しばらく、更新できてませんでしたが、今回は過去のキリスト教にまつわる話なので、不快に思う方もいるかもしれません
そういった方は、読まないことをオススメします







本日、3月29日は、『八百屋お七の日』



昔、ある八百屋にお七という娘がいた
彼女は、旧暦1682年12月28日の「天和の大火」の被害者であり、家を失ったお七をはじめ家族たちは、しばらく近くの寺に住まうこととなった
その時、小姓・生田庄之介と出会った
その後、新居を構え移り住んだが、お七は小姓生田のことが忘れられなかった
火事になれば、また寺に住まうことができると、ならず者の吉三郎にそそのかされ、お七は3月2日の夜に放火する
火はすぐに消しとめられたが、吉三郎とお七は御用となった
当時は、放火の罪は火あぶりの極刑に処せられていたが、17歳以下ならば極刑は免れることになっていた
そこで奉行は、お七の刑を軽くする為に「おぬしは17だろう」と問うが、当時18になったばかりのお七は、その意味がわからなかったため、正直に18歳だと答えてしまい、極刑に処せられることとなった
丙午生まれの女子が疎まれるようになったのは、このお七が丙午の年の生まれであったことからと言われる



そんな、極刑火あぶりなどがあった時代だが、さらに昔にもっと過酷で非常な極刑・拷問が存在した



ヨーロッパ中世末の15世紀には、悪魔と結託してキリスト教社会の破壊を企む背教者という新種の「魔女」の概念が生まれており、当時は嵐や大雨の悪天候や伝染病や怪我さえも悪魔や魔女の所業とされていた

魔女と思しき人物を捕らえて、その者を魔女かどうかを判断する裁判を行っていた


しかし、裁判とは名ばかりで、当時は弁護士など存在するはずもなく、疑われた時点で逮捕・処刑となった
気に入らない者がいれば、なんらかの理由(料理の時に出る煙が毒薬を作っている、猫を買っていると僕として黒魔術を使っているなど、理不尽なことばかり)で、老若男女問わず、「魔女」として密告されていた
男性の場合は「男の魔女」と呼ばれていた

捕らえられると、アザがないか調べられ、あると悪魔の紋章として、魔女と判定され、アザがなくともその後徹底した拷問を課せられることとなる






鞭で叩かれ、指を折られ、爪は剥がされ、さらには手足を四方に引き間接を外され、
真っ赤に焼けた靴を履かされ、熱されたペンチで皮膚を剥がされ、最後には釘の突き出た鞍馬に乗せられたり、釘の突き出た鉄仮面を被らされたりした
これらの苦しみから逃れるには「自分は魔女です」と自白すること
そして、認めてしまうとその時点で死刑だ
結局、逃れる術はなかった



死刑の方法で一番多かったのは、火あぶりの計が一般的であったが、ほかにも八つ裂きにされたり、全裸のまま手足を縛られて川に投げ捨てられたり、飢えた犬に襲わせるという処刑の方法もあったという


そして、それを行っていたのが、キリスト教
カトリックはもちろん、プロテスタントらの派閥ですら、この魔女裁判と呼ばれる魔女狩りは行われていた



『魔女狩り』とは、「キリスト教が、経済的権益という自己保身のために他信仰、他派閥の信仰者の根絶やしを計りながら、さらなる経済的利益を同時に追求した宗教戦争であったのである

しかし、元来は、男性側の既得権益を侵害しそうな女性の排除が始まりだった
ヨーロッパ最古の大学と言われるボローニャ大学では高位医学(主に内科を指し、外科は理髪師の様な社会的身分の低い人たちの行った医術で、内科よりも低位とみなされていた)を学んだ者にとって、「薬草学」や、特に女性の出産や中絶に関わった経産婦や老女たちは、間違った知識で「医術」的な行為をしていて、間違っているという思想で彼女らを排除した時代があった



その排除をしていくうちに、中世の異端審問官たちが、異端運動の衰退後の新しい職場を見つけたような状況で魔女狩りが盛んになっていったとも言われている


現在でも「魔女狩り」は発展途上国など、一部では行われており、殺人・暴力を正当化する言説として利用されることもあり、魔女に関する迷信は、女性に暴力を振るうための口実に過ぎないことが多く、ほとんど下層民の女性が標的となる
近年起こった、魔女と称し110人の子供を殺害したナイジェリア呪術医事件も有名だ
「魔女狩り」で収入を稼ぐ教会もあり、子供が悪魔に取りつかれていないかを有料で調べ、仮に悪魔に取りつかれた子供がいると、さらに悪魔払いには別途料金がかかるという






信じるか信じないかはあなた次第です‼☝☝


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