ミュージカル「ドリームガールズ」 | トシ・カプチーノ。 オフィシャルブログ Powered by Ameba

ミュージカル「ドリームガールズ」

 

 

 

私の大きなドリーム(野望)。それはブロードウェイ・ミュージカル「ドリームガールズ」の初演(81年)で主役エフィーの演じ、一世を風靡したジェニファー・ホリディを日本に招聘。彼女が歌う珠玉のナンバー「And I am telling you I am not going」の生のステージを日本の皆様にお届けする事なのだ!

 

 

 

 

 

私にとって、伝説的ブロードウェイのディーヴァ(歌姫)による三大ステージといえば、まず「キャッツ」(82年)で「メモリー」を情感こめて歌ったベディ・バックリー。それに「エヴィータ」(79年)のエヴァ役で「アルゼンチンよ、泣かないで」を逞しく歌い上げたパティ・ルポン。そしてこの「ドリームガールズ」(81年)のエフィー役で「And I am telling you I am not going」をパワフルに熱唱したジェニファー・ホリディ。それらの劇中歌はブロードウェイという枠を超えて、社会現象とも言える大ヒットとなりました。もちろん彼らの圧倒的な歌唱力はトニー賞でも高く評価され、三人はそれぞれ、主演または助演女優賞を受賞。彼女らが歌うミュージカルの代表曲は多くの観客がそれを聴くために劇場に詰めかけると言う牽引力となりました。その中でも、卓越したパワフルな歌唱力で群を抜いているのが、この「And I am telling you I am not going」を歌うジェニファー・ホリディなのです。 

 

 

 

 

 

「ドリームガールズ」の見所の一つで、主人公の一人、エフィー・ホワイトが熱唱するこの曲。これは彼女が、恋人も仕事も恋敵に奪われ、絶望の淵から汗と涙で這い上がる様にして、それこそ全身全霊をかけて爆発的な力で歌い上げる大盛り上がりの場面。歌舞伎だったら「音羽屋!」と大向こうをはりたいぐらい。  肺活量を全開にして激情を吐露するその様を堪能するためだけでも、このミュージカルを見る価値があるというもの。  しかし、草食系なる言葉が喧伝され、お茶漬けすする我らがニッポン人にとっては、実際問題これほど濃厚でドラマチックな感情の発露はピンとこないのでは、と思われるむきがあるやもしれません。でも、感情表現控えめ、もろもろの喜怒哀楽を我慢してゴックン飲み込んじゃう我々の心の奥底にもきっと眠っているに違いないソウルフルな部分。「てやんでぇ、こん畜生!」てな魂の雄叫びを呼び覚ましてくれるんです。その感動をジャニーズ親衛隊的にいえば「天使入っている」、AKB推しなら「神降臨」レベルですゾ。とにかく観劇後はスカッとする! それぞれの日々の生活のなかでも、なんかこー、もっと素直に己の思いの丈を表現し合って生きてもいいんじゃーないか、という・・・そう思わせてくれるくらいの説得力があるんです。

 

愛した男への執念を切々と歌い上げるブロードウェイのスタンダードナンバー「And I am telling you I am not going」の魅力はお分かり戴けたと思います。でもこの曲、並外れた声量と歌唱力なくしては成り立ちません。歌のウマい人。鋼のごとき強靭な喉を持っているしか手をだしてはいけない領域とでもいいましょうか。過去にはホイットニー・ヒューストンをはじめ、全米で放送中のTVオーディション番組「アメリカン・アイドル」などでも、全米から集まった選りすぐりのど自慢荒らしが挑戦。ダイナミックに歌いこなしているものの、歌にプラスアルファーのソウル(魂)を吹き込んだジェニファー・ホリディの歌を超えられるものはいないのかもしれない。あとにも先にもと・・・。

 

 

 

 

 

 

さて、本作は1981年にブロードウェイ初演、翌年のトニー賞で11部門にノミネートされ、ミュージカル作品賞は逃したものの6部門で受賞。約1500回のロングランを記録しました。前述の「And I am....」は、 当時のヒットチャートでも大ヒットとなり、ジェニファー・ホリディは、グラミー賞の最優秀女性R&Bパフォーマンスを獲得しています。それ以後、1987年に再演されて以来、しばらく鳴りを潜めていた本作が、2006年にハリウッドでミュージカル映画化。ジェイミー・フォックス、 ビヨンセ・ノウルズ、 エディ・マーフィ、 ジェニファー・ハドソンら豪華キャストが出演しました。主演のビヨンセは役作りのための10キロ減量ってのもニュースになったが、やはり話題の中心は、TV公開オーディション番組アメリカン・アイドル出身でデヴュー間もなかったジェニファー・ハドソン。エフィー・ホワイトという大役を新人とは思えない自然な演技と、オリジナルのジェニファー・ホリディを凌駕するほどの歌いっぷりでアカデミー賞助演女優賞に輝き、押しもおされぬ大スターとなったことは、映画をご覧になった方には、まだ記憶に新しい所ではないでしょうか。まさに夢見る女性たちのサクセスストーリを地で行く形となりました。そしてその3年後、舞台版として再演された本作は黒人音楽の殿堂としてあまりにも有名なアポロシアターで期間限定公演が行われました。黒人住居街ハーレムの中心にる本劇場だからということもあり、観客の多数がアフリカ系の人々。絶妙なタイミングで声援を送りながら拍手をする観客たちが作り出す空気感は、俳優のテンションまで上げて劇場は一体感に包まれました。  

 

実は、マンハッタンに観光する日本人の人気定番コースの一つにハーレムツアーなるものがあって、そこではギトギトこってりのソウルフードを賞味し、ゴスペル教会で拍手喝采、しまいにゃアポロ劇場の『アマチュアナイトというのど自慢』で、床に寝っ転っちゃって、涙と鼻水で絶叫歌唱するオバチャン歌手なんかを愛でたりするのです。これが他の諸外国の観光客から郡を抜いて日本人に人気。ハイ、もう分かりましたね。一見、おしとやかでナデシコな我々ニッポン人も、その実はコテコテ肉食系のものを偏愛して止まない部分を併せ持っていたのです!  で、この「ドリーム・ガールズ」の口当たりの良いコッテリ具合といったら、ファストフードでは味わえない、そう、例えるならハーレムのソウルフードの老舗シルビアスの濃厚ながらも、深ーい芳醇な味わい。

 

本作品の中に籠められたドリーム(夢)とはなにか?   

ドリームその1:    見違えるほどの美人というほどでもない、ごく平均的ルックスの当時若干21歳の無名の黒人女優、ジェニファー・ホリディのスター誕生物語。   

 

ドリームその2:   ハリウッド映画版でもっとも難役のエフィーに大抜擢されたジェニファー・ハドソンのオスカー獲得の銀幕の夢。そー言えば、ふとっちょで非白人の彼女がヴォーグ誌の表紙を飾ったことも大きな話題となりましたっけ。 こりゃまさに夢じゃ?とほっぺつねった人続出。   

 

ドリームその3:   「ドリーム・ガールズ」のモデルとなったモータウン・レコードの創始者ベリー・コーディやシュープリームスの立身出世の夢。彼はそれまで白人一辺倒だったショービズの世界の人種の壁をぶち壊しました。たった一人でR&Bをメジャー音楽に仕立て上げたのです。誕生からすでに32年が経過しても全く色あせない魅力があるのはこの3つが「ドリームガールズ」の核とっているから。   

 

最期に、ミュージカル「ドリームガールズ」の観劇ポイントは、

 

・モータウンサウンドのR&B、ゴスペル、ポップなどを取り込んだ名曲の数々。多分自然にあなたのおシリがシンコペーション刻みだすでしょうが、いいじゃないすか。この際素直な感情トロってヤツですヨ。大トロのごとく、濃密に腰振っちゃいましょう!   

 

・女性のカラダの曲線美を強調した、まーそのいわゆるボディコンってやつ(?)と、きらびやかな60年代のファッションの数々。ステージ衣装なんて、キラキラ系が多くて、ビーズ、ラメ、コハダ、アジなど光り物大好きな方には、堪りません。こんなの着こなせるのって藤原紀香様と貴女自身、または貴方の彼女・奥様くらいのもんじゃー?? うふふ。   

 

・ショービジネスで成功をつかむため、切磋琢磨している女性たちの強さと脆さ。夢を追う女性たちのストーリー。戦後女性とストッキング(レギンスって言うんでしたっけ?)は強くなったって言うじゃないすか、ってフル過ぎやん!    それら以上に人々を魅了して止まないのは、時代の流れとともに確実に輝きは失せてい行くはかない運命のミュージカルに、生身の人間が魂を吹き込むことで再び輝きを増すから。だから、「ドリームガールズ」は、何度観てもカーテンコールで必ず熱いものがこみ上げてくる。     

 

ミュージカルって、ブロードウェイって楽しいだけでなく ほんっとうに役に立つ人生訓がギュっと詰まった 素晴らしいもんなんですよね!