『ギア-GEAR-』レビュー | トシ・カプチーノ。 オフィシャルブログ Powered by Ameba

『ギア-GEAR-』レビュー



桜月夜にはまだ早い3月初旬、帰国した際、京都を訪問。そこで私は、凝った蒔絵や沈金を施した小箱のような素敵な舞台に遭遇した。と言っても、偶然に出会ったわけではなく、京都に大評判のショーがある、との情報は数年前から聞いていた。それが『ギア-GEAR-』。ブルーマン」や「ストンプ」など、身体性を前面に押し出して大成功を収めた無言劇の系統で、作り手のこだわりとチャレンジ精神溢れる佳作だ。

物語の舞台となるのは、廃墟になったおもちゃ工場。もうとうに、工場は閉鎖となり、稼働してないが、そんな人間の事情などつゆ知らない、人間型ロボット4体は、いつも通りに毎日始業ベルと共に働き出していた。そんなある日、かつてその工場の製品だった少女人形と触れ合うことで、お互いに少しずつ人間的な感情が生まれ行くというファンタスティックな筋書きなのだ。

そんなおとぎ話のそこここにちりばめられたのは、マイム、ブレイクダンス、マジック、ジャグリングなどの、名人芸。台詞はない。観客は次に何が起こるのか期待を膨らませるながら、幻想的な視覚、臨場感ある音響、世界最先端を行くプロジェクションマッピングと照明マジックで五感を刺激され、『ギア-GEAR-』の世界にどっぷり浸るという寸法なのだ。

京都一番人気の繁華街にある劇場は、築80年のレトロな洋館。劇場に入ると手の込んだ舞台装置が目の前にドバッーと飛び込んでくる。京都という場所柄の色眼鏡なしでも、細部にまでこだわり抜いて作り込んでいるのがひしひしと感じられる。また、100席の小劇場は超手狭だが、各座席に置かれた手作り感溢れる座布団に、座席下に作られた荷物入れと、観客に少しでも心地よい空間を提供しようとする痒い所に手が届かんばかりのオモテナシの精神が溢れている。ガサツ国の格安航空会社や、ガサツ島の小劇場の面々に、本作のプロデューサーの爪の垢を煎じたのを進呈して差し上げたいくらい。いい作品って、劇場という空間自体に良いエネルギーが漲っている。

コンセプトは、一昨年、世界最高の奇術師7名を集め、ブロードウェイで期間限定で上演された「ザ・イルージョニストー不可能を目撃せよ!」と被る。けれど、物語があり、マジックだけに執着せず、日本人の職人技が光る手の込んだアートのような舞台装置と照明技術の凄さは『ギア-GEAR-』に軍配が上がる。そこで、果たして、この『ギア-GEAR-』が世界に向かって勝負できるか? では、その可能性があるからこそ、あえての苦言も述べさせていただく。 それはパフォーマーの人間力が足りないという事。妙技の名手は世間には数多くいるわけで、その名人芸グループからひときわ抜きん出るためには、パフォーマーの濃い存在感が重要になってくる。ざっくばらんに言って、『ギア-GEAR-』の出演者には、良い意味での図々しさ、ふてぶてしさをあまり感じれなかった。なにくそ、俺一人だけで、この舞台を背負って立ってやる、という絶対的自信。オフ・ブロードウェイでは、すすけた劇場のオンボロ舞台装置の前で、俺様こそが千両役者じゃーって、舞台上からブイブイはみ出してきて、客席に威圧的な空気で迫ってくるような役者さんがいる。それだけである種の説得力が出てきてしまうものだ。 煎じ詰めれば、舞台の根っこはヒトなのだ。 傘の上で毬を回す、海老一染之助・染太郎師匠の右に出る人はいないというのは、そういうことなのだと思う。

日本には歌舞伎の「ミエ」のように、空間と「間」をためにためて、役者さんが観客を弄ぶような伝統がとうにある。 そこさえ極めれば、私は、この作品の舞台にミューズが降り立って奇跡を起こすと信じている。そうなれば次の目標は世界の桧舞台ブロードウェイ。前述したオフの大ヒット作「ブルーマン」や「ストンプ」を脅かすショーにもなり得ることだろう。

週刊NY生活の連載「新ブロードウェイ界隈」から