1917年の今日、京都・三条大橋から東京・上野不忍池までの508kmを3日間かけて走る『東海道駅伝徒歩競走』が行われたことから、4月27日は『駅伝誕生の日』とされる
 
この最初の駅伝は、東京奠都50周年記念として讀賣新聞社会部長・土岐善麿の発案で同社が主催し、約508kmを昼夜問わず走り抜けるもので、先着の関東組がゴールに到着したのは翌々日の午前11時34分であった
三条大橋と不忍池のほとりにはそれぞれ「駅伝発祥の地」の碑が現存している
 
京都三条大橋
上野不忍池
 
さて、駅伝といえば思い付くのは、マラソンだ
 
ペルシア戦争のマラトンの戦いで、ギリシア軍の勝利をある青年が一刻でも早くアテネ市民に知らせようと、一度も休まず悪路を走りぬき、
「喜んでください、わが軍は勝ちました!」
と告げると同時に息絶えた、これを記念してオリンピック競技の中に、マラトンとアテネ間の約49kmを走る長距離走が始まり、マラソン競技といわれるようになった
というよく出てくる話は、どうやら実話ではないという
 
ペルシア戦争について、どんなことでも細大漏らさず述べたというヘロドトスの『歴史』には、フィリッピデスという伝令が、マラソンの戦いの直前に、アテネから2日間で走ってスパルタに援軍を要請したという話は出てくるが、勝利を報告してバッタリ倒れた、という話は出てこない
ずっと後のローマ時代になって、プルタルコスの『倫理論集』などにそれに近い話が出てくるが、伝令の名前はエウクレスと言っている
また、古代オリンピックの長距離走は4600m走だった
 
実はこの話、近代オリンピック開催を実現させたクーベルタン男爵の友人のブレアルという古典学者が、マラソン競技を提唱したときに援用した伝説に過ぎなかったのだ
 
事実ではない神話であったが、このアテネで開催された第1回大会で無名のギリシア人ランナーのスピリドン・ルイスが優勝したことで、ギリシア中が沸き立ち、すっかりこの神話が事実として定着してしまったというわけだ
 
そして、オリンピックといえば、今では欠かせない「聖火リレー」
しかし、この聖火リレーの発祥は古代オリンピックからではなく、以外に新しい
 
聖火リレーとは、ヒトラー政治のプロパガンダに利用された産物なのだ
 
オリンピックで聖火リレーが始まったのは、1936年第11回大会ドイツベルリンオリンピックからで、この運営をヒトラーから任されたのは、ドイツオリンピック組織委員会のなかで力を持っていたアーリア人のカール・ディーム
彼は「オリンピック発祥の地であるギリシャのオリンピアで採火した聖火を、リレー形式で7カ国を縦断して、開会式当日にベルリンのメインスタジアムまで運ぶ」という2つの異なる宗教儀式を巧妙に組み合わせて演出したのだ
 
ヒトラーは、聖火リレーの下見にギリシャのオリンピアからバルカン半島を北上
ベルリンまでの約3000kmの各国の道路や地形を調べさせた
そして、この聖火のルート上のブルガリア→ユーゴスラビア→ハンガリー→オーストリア→チェコスロバキアの各国を1人1kmずつ3,075人の聖火ランナーが走った
このトーチリレーは、ドイツの若者をナチ党へ惹きつけるためのプロパガンダに用い、ナチスドイツの威厳を世界に知らしめる目的でも完璧なイベントだと考えた
すべてのトーチにはドイツの兵器製造会社クロップスのロゴが入っていたという徹底ぶりだ
 
そして、聖火リレーのルートは、1939年に勃発した第二次世界大戦においてドイツ軍参謀本部の兵要地誌調査に悪用されることとなる
なんと、ナチス・ドイツ軍は聖火リレー道を、逆方向で侵攻していったのだ
 
事前に下調べしていたナチス・ドイツにとって、侵略は容易であったことはいうまでもない
 
 
信じるか信じないかはあなた次第です‼☝☝
 
 
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