再演「サンセット大通り」劇評 | トシ・カプチーノ。 オフィシャルブログ Powered by Ameba

再演「サンセット大通り」劇評

 

まばゆいライトが煌々と輝く舞台上に繰り広げられる夢の世界を観続けて来た私が、気が付いたら、自身をさらけ出して、観客の判断に身を委ねる側に。 その底なしの恐怖と快感! 自身でナマの舞台に立って初めてわかる様々な経験を通して、他人様の舞台を批評する目も、益々研ぎ澄まされて、批判の矛先も鋭さを増してしまったのかしらんと慮っている初春の今日この頃だ。

 

ブロードウェイも春の新作ラッシュ。セントラル・パークに一気に芽吹く草花のように百花繚乱。私もミツバチのように、もっと甘味な舞台を求めて飛び回る、幸せな季節がまた巡ってきた。

 

今シーズン、私が最も注目しているのが、1950年のビリー・ワイルダー監督による映画をミュージカル化した「サンセット大通り」のリバイバル上演だ。銀幕のスターが、加齢とともに、やがて忘れられるという宿命が待っている。そんな頽廃美溢れる「サンセット大通り」は、全盛を過ぎた大女優が過去の栄光にすがり、再起を図ろうと、あれこれするうちに狂気の沙汰に変貌する姿を描くというディープなお話である。

 

 

物語はロサンゼルスのサンセット(夕暮れ)大通。借金取りに追われた売れない脚本家、ジョーが、車で逃げ込んだ家は、無声映画時代の伝説的女優ノーマ・デズモンドの伏魔殿のような大邸宅だった。飼っていた猿の遺骸を入れる棺桶を頼んでいたノーマは、突然目の前に現れたジョーを棺桶屋の従業員と勘違いし、家の中に招き入れたことから、二人の運命の歯車が狂い始める。

 

初演は1994年。主人公ノーマ・デズモンドに扮したのは演技派女優、グレン・クロース。それに勝るとも劣らないほどの話題で、このミュージカルのもう一人のスターと賞賛されたのはサンセット大通り1006番地に実在した大女優ノーマの金ぴかの大豪邸の舞台装置。制作費はなんと当時では破格の16億円。あれから22年が経過。再演版は、舞台装置という贅肉を全てそぎ落とし、舞台のド真ん中に設置されたのはブロードウェイ史上最大、40人編成の大オーケストラ。そして今回も、初演でトニー賞主演女優賞を受賞したグレン・クロースが舞台に立つということで、前回、彼女を見逃した私は、やっとグレン・クロースの「サンセット大通り」が観れる興奮でテンションは上がりっぱなしであった。

 

私が観劇した日の劇場は、熱心なグレン・クロースのファンでほぼ満席。余談だが、その劇場の雰囲気がなぜか美輪明宏が主演した寺山修二作「毛皮のマリー」を上演する劇場の空気感と似ている。まぁそれも私的には納得だ。考えてみたら両作品の主人公ともに言ってみれば虚栄と我欲と妄想の権化のような存在。ノーマ役に挑むグレン・クロースと男娼マリーを演じる美輪明宏のゴージャスで強靭で凄絶で、性別を超越したカリスマ性も似ていることから、人種は違えど観客の層まで似てしまうのだろう。 どちらも、観劇に来たというより、 伝説の巫女を崇めに境内に集う教会のような雰囲気を醸しだしているのである。

 

話が逸れたが、ノーマ・デズモンドになりきろうとするグレン・クロースの演技は実に素晴らしい。しかしながら、クロースの技巧的な上手さゆえに、却って本来在るべきはずの、鬼気迫る狂気や圧倒的な存在感の無さが露呈してしまった感がぬぐいきれない。クロースって、映画「危険な情事」や「危険な関係」で、銀幕の中での狂女役が俄然評価されたりして、ノーマ役にはピッタリの筈なのに、このスカスカ感は、なんなのであろうか。さらにオペラ風ミュージカルである限り、歌唱力は必須なのだが彼女の歌唱力では、ノーマ・デズモンドを舞台に降臨させ映画のように、表情の細やかさや、撮り直しで練り上げていくようなことも出来ず、一発勝負のナマの舞台空間を空気圧でぐいぐい押してくるような存在感をだそうとしても無理なのだ。

 

音楽を手掛けたのが大作曲家、アンドリュー・ロイド=ウェイバー氏。現在ブロードウェイでは彼の超ド級の大ヒット作「オペラ座の怪人」、「キャッツ」、「スクール・オブ・ロック」の3作品も同時上演中だ。「サンセット大通り」について言えば、大オーケストラが奏でる甘美なメロディは実に美しいのだが、「オペラ座の怪人」のような印象に残るメロディーがないことが残念。さらに肝心な脚本も名作同名映画をなぞっただけの希薄さのため、主人公ノーマ・デズモンドを誰が演じても、どんな優秀な演出家を起用しても残尿感は解消されることはない。