先日は、みなさんに大変ご心配をお掛けしましたm(_ _)m
一部のピグともさん達には、既にご報告しましたが、家出失敗…
結局1日だけの外泊で終わってしまいました。
財布とスマホとパソコンだけを持って、とにかくどこか遠くへ行こう。
もうあんな家には戻りたくないと思い、あても無く車を走らせました。
車の中で何度も大声で叫びました。
カァーとなってイライラしてたのですが、冷静な気持ちも残っており『こんな時に事故や他人とトラブルを起こしたら、暴れて警察沙汰になるな…』と思いスピードは控えめ安全運転でした。
道中数回母と電話で話しました。
母は『とにかく帰って来てくれ。顔をみて話合おう。家族なんだから仕方ない、我慢するしかないでしょう。』と言ってきました。
僕は『だからもう我慢の限界なんだよ!あんなの家族じゃない!顔見て話してもお袋はいつも我慢しろ我慢しろとしか言わないじゃないか!話にならない!もう帰らない!そしてあの女◯ろしてやる!その後警察に出頭するから、話は警察で聞く。』と言い返しました。
母は、『あの女には、私からちゃんと話すから、改心させるから…とにかく馬鹿な事考えないで帰って来て』
僕は、『とにかく帰らない』とだけ返事をして電話を切りました。
母に思いの全てを話した事により、少し冷静になってきました。
そして、やりかけの仕事など、やらなきゃならない事が沢山ある事を思い出してきました。
家の修繕作業などは期限があるわけじゃないので、それほど気にならなかったのですが、
どうして気になる事・早急にしなければいけない事がある事が強く頭に浮かびました。
実は、今月の1日に携帯の乗り換えをしたんです。それも4台。
僕は、自分の携帯・仕事用の他、母と横浜で一人暮らしをする叔母の携帯、計4台契約しているのですが、乗り換え手続きをしたばかりで、横浜の叔母へ新しい携帯をまだ送っていなかったのです。
叔母は一人暮らしなんで、妹である僕の母と毎日長電話するのが楽しみなんです。
勿論、家電があるから、話は出来るけど、携帯なら、かけ放題なので、時間を気にせず姉妹でたっぷり話せます。
『もう5日も叔母の携帯が使えない状態、早く新しい携帯を送ってあげないと』
この件を処理していなかった事が一番気になりました。
乗り換え後なぜ直ぐに送れなかったかというと、
叔母は87歳、付属の説明書では、使い方がわからないのです。
勿論、かんたん携帯です。
でも、叔母には難しいようで、最初の携帯を渡した時も、付属の説明書に加えて、もっと簡単な説明書を作って渡しました。
なので、今回は、前回以上に分かり易い、オリジナル説明書を作らねばと思っていたし、叔母が誤操作をしないように各機能の設定をロックしたりしなければならない…一気に4台も乗り換え交換してしまったので、その作業・設定に時間がかかり、5日も経過してしまったのです…
(なぜ一気に4台も乗り換えしたか?は、後日ブログに書きますね。これはとても良い話なんです(^o^)v)
という訳で、叔母の携帯の事が気になったので、家出は断念…
結局一晩車で過ごして、翌日の午後に帰宅しました。
で、一晩僕がどこにいたかと言うと
いつもお世話になってる病院の駐車場でしたwww
無意識でも、色々と安全・安心だと思ったんでしょうね。
帰宅後、母とはほとんど話をしませんでしたが、今まで僕がどれだけ我慢してきていて、ストレスが溜まっていた事は理解してくれたようです。
そして、心療内科に通院する事に対しても理解・了承してくれました。
元妹家族の事は、母が何を話したか?も聞いてません。
相変わらず、姪も甥も平日は家にいます。
元妹が改心したのか?何か変化があるか?
もう少し様子を見ようと思います。
ご報告が遅くなりましたが、これがプチ家出の実情でした。
次回は、事前に身辺整理してから、家出しようと思いますwww
ご心配&お騒がせしましたm(_ _)m
追伸
叔母の携帯は、帰宅後2日かけて、叔母用の設定&説明書作りをし、9日土曜日の午前着で無事渡せました。
でも叔母が普通に使えるようになるのには、1週間位掛かりました(T_T)
あと、プチ家出後も野良猫対策や他作業もコツコツこなしています。
でも、良い事もけっこうあったんですよ\(^o^)/
また時間が出来たらブログでお話しますね。
ご拝読、ありがとうございましたm(_ _)m
今回は、野良猫死闘編の続きを書くつもりでしたが、本日(5日)僕の心のダムそれも大きい方が決壊した(# ゚Д゚)
今日は毎週恒例のイオンの火曜市、そして他近隣スーパーの特売日なので、いつも通り僕は、夕方買い出しに行った。
そして帰宅後、元妹の息子(甥っ子)が2日連続で僕が母の為に買い置きしておいたプリンを食べる光景をみて母と口論になり、家の中で何度も発狂してしまった!
何度も大声を出したりタバコを吸いまくったりしたけど、怒りが収まらず母には『出かけてくる夕飯はいらない!』と告げあてもなく車で家を出た。
『たかがプリンで?トシは本当に頭がおかしくなったんだな?』と思われるかもしれないけど、
僕が許せないのは、単にプリンのことではない、16年積もり積もった根深い理由があるのだ…
この一か月、僕のストレスの原因の一つである『母の小言対策』を体をはってコツコツと行ってきた事で、
母の小言は減ってきて、関係も落ち着いてきた。
しかし、僕の最大のストレスの原因『元妹』問題は、手付かずでいた。
元妹は、結婚して同じ街の郊外に住んでいて、子供が二人。僕には、姪と甥にあたる。
元妹は、『共働きである事・不便な郊外に住んでいる事』を理由に、自分の子供を毎日実家に預けにくる。
子供達は、毎朝親に送られて我が家に来てから学校へ行く。
学校が終わると我が家に帰宅し、そして『おやつ・夕食』を食べ終えた頃、元妹が迎えにくる。
親父が健在だった頃は、子供達の塾などの送迎もしていた。
『春休み・夏休み・冬休み中』は、元妹夫婦の休みの日以外、毎朝いつもと同じように我が家へ来る。
長期の休みの間は、『昼食・おやつ・夕食・酷い時には朝食』も食べてから帰宅する。
甥っ子に関しては、学校帰りに友達まで連れてくる。
越境入学なので自分の家の近所に友達がいない?のは、可哀そうとも思えるが、預かる側の我が家・特に母の負担は大きい。
当初は、親父も母も、可愛い孫達と毎日過ごせて嬉しそうだったし、叔父である僕も姪&甥を可愛いと思っていたし、
婚期を逃して両親に跡取り・孫の顔を見せる事が出来い後ろめたさ?みたいなものがあったから、子供達が毎日実家に来る事をあまり気にしてはいなかった。
親父が一回目の脳梗塞を発症した後も、後遺症がなかった事を良いことに、この生活パターンは続いた。
でも僕は、元妹に『親父もお袋ももう年なんだから、両親に負担をかけるな!』と言った。
すると元妹は、『あんな郊外に家建てちゃったから仕方ない!それにボケ防止になると思うから預けてる!』と逆ギレしやがった!
元妹夫婦の家は、僕が住宅メーカーに勤めていた時に、僕が担当して建てた。
普通なら住宅ローンも組めないような条件だったが、会社に頭を下げまくって色々と裏技をつかって、格安それも自己資金無しで土地・建物を購入した。
勿論、自分の成績・ノルマの為に『僕の勤めていた会社で建ててくれ』なんて一言も言ってないし頼んでもいない。
手前みそだが当時僕は一応トップセールマンで忙しかったし、それにその会社に長く勤める気もなかった。
なので、元妹夫婦にも、『基本的に自分たちで探せ、アドバイスはするから、いろんな住宅業者や銀行を回ってみろ』と言った。
最終的に僕が勤めていた会社で建てる事になった時にも、『この会社は経営状況も良いし、良質な建物を作る会社だか、労働条件が悪すぎる…だから、俺がいつまで勤めているかは、わからんぞ』と言う事もしっかりと伝えた。
それでも『お願いします』ということになり、元妹夫婦は僕が勤める会社で家を建てた。
当然、両親からの援助も受けて…
そんな経緯がありながらも、『あんなとこに家を建てたから』だと、自分の子供たちを実家に預ける理由にする。
脳梗塞を発症するような年齢・健康状態の親父に対しても、『今までとおり塾の送迎をしろ』という。
僕はこの時初めて殺意を持った。
シングルマザーでギリギリの生活をしているならまだしも、お盆や正月に旅行に行くは、毎週末東京へ買い物に行ったりする余裕もある。
なのに子供の面倒をみてもらってる実家に対しては、定期的に食費を入れるどころか、感謝の意も表さない!
親の誕生日どころか、年齢も覚えていない!
だから、誕生祝も父の日・母の日の祝いなんてほとんどしたことない!
『ボケ防止になるから預けてやってる』と逆に恩着せがましい言い方をしやがった!
両親は『あれはそういう人間だから仕方ない…お前は気にするな、つまらない事で怒るな』と僕をなだめた…
そして親父が二回目の脳梗塞を発症。
後遺症が残り車の免許も返納、長期通院&リハビリに通うような事態になった。
以前のブログにも少し書いたが、母が極端に他人を家に入れたがらない方針である事、送迎付きのリハビリ施設がみつからなかった事、そうして当時僕は転職を考えていた時期でもあったので、脱サラして、時間の自由がきくフリーランスの道を選び親の面倒をみる事にした。
そんな状況になっても、元妹は全く変わらなかった…
親父の心配よりも、自分の子供の塾の送迎の心配しかしない!
当初は親父が『孫達の教育の為に良くないから辞めさせるな・可哀そうだ』と頼まれたから、僕が子供達の送迎をした。
しかし、お礼の一言もないので、僕はブチきれて!元妹を怒鳴りつけた!
そして子供達の塾の送迎は元妹夫婦が仕事を早引きしたり、タクシーを使うなどするようになった。
しかし親父がそんな状態(要介護3)になってからも、子供達は毎日家にいた。
僕が交渉して夏休み中の数日間だけ、元妹の旦那側の家に預ける事ができたが、基本的には、今までと変わらない生活。
大変なのは、お袋だ、親父の介護と子供達の面倒、そして愛犬リッキーもいた。
そんな生活の中、お袋が洗濯物を干そうとしてコケて、なんと右腕を骨折した!
お袋は親父の介護もあるし子供ら・リッキーの面倒もあるからと、本来は入院・手術するような症状だったけど、無理くり通院治療にしてもらった。
母を病院に連れて行くのは当然僕だ、親父も子供たちも、そしてリッキーも乗せて行った。
そんな状況になっても、元妹は変わらない、一回だけ風呂掃除を手伝っただけだ!
当然負担は僕にのしかかった…
両親は、相変わらず『あの女はそういう人間、言っても無駄だ、家族兄弟なんだから怒るな・我慢しろ』と僕に言った。
そして親父が亡くなった時。
元妹は焼香に来た自分の勤務先の人たちや友人へ『顔見てってやってください、綺麗な顔してるでしょ?苦しまなかったんですよ』って言っていた。
とんでもない、親父は二回目の脳梗塞後、右半身の麻痺と嚥下症状が酷くて自由が利かなかったし、好きな物も食べらなかった、亡くなった当日だって熱があって心臓が止まった、僕は一生懸命心臓マッサージをしたけど蘇生できなかった…
直ぐに救急隊が来て蘇生処置をしながら病院までいって、一度は蘇生したけど、やはりダメだった…
結局、死因は『急性心不全』
でも親父はずっと苦しんで死んだんだ…
なのに、あの女は、『苦しまなかったんですよ』だと!
その上、葬式の後も、『自分の関係者への返礼をどうしよう?』って事しか言わない。
僕はブチ切れて大声で『お前の誕生会やったんじゃないんだぞ!親父が死んだぞ!!お前のようなやつは、ブチ〇ろしてやる!』と怒鳴りまくった!
色んな格闘技を経験した僕には、あんな女くらい素手簡単に〇せる。
当然、お袋が止めてきたし、僕の大声を聞いて、リッキーも飛んできたので僕は一旦停止した。
元妹は『〇ろすなんて普通の人間の言うことじゃない!〇されるくらいなら自殺する!』って逆ギレして家を出て行った。
僕もその後少し冷静になって、『あの女を〇ろすのは、リッキーとお袋が往生してからにしよう。ちゃんと葬式もあげて身辺整理をしてからにしよう』そう心に決めて我慢することにした。
親父が亡くなった二年後、リッキーが亡くなった。
リッキーも最後の2か月は寝たきり状態になってしまった…
当然、あの女はリッキーの介護もしない。
実は、リッキーは元妹が知人からもらい受けてきたのだ。
しかし、ろくに面倒もみないで、1年もしないうちに、今の旦那と駆け落ち同然で実家を出て行ってしまった。
親父亡くなり、リッキーも亡くなり…母にとっては、孫達と接する事が唯一の楽しみといってもよい状態になった。
だから、僕は元妹の子供達が我が家に来ることを我慢し続けた。
ただ、『もういいかげん自分の子供たちの食べる物は持参しろ、お袋も高齢なんだ、お袋が死んで困るのは、お前だろ?夏休みとかは弁当を持参しろ!』とショートメールで伝えた。あの女とは親父の葬式以後一言も交わしていない、面と向かって話したら〇ろしちゃいそうだからだ。
そしてしばらくは、僕の言いつけを守るようになった。
しかし直ぐに約束を反故にする、子供達は大きくなるにつれて、当然、飲み食いする量も増えていく。
元妹が持参する物では、全然足りない。
更に悪いことは、お袋が僕の都合が悪い時などに、『〇〇へ連れてって』とか『〇〇を買ってきて』など元妹に頼むと露骨に嫌がり断る。
僕がショートメールで『お前が持参してる物では全然足りてない、ちゃんと用意しろ!俺だってお前が普段からお袋の面倒みたり感謝の気持ちを表しているなら、こんな事言いたくないんだぞ!』と送ったところ、あの女は『子供らに何が必要か?聞いても答えないからわからない。母にも感謝しているし、お礼もしてるつもりです』って返信してきた。
僕はブチ切れたけど、母に『あれはそういう気が利かない女なのよ、私がちゃんと言うから、家族がなんだから我慢しなさい』と、静止させられた…
僕は、子供たちに、『お年玉・誕生日祝い・クリスマスプレゼント・入学祝』を欠かさずあげていた。
当初は、元妹も旦那も、お礼を言ってきたが、ここ数年は、僕がお祝いをあげても、礼の一言もない…
恥ずかしながら稼ぎの悪い僕は、現在食費を入れていない。
だから、せめてもの罪滅ぼしのつもりで、安くて良い物を購入するよう、そして節約に努めている。
僕は、あの女の子供が食べる物をわざわざタイムセールに並んだりして買ってくるわけじゃない!
母のお金で購入した食材だ、母が良いなら、それでいいのかも?しれない…
でも、もう僕は割り切れない…
姪っ子はもう高校1年生・甥っ子は、中一。
あの女の子供がうちに来るようになって、もう16年だ…
もう我慢の限界だ…
今年の8月の事件以降、僕の精神状態は更に悪い…
母には、とりあえず電話で全ての気持ち・怒りを告げた。
そして、とにかく今日は帰らないと…
このブログを書いてたら、少し落ち着いてきた
やりかけの仕事もあるし、早めに帰るしかないかな?
でも帰りたくないな…
どこに行こうかな…

