街道の道標 大峰山編⑺ | としのブログ

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日置荘の道標


今回、大峰山の石碑(道標)を訪ねたのは、堺市です。
皆さん日置と書いてなんと読みますか?
鹿児島にある市は同じ字で日置(ひおき)と読みますが、こちらは日置(ひき)と読みます、堺市東区にある場所で日置荘西町にある道標です。


大正末期の地図ですが、斜めに横切るのが現在の南海高野線で当時は高野鉄道です、真ん中の駅名は「にしむら」となっていますが、現在は「初芝」です。

また、鉄道に沿って通る街道は「富田林街道」で、現在の堺市北区黒土付近で竹内街道と別れ、東区、美原区と横切り富田林から千早赤阪を抜け水越峠で奈良の御所に至る歴史街道です。

 そして、日置荘村の文字がありますね、1889年(明治22年)、周りの村々を集約し丹南郡日置荘村になりました、その後南河内郡日置荘町になり、1958年(昭和33年)に堺市に編入しました、日置荘田中町と言ったように日置荘の名前を大切に残しています




A   真新しい石碑が建っています


左 ならふじいでら 右 いせ大峯山とあります


天保八年(1837年)丁酉 十一月の建之で、今から187年前に建てられたようですが、平成二十五年に再建しています



再建する前の道標です


B  富田林街道の旧道はここから入るようです


C  南海高野線駅から徒歩1分のところにこんなお屋敷があります、さすが歴史街道ですね


D  南海高野線の初芝駅です、この地が発祥地である初芝学園高校の名前はこの初芝から来ているようで、この駅が「西村」から改名したのは1935年(昭和10年)、初芝学園高校が出来たのは1937年(昭和12年)なのです



E   初芝駅から少し戻ったところに、こんな灯台のような常夜灯が建っています、日置里とあります、これは庄屋の日置氏(のちに吉村姓を名乗る)がこの地を納めていて、この常夜灯を建て、曇りなき君が御代には茜さす 日置里は賑わいにけり」と願ったらしい

それにしても立派です


天保四年癸巳の九月建之とあります、今回紹介した石碑より古い事になりますね


F  そしてこの場所が、大阪初芝学園高校の発祥地ですが、今回は行けませんでした


狭いエリアですが、ロマンが満載の堺市東区日置荘でした