頑張れ支線(盲腸線)の旅⑧ 阪神武庫川線⑸ | としのブログ

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洲先ー武庫川団地前





洲先駅を出発です、洲先を出てすぐはまだ複線分の幅ですね。
最初の踏み切りを超えた左側の住宅地に貨物のヤードがあったようです。




ホームの型式は2面2線ですが、右側のホームは使われていません。


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今回の頑張れ支線の終着駅の武庫川団地前駅の駅舎です。

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こちら側のホームは使っていません。

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武庫川団地前駅の1日の乗車人数は、3900人と他の二駅(東鳴尾駅は900人強、洲先駅は900人弱)と大きく差があるのはやはり、武庫川団地があるからでしょうね。


1984年(昭和59)戦闘機や水上飛行機のメーカーだった川西航空機(現 新明和工業)の跡地に大規模な団地が建つ事になり、洲先駅が終点であったが600m線路を伸ばしこの武庫川団地前駅を開業させた、しかし、先代の洲先駅はこの武庫川団地前駅付近にあったらしく、戦争時川西航空機へのアメリカの爆撃に先代の洲先駅付近も大きな被害を受けた為、現在の洲先駅の場所に移して終点にしたようだ。

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1948年(昭和23年)当時の航空写真(Wikipediaより拝借)アメリカによる爆撃の跡も生々しい、
現在の武庫川団地前駅周辺は、先に紹介した川西航空機工場への貨物ヤードが広がっていますね、また本線の出屋敷駅から伸びていた尼崎海岸線への延伸線(未成線)の武庫川にかかる橋台跡があります(A)


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延伸の橋台跡は今は何も残っていません。 


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武庫川団地前駅のとなりにあるスーパーの場所は貨物ヤードがあった場合のようです。


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Bの場所に貨物ヤードがあったと推測されます。


戦争に翻弄され、一時は休止になりましたが、地元の大切な足になり、これからも活躍する予感をさせる阪神電車 武庫川線でした。

おわり