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今日は、1971年に国鉄が「山手線」の読み方を「やまのてせん」に統一した日
山手線は開業時より、「やまのてせん」としているが、いつからか「やまてせん」と呼ばれたりする時期もあったが、やまてせんは間違いである
一説によると、終戦直後、GHQの指示により、標識などにローマ字併記が進められ、その際、「YAMATE=Loop=Line」とローマ字を振ったことがきっかけとなり、その後「やまてせん」という読み方が一般に定着してしまった
その後、山手線には「やまてせん」ではなく「やまのてせん」というふりがなを振り、吾妻線が大前まで開通した1971年3月7日から実施した
国鉄当局が「やまてせん」ではなく「やまのてせん」を選択し復活させた理由は、線名の由来・発祥からして、「やまのてせん」の方が伝統的に正しいことと、根岸線に山手駅(やまてえき 1964年5月開業)が存在していたことによる混同を避けるためであるとしている
さて、山手線といえば、陰陽道の技法が使われていることは有名だ
山手線といえば、コスプレといえばオタク的なアニメやゲームなどをはじめ、今やオタクの聖地とされる秋葉原がある
昔は電気街として有名だった街が、ガラリと変わり、大阪も影響を受け、でんでんタウンがオタロードと変わり、今では東のアキバ、西のオタロードとなってますが
そんな秋葉原ですが、なぜこんなにも流行ったのか?
実はこれには裏がある
元々、陰陽道の影響を受け、悪い気がはびこる場所から遠ざけるために移されてきた皇居
明治維新以降、東京に移してからは移さなくなり、そのため悪しき気がこもり始めた
その邪気を払うために作られたといわれる、山手線と中央線
これは、2大霊峰成田山と高尾山の霊気を真っ直ぐ東京中心に引き込み、対極図にならって山手線沿いに中央線を走らせ、円内の邪気を払うといった設計になっている
陽の場所は高級住宅地となり、陰の部分は下町となっていった
そして、陽の陰の場所に皇居、陰の陽の場所には新宿があり、邪気を払ってきた
近年では、裏鬼門にあった東京タワーに対し、鬼門側に作られたスカイツリー
どちらも電波塔で、電波は邪しきものを退く力があるということで建てられている
そして、決定的なのは、更なる強い霊気を運ぶために作られたつくばエクスプレス
霊山筑波山からの霊気が注ぎ込まれた最終地点が秋葉原
元々、霊気の強い山手線上にあり、さらには筑波山からの強い霊気を受け、秋葉原は発展したといわれている
成るべくして成った聖地、それがアキバなのだ
信じるか信じないかはあなた次第です❕☝