ブロードウェイ版「プリティーウーマン」2018年劇評
不漁続きだった北の海のサンマが久しぶりの豊漁と聞き、太平洋の彼方の秋の味覚に思いを馳せておりましたところ、台風一過そして地震の惨事。本当に心が痛みます。地元の方々には謹んでお見舞い申し上げます。
さて、秋も深まり、ブロードウエイの新シーズンも開幕し、次々と開幕する話題作から目が離せません! 特に気になるのは1990年、私がまだ花も恥じらう二十歳の時に大ヒットして、ジュリア・ロバーツというドル箱スターを生み出した「プリティー・ウーマン」の舞台版。
昨今少々ネタ切れ傾向のブロードウェイはハリウッド映画を次々に舞台化。もちろん、その逆もありなわけだ。成功を収めた例として、記憶に新しいのが昨シーズン開幕した映画「FROZEN」(邦題:アナと雪の女王)。ディズニーのブランド力で、メディアの酷評されても、チケットセールスが影響されることなく現在も快進撃を続けている。「プリティー・ウーマン」もプレビュー開始からチケットが飛ぶように売れ、劇場オープン以来の動員数記録を塗り替えるほどの大入り満員。今や、オリジナル脚本や楽曲をひっさげて、じーっくりとその良さを浸透させて、オフブロードウェイからブロードウェイへと出世魚のごとく、満を持して注目され、ヒットに繋げるという「RENT」のような作品は希少となったようだ。
「プリティー・ウーマン」と言えば、イケメン実業家によって蓮っ葉なコールガールが淑女に変身していくというシンデレラストーリー。身もふたもない話だけど、先日リバイバル上演を鑑賞したマイフェアレディやもっと遡って、紫の上を自分の理想の女性に育て上げる光源氏などなど、金持ちオトコが下位クラスのオンナを自分好みにアップグレードしていくという、かなり使い古されたプロット。内容から言ったら、ありの〜ママの〜の独立不羈のエルザの方がグッと今の感性にマッチしていると考えるのは私だけか。 しかし、なぜ「プリティー・ウーマン」がそんなに人気なのか。生ジュリア・ローバツが出てくるわけでもないのに。現在、ブロードウェイを観劇する大半は、普段ミュージカルに接する事の少ない、地方や外国からやってきた観光客がほとんどだ。作品選びをする時、まず優先するのが取っつき易さ。誰もが知ってるストーリーがあれば、それで決まり!予習や復習なしに楽チンに観劇できるミュージカルを多くの人が好む傾向にある。
この度の「プリティー・ウーマン」は、そう言った観客の嗜好にしっかりと迎合して、映画版をほぼそのまんまなぞる形で舞台化。育ちの悪いビビアンの立ち振る舞いの汚さや、高級ブランド店で店員にディスられる名場面など、爆笑シーンも映画版のセリフもそのまま横流しして再現。また、映画に登場するビビアンが着る数々のお洋服もほぼ完コピだ。映画をご覧になった人であれば、英語が苦手って人にも十分楽しめること間違いなく、ミュージカル初心者にはうってつけの作品となったいる。
舞台芸術のオリジナリティや実験性を重んじるブロードウェイの批評家たちは、映画の舞台化に非常にお厳しい。開幕翌日のNYタイムズ紙などは、辛辣な酷評をすることも多々で、悪評が原因ですぐに閉幕に追い込まれる作品も多い。誌上の酷評という面では「プリティー・ウーマン」も例外なく、今では考えられない女性蔑視にも受け取れる古臭いストーリーに、映画の脚本をなぞっただけの安直な演出。そして80年代のポップ・ロック系のスター、ブライアン・アダムスの楽曲は、レコードのB面を集めたような冴えないものばかりとけちょんけちょんだ。ここまで悪評だと、「ロッキー」、「ゴースト」、「シュレック」のように、すぐに閉幕に追いやられても不思議ではないのだが、開幕後もチケットの売り上げは変わることなく連日の観客動員はほぼ100%だ。
映画の舞台化、または舞台版の映画化のどちらにしても焼き直しというのは、オリジナルの良さを超越した時に初めて高く評価されるのは事実。されど、ブロードウェイとて所詮はエンタメ。観劇後に高揚を覚えひと時の多幸感に満たされる観客がいる限り、成立するのである。 あなたが、前頭葉に強烈なインパクトを食らわしてくれる、前衛的な作品に触れたい人であれば、観に行かない方が賢明かもしれない。