さて、先日ネタがないからということで、坂本龍馬の都市伝説について書いてましたが、なんとそれが今回の重大ニュースにまつわる予知夢だったとは…
「坂本龍馬─アメブロ」
 
 
龍馬の遺品は、1900年頃北海道に渡ったとされ、1913年の火災で焼失したとみられていた手紙──坂本龍馬が兄・権平の家族に宛てた手紙──が新たに北海道の男性が6枚所有していることを高知県が15日、明らかにした
 
男性の祖父が、龍馬の養子・坂本直(なお)の妻・留(とめ)から1913(大正2)年に譲り受けたという
末尾には「龍馬」の署名もあり、県は経緯や筆跡から龍馬の直筆と判断した
 
 
手紙は、慶応2年12月4日の日付で、龍馬が幕府側に襲撃された寺田屋事件や、幕府と長州の戦争を生々しく記述されており、文中には西郷隆盛や小松帯刀、高杉晋作など維新の志士たちの名前も登場する
 
高知県によると、6枚の手紙はいずれも縦25㎝で、幅は30㎝前後
手紙の存在は写本で知られ、原本の一部も見つかっていたが、この6枚は初めて原本が確認されたものだ
 
手紙の1枚目は寺田屋事件について──1866年に京都の寺田屋にいた龍馬が幕府側に襲撃された事件のこと
手紙には、「うれしかったのは、京都の藩邸にいた西郷隆盛がこの事件の一報を聞き、短銃に弾を込めて、私を伏見まで助けに来ようとしてくれたこと」とあり、龍馬は負傷しながら薩摩藩邸に逃れたことが記述されている
 
手紙の3枚目は、寺田屋事件と同じ年にあった幕府と長州の戦争を描写されていて、第1次長州征伐の様子が記され、高杉晋作が錦ののぼり旗を振って指示を出したり、味方に酒を振る舞って戦意高揚を図ったりする様子などが書かれている
 
 
この手紙は、今後所有者から県が買い取り、来春から県立坂本龍馬記念館(高知市)で展示する予定だ
 
 
そして、先日も記述したが、グラバーの手引きで、スコットランドに渡った坂本龍馬
 
 
その後は、アメリカに渡ったと言われている
実際、明治4年、岩倉具視と伊藤博文一行による岩倉使節団が、トーマス・グラバーの手引きにより、スコットランドに訪れたという記録も残されている
 
坂本龍馬といえば、倒幕および明治維新に影響を与えるも、大政奉還成立の1ヶ月後に京都・近江屋事件で暗殺されたとされている
 
龍馬は、額や体を数カ所斬られ死亡
一緒にいた中岡慎太郎も、後頭部・両手足を斬られ、3日後に息をひきとったと言われ、暗殺の現場の話や記述は、一緒にいた中岡慎太郎が話したと言われるが、当の本人は実際後頭部と両手両足を斬られ瀕死の状態
今と医学のレベルが違うし、そもそもそんな状態でしゃべり続けることは不可能に近いのではないのか
 
暗殺を計画したのは、長州藩のメンバーだったと言われており、これ以上、政治に関与させないために殺してしまえ!ということで龍馬暗殺計画がもちあがった
 
グラバーは、長州の伊藤博文、薩摩の五代友厚、亀山社中・海援隊の坂本龍馬、岩崎弥太郎らといった幕末から明治にかけて活躍した人物と繋がりを持っていた
 
そんなグラバー邸の屋根裏部屋には、幕末の志士たちが多数訪れ、倒幕に向けての密談が行われていた
暗殺計画の噂を聞いた伊藤博文が、坂本龍馬を助けねばということで、板垣退助に助けを求め、グラバー邸の屋根裏部屋で密会
 
 
グラバーが軍資金を出して、薩摩の藩士を京都に送るのですが、実際にそこで暗殺されたのは、龍馬の影武者で、本物は岩倉具視にかくまわれて、グラバーを通してスコットランドに渡ったとある
 
 
 
生前、龍馬は写真を撮ることが好きで、ことあるごとに撮影していたという
 
 
さて、話は変わり、この写真の男は日本人と思われ、アメリカでは「RUMAN](ルマン)と呼ばれていた
それは恐らく、龍馬の名が転じたものではないだろうか?
「もし龍馬が生きていたら?」という数多くの疑問がなされ、人々の空想を満たして来たが、アメリカに移住していたのではないか
この写真の人物が本当に、龍馬かは不明だが、龍馬は今でも我々にロマンを与えている事には違いない
 
 
信じるか信じないかはあなた次第です‼☝
 
 
 
 
 
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