【ビキニ】
胸と腰を僅かに覆うだけのセパレーツ型の女性用の水着
 
■原水爆実験に由来する
1946~58年にアメリカの原子爆弾・水素爆弾の実験が、中部太平洋マーシャル諸島共和国の北西部に位置する小環礁の「ビキニ」で行われた
その最初の年1946年の7月5日に、フランスのデザイナー ルイ・レアールが、セパレーツ型の大胆な水着を世界で初めて発表した
 
それ以前に発表されていた大胆な水着が、最も小さいという意味で「アトム(原子)」と呼ばれていたことや、同じ年に原水爆実験がビキニ環礁で行われたことから、その衝撃をなぞらえ、「ビキニ」と呼ばれるようになった 
 
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と、前置きを置いておいて、6月7日は『母親大会記念日』だ
1955年、豊島公会堂で第1回母親大会が開催された
1954年、ビキニ環礁での水爆実験実施をうけ、日本婦人団体連合会は国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案し、世界母親大会がスイスで開かれることになり、これに先立ち、第1回日本母親大会が開催された
母親大会は、「生命を生みだす母親は、生命を育て、生命を守ることをのぞみます」のスローガンの下に、生命と暮らし、子供と教育、平和、女性の地位向上等に関する分科会や講演会等が開催される
 
 
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東京から南東方向へ約4000km
太平洋のほぼ真ん中にビキニ環礁がある
その環礁の北西角に、ぽっかりと開いたくぼみが見える
 
 
通称「ブラボー・クレーター」
1954年3月1日、米国の水爆「ブラボー」の実験でできた直径約2km、深さ約80mもあるすり鉢状の「核の傷痕」だ
 
広島原爆の1000倍の威力といわれたこの爆発で、周囲にあった三つの島が吹き飛び、放射性物質が広範囲にまき散らされた
 
事前に避難しなかった危険区域外の環礁の住民や、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」など周辺で操業中だった船舶が「死の灰」を浴びた
 
 
ちなみにこの第五福竜丸、元は和歌山の船だそうだ
『1947年、和歌山県東牟婁郡古座町(現:串本町)でカツオ漁船第七事代丸として進水。その後、静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され、第五福竜丸となる。(Wikipediaより) 』
 
 
核実験から60年ほど経ち、ビキニには施設の維持管理などに当たる作業員5人ほどが暮らすだけだ
除染、そして再定住、ビキニが映し出す現実と、日本・福島も同じような状態だというのに未だに人の出入りがされている
 
 
 
〈ビキニの核実験〉
ビキニ環礁が属するマーシャル諸島は日本の敗戦後、米国の信託統治領になった
広島、長崎への原爆投下の翌1946年、米国は住民を強制移住させた上で原水爆実験を開始
中でも1954年3月1日の水爆実験は最大規模とされ、大気の放射能汚染は地球規模に及んだ
第五福竜丸の被害は広島・長崎に続く「3度目の核惨事」として衝撃を与え、日本の反核運動のきっかけになった
 
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こういったことがあり、現在ではセパレーツ型の水着をビキニと呼ぶようになった
言葉の由来とは、こんなものだ
 
そして、今回の都市伝説はここからだ
 
■被爆マグロ
今春、豊洲問題の百条委員会でも出た築地市場の土壌汚染問題を覚えているだろうか?
実はあの汚染問題、地下水汚染よりも、敷地内に埋められたという被爆マグロによる汚染被害のほうが大きかった
というのが、真実だと言われている
 
 
先述したビキニ環礁の水爆実験で被爆した第五福竜丸が持ち帰った、放射線で汚染されたマグロが築地市場内の”どこか”に埋められたということで、そちらの汚染のほうが豊洲の地下水汚染よりも問題ではないかと指摘された
しかし、60年経ち、未だに放射線の影響があるかどうかということよりも、あれほどの事態だったにもかかわらず、正確な記録が全く残されていないということのほうが問題だ
そして、もっと問題なのが、当時ビキニ環礁あたりでマグロ漁をしていたのは第五福竜丸だけではなかったということだ
当時、どれほどの漁船が被爆し、汚染されたマグロが国内で流通し、後遺症で苦しみながらも風評被害を恐れ、口をつぐんだ漁船員がどれほど居たことか…
それは、今も明らかにされていない
 
 
信じるか信じないかはあなた次第です‼☝
 
 
 
 
 
 
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