最も大きなお祭りのある九月末日になると、ほぼ必ず、大雨が降るそうだ
どうやら道真は、千年以上経った今でも、無実の罪で左遷させられたことを許していないようである
 
 
 
信じるか信じないかはあなた次第です‼☝ 
 
 
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