ミュージカル「ゴースト/ニューヨークの幻」劇評 | トシ・カプチーノ。 オフィシャルブログ Powered by Ameba

ミュージカル「ゴースト/ニューヨークの幻」劇評

 

カラオケ・スナックに行くと、いるよねぇ〜、 ライチャス・ブラザーズのヒット曲“「アンチェント・メロディ」を自慢げに熱唱するオヤジ!” 悲しきかな、あの曲を聴くと必ず頭に浮かぶのよ、映画「ゴースト/ニューヨークの幻」(90年)の名シーンの数々が。私、インチキ霊媒師オダ・メイ役に扮したウーピー・ゴールドバーグの圧倒的な存在感にやられて、彼女のシーンだけ、何十回もビデオを巻き戻して見たほどの大ファンなのさ。あれから22年。パトリック・スウェイジは、ほんとに天国へ行っちゃったし、デミー・ムーアは、離婚→ドラッグ→激ヤセと下降線の一途で、今ではイタ過ぎるセレブの代表。ウーピーはルックス重視の映画界に三行半を突きつけて、いまや実業家として活躍中。この映画をリアルで知ってるのは、もはや相当の年増か映画オタクくらい。つまり、そりゃワタシなんだけど・・。でも腐っても鯛なのね「ゴースト」は。ついに舞台化もされ、昨年7月、ウエスト・エンドで世界初演。それに続き今年3月からブロードウェイにも登場したのよ!




銀行員のサムと陶芸家のモリーは、人も羨むベストカップル。ついにはNYブルックリン地区にアパートを見つけ、念願の同棲生活も開始。すべてが順風満帆にみえた矢先のこ、観劇後の夜道、二人は突然暴漢に襲われる。抵抗したサムは暴漢ともみあいになり、サムを助けようとしたモリーは暴漢に殴られてしまう。それに激怒したサムは、暴漢を壁に押さえつけようとした瞬間、撃ち殺されてしまう。その現実を理解できないサムは、成仏することを拒み、ゴースト(幽霊)となってモリーのそばに留まるが・・。

映画版につづき、ブルース・ジョエル・ルービンが脚本を担当。地下鉄を幽霊の棲み家にしたり、”人間とゴーストの不可解な恋愛”を取り持つインチキ霊媒師を登場させたり、奇想天外な発想力はお見事の一言。アカデミー賞受賞も納得よ。でもね、舞台版となると話は別。味も素っ気もない教科書をなぞったような超退屈な内容で、毀誉褒貶相(きよほうへん)半ばする評価だったのよ。その大きな原因のひとつが、マシュー・ウォーカス(「ボーイング・ボーイング」)の演出。人間の心理を、面白可笑しく演出させたら右で出るものはいないほどの敏腕なのだけど、どうしたことか今回は、特殊効果に頼りすぎ・・、ドアを通り抜けるとか、地下鉄の中での大乱闘まで、LED映像で見せる演出に懲りすぎた結果、遊園地のアトラクションで見かける安っぽいステージになっちゃったの。あれは決して演劇とはいえない代物よ。

キャストもねぇ・・。ウェスト・エンド版のオリジナル・キャストの二人(名前は割愛じゃなく省略)を起用しているけど、取り柄はルックスのみ。うっつらだけの演技じゃ、観客の心を惹き付けられるわけがないの!それに比べ、ダヴァイン・ジョイ・ランドルフは、初舞台ながら体当たりで挑んだオダ・メイ役の演技は評価できるのだけど、ウーピーの物真似止まり。胸のすくような小気味よいギャグセンスもないしね。余計な制作費を使うんだったら、いっそのことウーピーをオダ・メイ役に起用すれば良かったのよ!

 



さて、ミュージカルの醍醐味である音楽。なのにデイヴ・スチュワートが手掛けた曲は、全く記憶に残らない駄作のオンパレード。まあ、「アンチェント・メロディ」を聴けることが、せめてもの救いなのだけど、これも変にレゲエっぽいアレンジを加えちゃって、感動は半減。私が演出家なら、舞台中央で霊界のサムと現世のモリーが再会するエンディングシーンの舞台袖に、ライチャス・ブラザーズばりに歌えるシンガーを配置。「アンチェント・メロディ」をシンプルに熱唱させて観客の感動の渦に巻き込んだけどね。